第一章の四 『見える』弊害③
気付くと体育館の中には奏とあずさ、そして見えてはいけない少女だけが残っていた。
「奏、お願いがあるんだけど」
「何かしら?」
「あの子と話がしたいの。私、見えるようにはなったけれど、声は全く聞こえないから……」
あずさの提案を奏はすぐに了承した。靴を脱いでゆっくりと少女の元へと歩いていった。そしてあずさが声をかける。
「どうしたの?」
声をかけられた少女ははっとした様子でこちらに顔を向けた。長い髪は下の方で一本にまとめてある。顔はぼやけていてはっきりと認識できないものの、可愛らしい声で、
「見える、の……?」
その問いかけにあずさと奏は頷いた。
「そうなの……」
少女はなかなか重い口を開いてくれない。
「どうしてこんなところにいるの? 毎日私たちの練習を見てるでしょう?」
あずさの問いかけに、少女はどうしたものかと思考を巡らせているようだった。
「私に出来ることなら協力するよ!」
あずさは明るく提案していた。
どこか寂しそうに佇んでいる少女がずっと気になっていたのだ。
協力できることがあるのなら協力したい。いつしかあずさはそんなことを思うようになっていた。
あずさのその言葉に、少女は重たい口を開けた。
「私もね、この学校のバスケ部だったの」
少女は言う。
その日は寒い真冬の季節。少女はバスケ部の試合へと向かっていた。自転車を漕いでいると向かいから信号無視をしたトラックに轢かれたのだと言う。そして気付いたら母校の体育館にいたのだと。どうしても試合に出たかった。どうしても皆と試合をしたかった。そんな思いがあったから、自分はここにいるのだと。
「じゃあさ、皆と一緒、とはいかないけれど、一緒に1オン1やらない?」
「え? いいの……?」
「私もバスケ大好きだから! 一緒にやろう?」
あずさの言葉に、少女は微笑んだように見えた。
それからあずさと少女の1オン1が始まった。素人目で見ても、少女はかなりバスケが上手だった。これほどの実力があれば、やはり公式試合には出場したかったのだろう。しばらく試合を続けていたあずさと少女だったが、
「も~! 完敗!」
あずさが
「どう? 少しはスッキリした?」
「うん、ありがとう」
少女は明るい声で答えた。すると少女の体から白い球体が生まれた。小さなその球体はどんどん数を増し、そして少女の体を飲み込むと少女と共に消えていった。
「消えた……?」
「成仏した、のかしら?」
残された奏とあずさは呆然と少女がいた場所を眺めていた。今まであった少女の気配も少女の思念も、何も感じられなくなっていた。
「きっと、あずさちゃんと遊べて満足したのね」
奏はそう言うと、あずさと一緒に学校を後にするため、あずさに着替えてくるよう促した。
その後二人は、
「ふ~、生き返る!」
あずさは真夏の熱気を遮断している扉を開いて呟いた。午前中はずっと動いていたのだ、お昼時も過ぎ、お腹も空いてきている。
「なんでも注文して頂戴。アタシの奢りよ」
奏はあずさへにっこり笑いながら言った。
「え? この前も奢ってもらったのに、悪いよ……」
「これくらいいいのよ! 女子高生にお金を払わせるなんて、男として出来ないわ」
奏はウィンクをひとつ。
あずさは顔が赤くなるのを止めることが出来ず、俯いていた。こんな時、この端整な顔立ちの青年のことをズルイ、と感じてしまう。
「オネェのくせに……」
「なぁに?」
「何でもないです!」
思わず呟いてしまった声に奏が反応したので、咄嗟に否定の言葉を口にするあずさ。そしてそのままメニューをみる。ここはお言葉に甘えて色々と頼んでしまおう。
注文を一通り済ますと、あずさは改めて奏を見た。
「そう言えば、わざわざ学校まで来るなんて、何か急用だったの?」
あずさは当然の疑問を口にした。それに対して奏は涼しい顔で言う。
「そうね。『見える』ようになったのはあずさちゃんの方が先じゃない? だから、色々聞いておきたくって」
そう言ってブラックコーヒーを一口飲む奏。
あずさは運ばれてきた昼食となるトーストを
「どうしたの? 人の顔をじっくり見て……」
トーストを齧りながら、切れ長の瞳を丸くしてじっと自分を見つめてくるあずさに、奏は少したじろいでいた。すっぴんでも十分に綺麗な肌と分かるあずさは、切りっぱなしのボブヘア。そして髪の色素は少し薄くなっている。こうして黙っているとお人形のような顔立ちのあずさにじっと見つめられると、奏に初めてヤタガラスと共に出会ったあずさの神秘的な雰囲気を彷彿とさせるのだった。
「綺麗な顔してるなぁって思って……」
「あらっ! ありがとう」
あずさはぼーっとしながら奏に答えていた。その答えに奏はにっこりと微笑みを返す。
「あずさちゃんだって、可愛い顔をしているわよ? お人形さんみたい」
「えっ?」
奏の言葉にあずさは再び顔が紅潮していた。綺麗な顔のお兄さんに(オネェだとしても)言われたのだ。無理もない。あずさは俯いて黙々とトーストを齧っていた。
「そうそう、学校へ行った理由よね?」
あずさの心情を知ってか知らずか、奏は口を開いた。
「実はね……」
奏はあずさに昨夜から午前中にかけてあった出来事を話した。守護霊と名乗る老婆のこと、傘屋敷のこと、そしてその傘屋敷であったこと、老婆と話をしたこと。
「ふえ~……。そんなことが……。私も傘屋敷には近付かないでおこう」
奏の話を聞いたあずさはひとりごちる。幸いにもあずさの家は傘屋敷とは反対の方角にあるため、滅多なことでは傘屋敷へと行くことはないのだが、それでも用心に越したことはないだろう。
「あずさちゃんは、『見える』ようになってから金縛りとかにあったことはないの?」
奏の
「ん~……、ない、かな」
「あら、いいわね~。守護霊様に会ったことも?」
「ない、かな。私、この力で不自由を感じたことってないの。唯一あるとしたら、奏みたいに声が聞こえないから、今日みたいに寂しそうにしている人の話を聞いてあげられないことぐらい、かな」
「まぁ、あずさちゃんは本当に優しいのね」
奏は目を見開いていた。
この少女は見ず知らずの人にも親切に出来るのだろう。その純粋さがヤタガラスに選ばれた要因の一つに違いない。
「まぁでも、傘屋敷のこともあるから、一概に奏みたいに感じられるのもツライことかもしれないね」
あずさは言った。そうかもしれない。これは神が新たに与えた奏への試練なのかもしれない。
そう思った奏はコーヒーに口をつける。
その後、二人は不思議な力を得てしまった同士、とりとめのない会話をしていくのだった。
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