透明な世界をもう一度

伊草 推

疑問に思う

残り2日と19日

 残り2日と19日


「おはようございます。」


 建設現場にいる全員に聞こえるような一声を発し、2220年5月28日の今日一日が動き始めた。


「おはよう大塚、今日も一日よろしく頼むな。」「よろしくな瑞樹。」「警備の仕事がんばれ。」


「まぁやることの少ない警備ですけど、今日も一日頑張ります。」


 昨日の朝と変わらないであろう定型的な挨拶をして、警備の仕事に取り掛かる。


 少し奥まった住宅街で人通りの多くない場所での警備の仕事は極単純で3つ。


 1つ目は現場に人が入らないように出入り口付近で立つこと。2つ目は出入りする車両の誘導。3つ目が現場の中や周りを巡回して異変がないかを確認すること。この3つが主な仕事で、あとは買い出しという名のパシリに行かされたり、廃材運びをする程度。


 余った時間は、誘導の時に使う名前もわからない棒をテニスやゴルフをやっているかのように振り回して遊んだり、Aシステムで本やニュースを読んだりするぐらいだ。


 Aシステムは、使いたいと思ったとき、視界内ホログラム状のウィンドウが現れ、様々な操作ができる。


 仕組みとしては、総合情報処理システムPILで処理された情報を各ユーザーにアウトプットするもので、170年ぐらい前から改良がなされてきたものである。


 170年前は端末が必要だったらしいが、現在は身一つあるだけでAシステムを利用することができるというのだから便利になったものだ。


 洞窟などの環境が劣悪な場所以外の全てで利用でき、本当の意味で全人類例外なく利用しているシステムだ。


 できることは、検索でニュースや話題を調べたり、本を読むこともできる。さらに目の前にいる相手の個人情報や健康状態、感情などを把握することができる。他にも、簡易な自動言語翻訳や


 だから大抵の人は暇なとき、何でもできるAシステムを利用して、暇なときは本を読んだりしている。


 だが、いくら暇だといっても職業柄気を抜きすぎるわけにもいかないので、本を読みつつ周りにも目を配るというながら作業が基本になる。


 それに20分に一回程度は勤務しているとアピールするための巡回などもする必要がある。気を抜きすぎるのはいけないことだ。


 本を読んで、巡回して、廃材を拾って、捨てて、体を動かして、ボーっとして本を読む。


 それを一日中繰り返す。


 このいてもいなくても変わらないような仕事に就いている理由は、ただ一つ。派遣されたからだ。


 今、俺はサービスや単純労働全般の労働提供を行っている総合労働会社のRPPで働いている。もう、かれこれ3年は働いていて、今年で4年目だ。


 RPPの会社内容は、業種を問わず人手が足らなくなったところに人を派遣するというもので、農作業からレジ打ち、社内事務まで何でも請け負い、従業員を派遣する「隙間を埋める産業」といってもいいだろう。


 つまり今、建設現場で働いている理由は、この現場の警備員の人出が足りなかったからということ。期間は1か月で、あと2日もすれば、この現場とはお別れする予定になっている。


 じゃあなぜ、総合労働会社なんかに務めてるのかというと、それは大学受験に失敗したからだろう。今の世の中、高校生が大学受験に失敗ときの選べる道は多くはない。


「大学受験を諦めず粘る」「技術職系の職業に就く」「総合労働会社に就く」「職業不定になる」


 どの家庭もこの4つがほとんどで他には道がないと思う。そのうちの中の3つ目を選んだということだ。


 他にも、この進路を決めた理由が一つあると思う。


 それは将来予測だ。


 将来予測は、将来行動予測の略称。名前の通り、将来の行動を予測してどのようなことが起こるのかを明示してくれる。生まれたときに付与されるらしい。


 どうやって予測してるかなんて詳しいことは知らない。だが、高校までの授業では「PILで処理された情報の一つで、遺伝子や周辺環境等を基に予測を行った結果」が将来予測に示される未来だと教えられた。


 その予測で「総合労働会社RPPに就職する」そう書いてあったから、総合労働会社に就いたのだと思う。


 この万能に見えるような将来予測だが、実はそうでもない。その人物の人生に一定程度の影響が認められた出来事だけが結果として表示される。


 だから「料理が期待通りの味じゃなかった」だとか「口内炎ができてすごく痛い」「段差に躓いて右足が痛かった」などのよくあったり、大したことのない出来事などは表示されない。


 逆に、影響が認められた出来事は確実に当てるのが将来予測の恐ろしいところだ。初めて立った日、初めて喋った日などの物心のない頃の予測も外さないという。


 そして、将来予測はAシステムでいつでも誰でも見ることができる。また、家に紙媒体も保存されている。


 さらに言えば、情報管理局にも保存されている。だから情報管理局に行けば、誰でもどんな時でも確認できる。


 まぁ下手すれば親よりも長い付き合いであり、何千回とみてきた将来予測をわざわざ、Aシステムで見たり、紙で確認することなんて無い。ましてや、情報管理局に行って将来予測を閲覧するなどありえないといってもいい。


