第2話 しっかりと、桜屋敷かなみは手綱を握る。

 ここに来るのは確か、二度目だったと思う。一目見ただけで明らかな新築の建造物。というか、比較対象となる校舎の方が、古すぎるのだろう。初めて訪れたのは、放課後まで羽瑞希へ返し忘れていた体育の教科書を、バレー部の部室まで返しに来た時だった気がする。その時に知った、女子陸上部の部室と女子バレー部の部室が隣り合っているという事実を、奇跡的に思い出した俺は、不親切にも目的地しか教えてくれなかった桜屋敷からの連絡だけで、女子陸上部室にたどり着けそうだ。

 目的地にまっすぐ向かっている俺は、正直なところ全く落ち着かない。だってよく考えてもみてほしい。今俺が向かっているのは女子の部室なのだ。不健全なことを考えているわけではないし、何の期待をしているわけでもないが、普段、陸部の女子が制服や運動着に着替えをしている場所に向かっているのに、そわそわするなという方が難しいだろう。

 にしても、さすがに朝の部室棟は静寂に包まれている。これが放課後であったならば、レジャー施設のごとき騒々しさだったのだろう。確かこの学校は、大会前など、その部活にとって重要な行事の一週間前から当日の期間までのみ、朝練を認めていると羽瑞希が言っていた気がするので、基本的に朝は、この静かさがデフォルトなはずだ。

 

 そろそろ着くような気がしてふと奥を見ると、薄暗い廊下の先に、扉の窓から中の光が漏れている部屋を見つけた。どうやら、桜屋敷はすでに部室にいるらしい。


 俺は「コン」と一回、静かな部室棟に響かないように、控えめにノックをした。すると、


「ハナヤちゃんもう来たの!?ちょっと早すぎ。ウチ今、朝練終わって戻ってきたところで、今、着替えてるからもう少しだけ待ってて。」


 と、中から返事があったので、「わかった。」と一言だけ返す。やっぱり部室ってそういうとこr、いや何でもないです。何も考えずに待ってます。はい。

 

 五分ほどスマホを触りながら待っていると扉が開き、


「着替え終わったから、入ってきて。」


と、言いながら上はTシャツで下は制服のスカートを履いている桜屋敷が出てきた。


「一つ気になってる疑問なんだけど、俺みたいな人が入ってもいいのか?」


「?」


 いや、頭の上に?が見えるような(もちろん本当にそれが見えたなら幻覚だが。)顔してるけど、本当にわかってないのか。


「えっと、女子の部室に男子が入っていいのかって事。それに俺、完全に部外者だし。」


「あー確かに言われてみれば。でもまぁ、気にしないで大丈夫。」


「え、いいのか?他の部員に怒られたりしそうだけど。」


「いやその、他の部員なんだけど、今そもそも陸部女子ってウチしかいなくて、この部屋に誰が入ってもいいかって私一人で判断できるんだよ。まぁ、そんな感じだから入って。」


 女子陸上部が在籍一人なんてことあるんだ。と少し驚いたが、それなら入ることに問題はないと判断したので、納得した素振りを見せ、中に入った。

 

 中の空気は、中高生が運動後に発生させがちな制汗剤の匂いで満たされていると思いきや、そんなことは全く無く、落ち着いたアロマのような香りが漂っている。そして、部室とは思えないほどおしゃれな雰囲気で、高級ホテル内一角のような内装に、驚きを隠せない。え、今の女子高生の使う部室ってこんなお金かかってるものなのか。学校の運営さーん、もっと他にお金かけるべき所あるんじゃないですかぁ?


「えっと、桜屋敷さん?」


「どしたの、唐突に改まって。」


「ここ、本当に部室?」


 と聞いてみると、まさにその質問をされるのを待っていました。と、言わんばかりにニヤついている姿がそこにはあった。あぁなるほど。この内装、自慢したかったのか。


「大丈夫、ちゃんと陸上部の部室だよ。内装に手を加えたから、結構おしゃれな感じになってるけど。在籍がウチだけだから、好きにやらせてもらってるんだよね。あ、そこらの適当なとこに座っといて。」


 いや、さすがに普通の部室を改造しただけで、こうはならないと思うんだが。多分、世の中の人間にこの部屋の内装写真を見せて「ここはどこでしょう。」なんて問題を出しても、女子高生が使っている運動部の部室だと正解できる人間は一人としていないだろう。


「ほんのちょっとって所にかなり疑問は残るけど、普通にこれすごいな。」


「でしょでしょ。もっと褒めていいよ。結構大変だったし。ちなみにかけたお金についての質問はやめてね。代わりに、内装についての質問ならいくらでも受け付けたげる。」


 あたりを見回しながら手近な椅子に腰掛ける。正直、金銭の点についてはかなり気になるが、俺がここに来させられた理由である、彼女のと天秤にかけたら敵わない。というか、このまま放置し続けたら、この人は部室の話をずっとし続けるだろう。


「ちょっと話したいことあるんだけど、いいか?」


「どぞ。」


「確かにこの内装はすごいよ。だけど、別に俺は桜屋敷とお喋りするために、ここに来たわけじゃない。俺的には早く本題に入りたくて、桜屋敷、お前の用意してきたお願いは一体何なのか早く教えてもらってもいいか?」


 俺はただ祈る。頼むから面倒そうなのとか、変なのじゃないお願いであってくれ。


「なるほどね。ウチはずっとハナヤちゃんとお喋りでもいいんだけど。あ、ていうか、ウチ的にはハナヤちゃんの過去について、ウチがどれだけ知ってるか、とか聞かれると思ってたから、ちょっとびっくりかも。」


「あれはもう終わった話だし。それに、本当の事実を知ってるのは当事者である俺とあの子だけだ。あの件について知っている人間がごく少数存在していたとしても、持っている情報なんてたかが知れてるし、そんなに気にならないから大丈夫。」


 流石に強がってはいるし、そんなの気になるに決まっている。しかし、余計なことを話して、どこまで知っているかも分からない相手にさらなる弱みを与えるかもしれない行動はどう考えても悪手だ。と言いつつも、俺がそもそもその話をしたくないというのが大きいところではあるのだが。


「ふーん。ま、ならいいけど。じゃあ一つ目のお願いから。」


俺は頷く。


「一つ目のお願いは、ウチの幼馴染っていう設定で、これから高校生活を送ること。OK?」


「それはつまり、みんなの前では比較的仲良く見えるように接しろ。ということでいいのか?」


「そうだけど。普通に仲がいい程度じゃ、幼馴染とは言えなくない?。だから、ある程度、一緒にいる時間を作るつもりでいてもらいたいと思ってる。」


 彼女はそう言うが、世の中の幼馴染は、みんながみんなそこまで仲がいいとは限らないと思う。どちらかというと、歳を増すごとに関係性が薄くなっていく幼馴染の方が多いのではないだろうか。実際、俺も幼稚園から小学生までは仲が良かったが、連絡を一切取らなくなってしまった幼馴染ばかりである。もしかすると桜屋敷は、幼馴染というものに案外、夢を抱いているのかもしれない。やだぁ、桜屋敷さんって意外に純粋ピュア♡。

※この言動に幼馴染等、それに準ずるものを貶める意図は一切ございません。


「別にそれ自体は全然かまわないんだが、一緒にいる所を見られて、噂を立てられることに対するケアは考えているのか?それと、このお願いによる桜屋敷のメリットを教えてほしい。」


 正直、荷物持ちとかその手のパシリを様々要請されると思っていた俺は、桜屋敷の命令が何のためのものなのか真意が測れず尋ねた。


「別にウチとしては、今のところ噂になっても構わないんだけど、大丈夫。友達には一つ年上の幼馴染がこの学校にいるってもともと言ってあるから、気にしなくていいよ。あと、このお願いは、今後のほかのお願いをやってもらいやすくするためっていうのがウチにとってのメリットって言えると思う。」


「なるほど。そういうことなら納得した。」


 桜屋敷からの命令をこなすうえで動きやすくするために、幼馴染を演じるという事か。もし他意がないとするならば今後、彼女から言い渡されるお願いは、その身辺、周辺の知り合いに関する問題になる可能性が高いだろう。もともと、何らかの手伝いや日常生活の雑務を命令されると思っていた俺は、それらと比較すると、明らかに大変そうな内容になるだろうと覚悟した。


