六七日(むなのか)
○由香里の部屋(夕方)
冷蔵庫に磁石で貼り付けている『お父さんの良いところリスト』を眺める由香里。
由香里「六七日、六七日……家族のために一生懸命働いてくれた……特にオチ無いなぁ」
腕を組んで考える由香里。
× × ×
T「六七日」
低い本棚の上に設置された簡易の神棚。その横に水の入った湯呑みが供えられ、線香
が白い煙を燻らせる。
由香里N「閻魔様、父は会社を休むことなく毎日毎日、家族の為に一生懸命働きました」
○由香里の回想・製薬会社・物流拠点(昼)
積み荷を大型トラックに運び込む運転手。
配送する薬品のリストを見ながら、荷物の確認をする安川(43)。
道路を挟んだ歩道を歩く沙喜子(40)と幼稚園の制服を着た由香里(6)。
沙喜子、由香里に話し掛けながら、安川を指さす。
由香里、嬉々として安川の方に手を振りながら、
由香里「お父さん!」
安川、由香里に気づいて笑顔で手を振る、
安川「由香里!」
○再び由香里の部屋(夕方)
神棚の前で手を合わせる由香里。
由香里N「父の仕事のイメージはこれくらいです。仕事人間というより、人生そのものを楽しんでいた人でしたので。あの日、私が見た父は一生懸命に仕事していました。私達、家族の誇りです……あ! そうそう、他にも格好良かった父の姿を思い出しました」
○由香里の回想・旧安川宅・居間(朝)
テレビをつける由香里(9)。
壁を這う黒い虫。
強ばる由香里。
由香里「ギャー!」
と、走り去る。
○由香里の回想・旧安川宅・台所(朝)
忙しなく朝食の準備をする沙喜子(43)。
由香里、バタバタ走ってくる。
由香里「お母さん、ゴ」
由香里N「ちょっと、待ったぁ!
動きの止まる由香里と沙喜子。
由香里N「私は物心ついた頃から、黒い虫が大嫌いでした……年々、その度合いが酷くなり、黒い虫の本名すら言えなくなっています。あの名を聞いただけで、身震いする程です。なので以降は、黒い虫と呼びます。角の無い方です。続きをどうぞ」
動き出す由香里と沙喜子。
由香里「黒い虫が出た!」
沙喜子「お母さん、忙しいねんから、お父さんに取ってもらいぃな」
膨れっ面の由香里。
○由香里の回想・階段下(朝)
由香里、上に向かって、
由香里「お父さん、お父さーん!」
安川(46)、ドタドタ降りてくる。
安川「何や」
由香里、居間の壁に貼り付く黒い虫を指差し、
由香里「あれ!」
安川、目付き鋭く黒い虫を見て、
安川「よっしゃ!」
○由香里の回想・旧安川宅・居間(朝)
安川、手際よく古新聞を棒状にクルクル丸め黒い虫の方にソロリソロリと近づくと、
黒い虫の動きを目で追い狙いを定める。
緊張した様子で見守る由香里。
安川、黒い虫目掛けて新聞で作った棒を振りかざす。
安川「おりゃー!」
安川の一撃で黒い虫、畳の上に転がる。
安川、すかさず新聞を広げると黒い虫を拾い上げて、その新聞をギュッと握る。
惚れ惚れした様子で安川を眺める由香里。
由香里N「後にも先にも父が男前に見えたのは、この時だけでした……あ! 毎日、一生
懸命働く父も格好良かったんですよ。ええ」
安川、勝ち誇った様子で由香里を見る。
由香里N「『そうだ! 勇者を称えなければ』……そう思った私が慌てて口にした言葉は」
由香里「こんな時だけやなぁ。お父さん、役に立つのん」
ムッとする安川。
安川、笑顔で、
安川「由香里」
由香里「何?」
安川、手に持った黒い虫を包んだ新聞を広げて由香里に見せる。
由香里「ギャー!!」
由香里N「閻魔様、悪気は無かったんです。なのに父の大人気のなさと言ったら……あ! ごめんなさい、お父さん。思わず殺生したことを、告発してしまいました。閻魔様、黒い虫の話は記録から抹消してください。何卒、よろしくお願いいたします」
○冥土
書類を前に頭を抱える閻魔様。
安川、腕を組んで勝ち誇った様に微笑む。
閻魔様「黒い虫の前までだったら、プラスだったんですけどね」
安川「いやいや、今日は文句なしで最高得点やろ。英雄やんけ、わし」
閻魔様「そんな事ないですよ。これじゃ、今日もマイナスで、地獄行き、仮確定です」
安川「何でやねん」
閻魔様「お嬢さん、何か意図があるんですかね。あまり日常で使わないでしょ。殺生なんて言葉。しかも記録が、どうとか」
安川「どういう事やねん!」
閻魔様「殺生は仏教界では大罪です」
安川「大罪って……ゴ」閻魔様、口に人差し指をあて、
閻魔様「これ以上お嬢さんを怒らせると、次回、もっと、とんでもない報告をするかかもしれませんよ。しかも潰したの見せちゃってるし」
安川「せやけど、記録から消してくれって言うてたやんけ」
閻魔様「一度、記録されたものは削除できません!なるほど、都合の良いところは、ちゃんと聞こえてるんですね」
安川「どんだけ要領悪い仕組みやねん」
閻魔様「それぞれの人に合わせて都合よくルールを変えてたら、ルールの意味がないでしょ」
安川「しかしやなぁ、ゴ……いや、黒い虫、生かしといたら不衛生やろ。子供の事思ってやったのに」
閻魔様「それは人間の都合です。それなら生かしたまま掴んで表に逃がすという手もあります」
安川「気色悪いなぁ、お前」
閻魔様「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』で、そういうのあったじゃないですか」
安川「蜘蛛とゴ……黒い虫は全然違うやろ。蜘蛛は家、綺麗にしよる。奴等を食って」
閻魔様「同じ尊い命ですよ」
安川「そんな事したら、今度は、よそが困るやろ。そっちの方が、自分勝手や」
閻魔様「いえいえ、それこそ黒い虫は人間の方が自分勝手だと思ってますよ」安川、落ち込んでしゃがみ込む。
安川「わし、どんだけ娘に嫌われてるねん」
閻魔様「いや、嫌ってるんじゃないと思いますよ。あなたと前の奥様の子供だから、ちょっと、おとぼけが過ぎるだけですよ。四十九日にオチまで用意するとは、流石としか言いようがないですね」
安川「そのオチで、わし、地獄まで墜ちてまうやんけ」
閻魔様「なるほどね」
と、カラカラ笑う。
安川「笑うとこちゃう!」
閻魔様「でも、後もう一回ありますから。最後で挽回できれば天国に行けますよ。現状、仮確定とは言え、僅差です。お気になさらないで、気を強く持ってください」
安川「持てる訳ないやろ。他人事やと思って気軽に言いくさって」
閻魔様、コソコソ書類を片付け、
閻魔様「それでは、六七日を終了いたします。お疲れ様でした」
と、立ち上がり大きな扉の方に消えていく。時折、チラリと心配そうに安川の様子を見る。
背中を丸めて落ち込む安川。
静かに閉まる大きな扉。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます