第二章の三 天狗の世界④

 バスと電車を乗り継ぎ、数時間後。

 奏とあずさは地元へと戻ってきていた。これからツクヨミに愛宕山太郎坊あたごやまたろうぼうの報告をするべく、いつもの深い山の中へと入っていく。ある程度山道を進むと待ち構えていたかのようにヤタガラスに遭遇した。その後はヤタガラスの導きにより、いつものほこらへと向かうのだった。

 ほこらではツクヨミが待っていた。


「おかえり、あずさ、奏くん」


 ツクヨミはにっこりと微笑んで二人を迎えた。そんなツクヨミに奏とあずさは太郎坊の件を報告するのだった。今後は自分なりの愛宕山太郎坊あたごやまたろうぼうを探していくと約束してくれたこと。そしてお礼に天狗の団扇うちわを貰ったことを報告する。

「この団扇うちわは、あずさちゃんが持っているといいわ。女の子だもの、何かあってからじゃ遅いから」


 奏はそう言うと、太郎坊から受け取った天狗の団扇うちわをあずさに渡す。ツクヨミはその判断に対して何も言わなかった。


「そうだ、二人に言っておかなくちゃいけないことがあるんだ」


 ツクヨミはぽんと手を叩くと口を開いた。


「次の月、僕たち神々は出雲へ出向かなくてはいけなくなるんだ。だから、二人への依頼はなくなると思ってくれていいよ」

「あらやだ、もう神無月かんなづきになるのね」


 奏の言葉にあずさが口を開く。


神無月かんなづきって神様がみんないなくなるの?」

「留守神と言って、お留守番をする神様もいらっしゃるわよ」


 奏の言葉にあずさはふーん、と相槌を打っている。殆どの神々は出雲へとおもむくために神無月かんなづきと呼ばれているが、全ての神ではないらしい。その土地を守る神などは留守を任されるものもいると言う。

 二人はツクヨミの言葉を了承すると山を降りて下界へと帰って行った。


「二人とも、ごめんね」


 そんな背中を見つめて、ツクヨミはそう呟くのだった。




 帰り道、奏とあずさは泥田坊どろたぼうのいる田んぼへと足を運んでいた。

 稲は徐々に茶色味を帯び、稲穂はこうべを垂れてきている。それは季節の移り変わりを奏たちに教えてくれていた。泥田坊どろたぼうはと言うと奏とあずさに気付き出てきてくれた。


「お前たち、よからぬことをしでかしてはおるまいな?」


 開口一番そう言われ、奏たちは疑問符を浮かべる。全く心当たりがない。そう泥田坊どろたぼうへと伝えると、泥田坊どろたぼうは言う。


「俺のように聞き分けの良いヤツばかりが妖怪じゃない。用心しろ」


 それは泥田坊どろたぼうなりの警告だった。しかしこの時の奏とあずさは一体何に用心したら良いのかさっぱり見当がつかないのだった。




 奏と別れたあずさは一人、橋姫のいる橋へと向かっていた。


「橋姫ー、いるー?」

「あら、あずささん、いかがされました?」


 橋姫はすぐに姿を現してくれた。あずさは先ほどの泥田坊どろたぼうの話をする。何かに用心した方が良いようだが、それが何なのかさっぱり分からない。


「大丈夫ですよ。あずささんは天狗の団扇うちわをお持ちでしょう?」

「どうしてそれを?」

わたくしも一応、神ですから」


 橋姫はにっこりと笑う。橋姫はその団扇うちわがあずさを守ってくれると言ってくれた。しかしあずさは使い方が分からない。それを伝えると橋姫は簡単です、と答えた。


「何がしたいのか、念じて振れば良いのです」

「どうして橋姫はそんなことまで知っているの?」

「天狗の団扇うちわは、最強と言われる武器ですから。欲しがる輩(やから)も多いんです」


 だから、大体が使い方を知っているのだ、と続けた。


「肌身離さず持っていると良いですよ」


 橋姫の話に、あずさはきゅっと団扇うちわを抱きしめた。


「そういえば、橋姫も出雲へ出向くの?」

「いいえ、私は留守神です」


 橋姫は元々縁切りの神だ。縁結びとゆかりのある出雲へは行かないのだと言う。あずさはそっか、と少し安心した様子だった。あずさが出会った全ての神が出雲へと行ってしまうとなると、それは何だか心細い気がしたのだ。


「あれ? あずささん?」


 その時不意に声が降ってきた。それは橋姫の声ではない。あずさは弾かれたように顔を上げる。そこには吉田結人の姿があった。


「吉田くん……? どうしてこんなところに?」

「それは僕の台詞ですよ。一人でこんなところでどうされたんです?」


 どうやら結人には、あずさの傍に立っている橋姫の様子が見えていないようだった。


「大したことじゃないよ? ちょっと外の空気を吸っていたの」

「その割に顔色が優れないようですけど……、何か悩み事でも?」


 結人の言葉にん~、と言葉を詰まらせるあずさ。


「本当に大丈夫だよ。ありがとう、吉田くん」

「なら深くは詮索しませんけど……、何か困りごとがありましたらいつでも僕に相談してくださいね? 隣の席のよしみです」


 結人はにっこりと微笑むとその場を後にする。

 あずさはじっとその後ろ姿を見つめていた。結人の後ろ姿が見えなくなったとき、橋姫があずさに声をかけた。


「今の子は……?」

「クラスメイトなの。転校生で吉田結人くんって言うんだけど……」

「そう……」


 橋姫の様子が少しおかしい。何かを言いたげなその様子にあずさは声を掛ける。


「どうかしたの? 橋姫」

「いえ、これは勘のような物なのですが……、あの子からは少し、妙な気配を感じるんです」

「妙……?」


 神様が妙と言うと、どんなことがあるのだろうか?

 あずさには全く見当がつかなかったが、吉田結人を警戒するには十分な言葉だった。

 そもそもあずさは、いつもニコニコしている結人に対してそれこそ妙な印象をいだいていたのだ。神様が妙、と言うことはあずさの勘もあながち間違ってはいなかったようだ。結人の何がそんなにあずさに警戒させているのかはあずさ自身全く分からない。分からないが、人当たりがよく、いつもニコニコしている結人はきっと、あずさにとっては『完璧』な存在なのだろう。その『完璧』さはどこかあずさに不信感を与えるのだった。

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