「で、これは俺の推測なんだが、二つ目の命令も俺が幼馴染として桜屋敷と接することで遂行しやすいもの、だったりするのか?」


「そうそう。だからハナヤちゃんの言う通り、二つ目のお願いの方がもちろん本命。で、その本命の方はね…、」


 今度こそ本気で手を合わせる。大変な命令であることがほぼ確定しているのなら、せめてましな具合でありますように。


「同じクラスのウチの友達に、しずく優桜ゆらっていう子がいるんだけど、その娘が最近、ある男子に憧れちゃったっぽくて、どうにかして目を覚まさせてほしいんだよね。方法に関しては優桜が傷つかないのと、不自然さが目立たなければ何でもいいから、それでよろしくね。」


 本命の命令を聞く限り、その雫さんとやらへの桜屋敷の干渉は、度が過ぎている気がする。しかし、俺の立場上、断るという選択肢は端から存在していない。にしても、俺の祈りは全く意味をなしていなさそうだ。


「なるほど。俺に断る権利が無いことは分かってるから頑張らせてもらうけど、その男って誰なのか教えてもらったりできるか?」


「おっと、ずいぶん物分かりがいいじゃん!それくらいならもちろんオッケーだよ。多分、ハナヤちゃんと同じクラスだと思うんだけど、田嶋たじま りょうって人。分かる?」


「分かる分かる。でも田嶋君かぁ。事務的なことを数回くらいしか、喋ったことない気がする。」


 かなりモテると噂で聞いたことがある程度で俺自身、田嶋 亮に一切興味がないので、人柄など彼の情報で知っていることはそんなに無かった。


「他にいくつか聞きたいことはあるんだけど、とりあえず雫 優桜さんについても聞かせてもらってもいいか?」


「良いけど、優桜めっちゃ可愛いから、好きになるのはダメだからね?。」


「ならんならん。早くしないと始業時間になるから話してくれ。」


「ふ~ん、ホントかなぁ?まぁいいや。じゃ、優桜はね…、」


ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー


 俺は、始業時間の10分前まで時間を掛けて、雫さんについての情報をはじめとして必要そうな情報を話してもらった。しかし、桜屋敷は雫さんの事が相当気に入っているらしく、彼女の個人的な偏りをかなり感じる。


「ありがとう。知りたいと思ってた情報については大体知れたと思う。田嶋君についての情報は信じていないわけじゃないけど、一応、特に仲のいい友達にそれとなく聞いてみようかなって感じ。」


「今教えたことについて、はっきりしない部分もあるから、間違ってたらごめんね。ウチが話した情報がちゃんと無駄にならないように、活かして頑張って。」


「おう。出来るだけのことはやってみる。」


「あと、始業まであと10分あるから一つ目のお願いの一環として、ウチを教室まで送って。ついでに優桜に紹介するから、ハナヤちゃんにとってもプラスだと思うし。」


 俺は頷いた。


 部室から正面玄関に向かう途中、やたらとヒソヒソ話や目線を感じ、改めて彼女が人の目を引き付ける存在であると分からされる。つまり、隣にいる俺は、恋愛感情皆無なのに、大概の男子から嫉妬や怨嗟のまなざしを向けられているという事だ。個人的に、そこまで第三者からの嫉妬や憎しみなどの感情を、いちいち気にするような性格でもないが、流石にこれほどだと、少し思うところもあるというものである。


「あ、ハナヤちゃん。」


「ん、どした?」


 正面玄関で、お互い上履きに履き替えた後に合流して、二人で歩き出すと桜屋敷が話しかけてきた。


「これから毎日、今日みたいに朝部室棟に来て喋ってからクラスまで送ってほしいんだけどいいかな?どうしてもやることがある日とか、学校休む日みたいに来れない日があったら連絡して。あ、これも一つ目のお願いに含まれるから。」