 事実、少なくとも数か月は自分の将来予測を見ていない。


 どの時期に何が起こるかは大まかに覚えている。だから見る必要もない。




 そんなことを考えていたら昼休憩30分前になっていた。


 少し屈伸や伸びをして体を動かした後


「おなかがすいてきたし、少し早いけど要望を聞いて回るかなぁ」


 と独り言を漏らし、ルーティンワークかのように職人たち全員の食べたい弁当を聞き、そして弁当を買いに行く。


 この受動的パシリともいえる行動は、他の現場では経験をしたことがない仕事だ。


 だが、勤務の初日からなあなあでやっていく内に恒例行事となってしまったため、この現場においては列記とした仕事の一つといえる。


 始まりは、軽い気持ちだった。この現場に入った警備初日、ほとんどの職人がキリの良い所まで手を離せなかったということから始まったのがこのお遣い。


 まぁ仕方ないと思いつつ1日きり1度きりのつもりで始めたものだが、2日目にも一部の人が買いに行く暇がないということで買いに行った。


 3日目には後から頼まれるのも面倒になり、自分から聞きに出向くことにした。


 人間3日も続けば学習するもので、4日目には、昼休憩5分前に要望を聞いて買い物に行くという実質的な職務放棄をするようになった。


 次期に職務放棄の分数は増えていき、今となっては20分前に聞きに行くようになった。


 総合的に見れば、コミュニケーションが取れて現場の人たちと仲良くもなれるし、昼休憩開始時には既に弁当が手元にあり、最高の状態で昼休憩を存分に堪能することができる。


 その上ベテランの職人からは、買ってきてくれたお礼だとか言っておかずをもらうこともある。さらに言えば、スーパーなどでのポイントも貯まる。


 本当にいいこと尽くめだ。




 一方、良いこともあれば、悪いこともある。今日は16人中12人が弁当を買ってきて欲しいという運びになった。


 この規模の弁当購入は初日以来の大仕事。いつも通りの昼休憩20分前から準備をしていたら、昼休憩開始と同時に配るという美がかなわなかっただろう。


 だが今日は、サボるため...ではなく、より効率的に職務を遂行するために30分前から要望を聞いて回っていた。自分の気まぐれという名の機転が功を奏したと思う。


 13人分の弁当を買いに行く仕事をするかと警備の仕事を投げ捨て、スーパーに歩みを始めた。


 買い物に行くまでの道中は基本的にAシステムを起動させ、午前中も確認した仕事のスケジュールを確認したり、誰かから連絡が来てないかなどを確認する。


 今日のスケジュールを改めて確認すると、資材トラックが午後に2台入るという。


 時間の有効活用が可能な時間が搬入2台分消えるのは少し悲しいものだが、仕事がなさすぎるのも考え物だし、丁度いいかなどと思っていたらスーパーに到着した。


 混雑状況を踏まえながら頼まれた弁当を選び、適当に飲み物を籠に入れ、レジへと向かう。


 購入後は、大きめの段ボールを選び、皆の弁当を温めるためにレンジ前を占領する。


 10分程度かけて全員の弁当が温まったところで、昼休憩の3分前。歩いて帰れば、ぴったり休憩時間が始まるだろう。


 自分の時間管理に感動しつつ、両手で段ボールを抱え帰路に着いた。


 現場に戻ると、ラーメンを食べに行った3人と愛妻弁当1人を除く、全員が早々と仕事を切り上げ、弁当の到着を待ち望んでいた。


 弁当を配布し終わり、何気ない雑談しながら弁当を食らった。




 そして、午後の仕事が始まった。


 車の搬入まで暇だからという理由で見回りという名の食後の運動を始めた。


 見回りをしてもやることはなく、多少の雑談と見つけた廃材を拾って捨てる程度。


 食後だからか、はたまた、暖かい陽気だからか気が抜ける。


 あくびをしながら、明日は何を食べようか、と考えていたら入り口付近で立っていたら搬入用のトラックが見えた。


 いつもと変わらぬ動作で流れ作業的に誘導棒を振り、軽く挨拶をした後、車の真後ろに立ちバックの誘導をする。


 すると、トラックの重低音の駆動音が響き、急速にこちらに向かってくる。


 とっさの判断で横に飛んだが、車線上から出られるはずもなく、これは死んだなと覚悟した。


 しかし、トラックは直前で止まり、一命をとりとめた。


 それもそのはず、今どきの車に誤発進防止システムが付いてないはずもない。


 急速に向かってきたように見えたトラックも実際はほとんど動いておらず、駆動音に驚いた自分が横に飛んだだけという滑稽な姿だけがそこにはあった。


「驚かせてごめんね~」


 などと言われ、本当だよと心に思いつつ


