怨霊はBARにいる

猟奇學研究所

第1話

“Bar Gazer”


人通りもほとんどない裏路地。密陀僧の色をした照明に妖しく浮かぶ不吉なレリーフ。荷馬車に乗った死神が薄笑いを浮かべ、今夜もドアの前で出迎える─。


「やあ、いつものを頼むよ」


グレンフィディックの12年をダブルで。特に拘りは無い。そいつを時間稼ぎするみたいにちびちび飲るのが俺のルーティーンだ。


「たまにはどうですか?たとえば“島モノ”などは」


「いや、あれはどうも土臭くてね……」


ポケットの中の萎れた煙草を指でしゃんと伸ばし火を点ける。


「先生。順調ですか、お仕事の方は?」


「まあ、ぼちぼちだね」


正直“ぼちぼち”どころではない。全く駄目だ。執筆に行き詰まる度ここへ来ている。他意は無いのだろうが、マスターのひとことが胸にちくりと刺さる。


「今日もずいぶん静かじゃないか」


そんな俺の嫌味は“いつもの事です”と笑みでかき消された─。


「……ところで、こんな話をご存知ですか?」


3杯目のスコッチの氷が鳴る頃、ようやくこの台詞を聞くことができた。俺はポケットからメモを引っ張り出し “取材” を始める。


─若い頃フランスを旅して聞いた話です。


ある農婦が仕事の行きがけ、とうに亡くなっているはずの近所の男から手招きされ、小高い丘まで

ついて行ったそうです。そこで男が指差す場所を掘り起こすと、数え切れないほどの金貨が埋まっており、彼女は大喜びでそれを持ち帰りました。


「死人に金貨は不要でしょう」と。


晩、その出来事を夫に話すと、彼は血相を変えて「今すぐ元の場所へ戻してこい」と言いつけました。妻は渋々金貨を戻したのですが、翌朝、それはそっくりそのまま箪笥の中に戻っていたのです。夫婦は慌てて司祭の元へ駆け込み──


いよいよ話が盛り上がろうかという時、甲高い音と共に俺の“いつもの”がテーブルにぶちまけられ、代わりに、赤茶けた液体入りのロックグラスが目の前に現れた。


「これは……」


「あちらのお客様からです」


マスターの手の向く方を見ると、カウンターの隅にいつから居たのか分からない女がひとり。長い髪が前に垂れ、顔がほとんど見えない。


「“ホンモノ”のラスティ・ネイルとは洒落てるね」


直訳すると“錆びた釘”という名のカクテル。グラスの中には文字通り釘が幾つも浸され酸化していた。タチの悪い悪戯に俺は毒づいた。


女の、暖簾のような髪の隙間から目が覗き、湿り気を帯びた光を放つ。


「……続き、あたしが話そうか?」


薄い唇が歪んだ。微笑。俺の身体が悪寒に震える。芝居がかったような、異様な高音が店じゅうに響く。


「その農婦は死んだのよ」


マスターは濡れたテーブルを無言で拭いている。まるで俺と目を合わせまいとしているかの様に。


「あの金貨はね、“ 死 者 を 解 き 放 つ ” の、そして……」


「おい、待て」


俺の制止など聞かず女は続けた。


「そして死者は……」


「マスター、この人……!」


助けを求めようとしたが、当のマスターはいつの間にか姿を消していた。


「死者は……蘇るの」


女の声、どこか聞き覚えがある。


「……まだ分からない?」


唐突に、記憶の波が押し寄せる。


足元がぐらつく。


眩暈。


歪む景色。


滴りそうな程の手汗。


顔が、はっきりと見えた─。



かつての恋人。馴れ初めは立体駐車場。彼女の車のバッテリーが上がり、偶然見かけた俺が助けたのが始まりだった。


俺たちはよく似ていた。いまの暮らしに不満で、作家を夢み、そして心を病んでいた。互いの傷をなぞりながら共に日々を過ごし、ささやかな幸せを感じていた。


ある日“出かけてくる”と言った彼女の表情に、何か決然としたものを感じたが、それはほんの一瞬で脳裏から消え去った。


彼女は二度と帰って来なかった。人の心は深海のようで、どれほど密に関わろうが、暗闇に隠れた場所を全て見出すことなどできない。突然の別れだった。


物をほとんど持たない彼女が残していった紙の束。手書きの原稿。悲しみにくれ、涙で濡らしながら文字を追った。繊細で美しい物語。俺には到底書けない。近づくことのままならない後ろ姿。きっとあいつは俺を“置いていった”のだ。そんな思いが頭をもたげる。


俺は筆名だけを変え、原稿をそっくりそのまま公募に出した─。


「お久しぶり、“センセイ”」


彼女は皮肉たっぷりに言った。突然の再会に、喜びと後ろめたさがせめぎ合う。


「……すまない、俺は……」


勝手にそんな事を口走っていた。彼女は口元だけの笑みで、まっすぐこちらを見つめながら言葉を返す。


「もういいのよ。気にしないで……」


俺は救われたような気持ちになり、かつて愛した人の元へ歩み寄ろうとした。


その直後だった。


彼女が突然咳き込み、身体をくの字に折り曲げ苦しみだした。えずき、肩を激しくわななかせている。慌てて駆け寄り、今にも倒れそうな上体を受け止める。懐かしいコロンの芳香が鼻をくすぐる。大丈夫かと声をかけようとした刹那、


どろり。



抱き抱えたはずの身体が、粘性を持った液体のように、ぼたり、ぼたりと床に溶け落ち、骨が剥き出しになる。


腕が、


胸が、


脚が、


顔が。


足元に広がる半溶けの肉塊。まるで吐瀉物。やがて残された骨も、からからと音を立て崩れ落ちていった。


からり。呼応するように“釘入り”カクテルの氷が溶ける。


眼下に広がる、あまりに凄惨な光景。


悪い夢でも見ているのだろうか……?


呆然と立ち竦む俺の耳に、彼女の笑い声が谺する。


意識が遠のく──。



気がつくと俺は立体駐車場にいた。何度キーを回しても、車のエンジンは唸るばかりで掛からない。


こつこつと足音が聞こえる。それは徐々にゆっくりとこちらに近づいて、ふいに止まった。


足音の主と、フロントガラス越しに目が合う。


彼女は俺を見つめながら、その薄い唇の角を微かに持ち上げ、そのまま歩き去っていく。


待ってくれ、行かないでくれ……!


このままじゃ、俺は何処へも行けない……!



助けてくれ……


助けてくれ……


助 け て く れ……!



“死者の金貨”を手にした者は、引き換えに命を差し出さなければならない。そう司祭は告げた。そして農婦の棺には、弔いのための金貨が敷き詰められた。それがあの物語の結末だ。


そして俺も、たった今その金貨を受け取ることに──。




「……いまいちだな」


「お気に、召しませんでしたか」


マスターは申し訳なさそうな表情を浮かべている。


「いや、違うんだ。アイディアが湧いて……。でもありきたり過ぎてね……」


メモを置き弁解する。話の途中から頭の中でプロットを練っていたのだ。実体験も含んだ物語。ひとが知れば軽蔑するかもしれないが、昔恋人だった女の原稿を盗んだ事があるのは事実だ。使えるものは何でも使う。それが作家というものだと、俺は思っている。


ことり。


テーブルに新しいグラスが置かれた。


見慣れないカクテルだ。


「……頼んでないけど」


マスターはカウンターの隅に手を向け言った。


「あちらのお客様からです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怨霊はBARにいる 猟奇學研究所 @ryoukigaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る