「なら、どっちにしろ断れないし、分かったよ。」


 しばらくそのまま、他愛のない話をしながら二人で歩いていると、彼女の教室に到着した。


「ちょっとそこで待ってて、優桜に紹介するから。」


と言うと、教室の中に走って入っていく。


 二分経つか経たないかの間、教室の前で待っていると、桜屋敷が、黒髪ショートボブの大人しそうな小柄の女の子を伴って、教室から出てきた。


「優桜、この男子が前に話した一つ上のウチの幼馴染で、花浅葱 灯弥先輩だよ。別に仲良くはしなくてもいいけど、これからちょくちょく見かけると思うから、置物程度に知っておいてほしくて。」


「おい桜屋敷、せっかくなら仲良くしてほしいからそんなこと言い方するなよ。雫 優桜さんだよね。俺は2年の花浅葱 灯弥といいます。仲良くしてくれると嬉しいです。」


 確かに、もともと桜屋敷から聞いていた通り、相当な人見知りを発揮しているようだ。雫さんはこっちを上目遣いで見ながら、制服のすそをきゅっと握って体を半分桜屋敷の後ろに隠している。


「し、しし、雫 優桜ですっ。ここ、こちらこそ、よろしくお願いしますっっ。」


「はい。今後ともよr、あっ。」


「はい。今後ともよろしくね。」と言い終わる前に雫さんは教室に走っていってしまう。本人と少し話をしたかったのだが、それはどうやら難しそうだ。


「ハナヤちゃん、めっちゃ怖がられてて面白すぎ。」


 桜屋敷は、雫さんに恐れられている俺の様子がよっぽどツボに入ったのか大笑いしている。いくらなんでも笑いすぎじゃないか?


「とりあえず教室まで送ってくれてありがとね。もしかしたらまた今日中にまた呼ぶことがあるかもしれないけど、また。じゃね。」


「うい、じゃあ。」


 すでに始業までの時間がギリギリだ。俺は桜屋敷と別れてすぐに自分の教室に向けて駆け出した。良い子のみんなは廊下を走っちゃダメだぞ。


 始業時刻、朝のホームルーム開始ギリギリに教室へ駆け込むと、教室中のざわつきが一気に度を増す。どうやら、俺が桜屋敷を教室まで送り届けたことを発端とする、噂や憶測がすでにウチのクラス内までも広がっているようだ。ふと、羽瑞希の方を見ると彼女はぷいとそっぽを向いてしまう。これは…ホームルーム終了後に弁解が必要そうだ。そう考えながら俺は席に着いた。


「告白やなかったんとちゃうん?」


 隣の席から、いつも通りのエセ関西弁が投げかけられた。


「告白じゃなかったけど、ちょっと後でこの件について二人に説明することがある。」


「俺はかまへんのやけど、灯弥に嘘つかれた言うて、はずきんめっちゃ怒ってたから、ちゃんと説明した方がええで。」


「わかった。ホームルーム終わったら一緒に羽瑞希の席に付いて来て欲しい。」


ホームルームを始めるために先生が前に出てきたことを確認し、慧斗は頷くだけに留めた。


「はい。では朝のホームルームを始めまぁす。」


ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー


 朝のホームルームは大した内容の話も無く、いつも通り短時間で終了した。俺は隣の席の慧斗と共に、教室の中でも割と離れている羽瑞希の席へ向かう。


「えっと、羽瑞希、おはよう。」


「……。」


「羽瑞希さん?」


「何?嘘つき。」


――間違いなく怒っている。今までも羽瑞希を怒らせたり、喧嘩したりしたことはあったが、ここまでのレベルは多分初めてだ。実際のところ、俺は何も怒られるようなことはしていないし、賢い彼女ならこの噂や憶測を完全に信じてしまったわけではないと思う。しかしそれでも今までかなり親密に接してきた俺に、嘘をつかれたと考えて寂しくなってしまったのかもしれない。

 しばらくは話を聞いてもらえないと思うけれど、幸いにも今日は一限の先生が出張で自習になっていたはずなので、しっかりと説明しようと思う。

 なんだかんだ言いつつ俺は、この三人で過ごす日常が最高の居心地だと思っているという事実を、改めて認識させられる事となった。

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