「昼過ぎですし、仕方ないっすよ。」


 なんて声をかけ、驚くほど早い鼓動を誤魔化しつつトラックの誘導を行った。




 よくよく考えれば「死んだな」なんて思うのも、ちゃんちゃらおかしい話だ。


 将来予測には既に、自分の死ぬ日付が記載されている。だから、その日まで死ぬことはない。


 因みに、俺が死ぬのは19日後の2220年6月17日だという。死の原因は、自宅の火災だという。


 そう今日から数えると丁度20日後に俺は死ぬ。ある意味今日は記念日だ。


 今まで、将来予測の予測が外れたなんてことは聞いたことがないから、たぶん今日死ぬことはない。


 もし、今日死んだら死んだで、親や友達が将来予測の予測が外れたぞと騒ぎ立ててくれるはずだ。


 それにしても、将来予測は残酷なシステムだとつくづく思う。


 生まれた時には既に付与され、書かれた通りに物事が進む。


 つまり、文字と意味を習った小学校の段階で2220年6月17日に自分が火事で死ぬことはハッキリ理解できてしまうのだ。他にも、大学受験に失敗であろうことも、総合労働会社に就職することも、全て小学生の時点で理解できてしまう。


 だから、文字を読めるようになった時点で自分の一生を理解させられ、そのレールから外れることができない。


 将来予測に抗おうと意味はないのだろう。


 現に俺は、自分の実力を示すために大学受験に挑戦した。だが、駄目だった。


 おそらく、大学受験に挑戦することも予測に織り込み済みなんだと思う。


 将来予測に抗うような動きをこれまでも、試したことがある気もするが、もはや直近の大学受験のことしか記憶には残っていない。




 このどんな未来も見通せてしまう将来予測だが、どうにもよくわからない予測が一つある。


 それは、2日後に示されている“疑問に思う”ということだ。


 この“疑問に思う”は、先生に聞いても両親に聞いても詳しいことはわからないといわれた。


 ただ、父も母も”疑問に思う”が示されていたという。ただ、何があったか、何を疑問に思ったかは覚えていないそうだ。


  小学校の頃、あれほど不思議に思っていた“疑問に思う”は、その心は徐々に薄れていった。


 だが、轢かれかけたのをきっかけに、色々と思い返したら明後日に起こる“疑問に思う”とは何なのかということが気になり、改めて考え始めた。


 それからは、トラックの荷下ろしを手伝いや見送り、巡回等々をしている時も“疑問に思う”のことを考えていた。


 流石に2台目のトラックがきたときは、轢かれかけた教訓を生かすべく気を張って応対したが、それ以外の時は、考えに考え抜いた。


 考えを巡らせたものの何も浮かばず、ボーっと警備をしていたら終業時間になっていた。


 片付けを済ませ


「お疲れ様です。明日もまたよろしくお願いします」


 などという、これまた定型文的な挨拶をし、警備の仕事を終えた。


 そして、轢かれかけたという一大事を反省し、帰り道も気を付けて帰宅した。




 帰宅後は、ルーティーンかのように母が作ってくれた料理を食べ、風呂に入り、明日も仕事だと思いながら床に着いた。


 食事の時には、轢かれかけたことを話のネタにし“疑問に思う”のときの記憶を再度確認したがやはり、両親ともに覚えていないという。


 そのまま話を流そうとすると父は、轢かれかけたことに突っかかってきた。


「お前はいつもぼーっとしてるから~」


 という典型的な説教を聞かされる羽目になった。


 失敗だった。


 説教が終わり一息つき風呂に入れたときも、轢かれかけたなんて余計なことを言わなければよかったと少しばかり後悔のため息が出た。


 言ってることは正しいが、昔のことを持ち出されるのは少しずるい気がする。


 まぁ明日になってもネチネチ言われることもないだろうし、明日も仕事だ。


 切り替えて、風呂を出て、さっさと寝よう。


 そう思い立ち、ぱっぱと日常的雑務を終わらせ、布団に入った。


 寝るためのお供として今日一番のトピックスである“疑問に思う”とは何のことなのかをまたしても考えていた。


 そわそわと色々考えたが、中々にいい案が浮かばなかった。


 その末、思いついたのが、“疑問に思う”ことをこのまま考えていたら“疑問に思う”とは何なのかという“疑問に思う”という結果になりえるんじゃないかなどと考え、こんなことを考えて意味があるのだろうかと疑問に思いつつあった。


 そんなこんなで、頭がこんがり意識は薄れいつしか眠りについていた。


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