第二章 機械仕掛けのあなたでも
第17話 リスタートロード
男は酔い潰れていた。
前日に飲んだ酒はとびきり強く、男の腹を刺激し視界を歪めている。せっかくの良い天気だというのに、男は机に突っ伏したまま動くことができない。
「……最悪だな、くそ」
もう今日は何もしなくていい、酔いを醒ますのに一日使おうと男が決心した時だった。騒々しい足音が聞こえたかと思うと、次の瞬間古ぼけた茶色のドアが勢いよく開け放たれる。
「おはよ! 起きてる!?」
騒々しい声と共に、褐色の肌の少女が飛び込んできた。
男の頭痛は先ほどよりもひどくなった。
「お前よぉ、もう少し静かに起こしてくんねえか? こっちは二日酔いで死にそうなんだからよ」
「うるさいわね、朝ごはんの準備するからさっさと顔洗ってきて」
文句を言いながら、リウは慣れた手つきで卵を焼いている。彼女にどやされながら、顔を洗いに洗面所へ向かうのはこの事務所の責任者兼便利屋『クロートザック』社長であるバグウェットその人である。
立場はそれなり偉く聞こえるが、二日酔いで青ざめた顔とおぼつかない足取りからはとてもそうは見えない。
バグウェットはうるさそうに顔をしかめながら、洗面所へ向かう。
水を勢いよく出し、手で掬い顔にぶつける。鏡に映った自分の情けない顔を見ながら、力無く笑ってみた。
「バグウェット……鏡を見ながら何ニヤついてるんですか。朝からキツイですよ」
そう言ってシギは顔をしかめる、朝から鏡を見ながらニヤける中年男性の姿は中々にくるものがあったらしい。
「うるせえ、こっちは二日酔いに加えて朝からやかましいガキに叩き起こされたんだ。笑顔の一つでも作んねえとやってらんねえんだよ」
「……お気の毒に」
シギに洗面所を明け渡すと、すでにリウは朝食の準備を終えていた。
出来上がったそれらをテーブルに持っていくように促され、バグウェットはしぶしぶとそれを運ぶ。途中で何度か転びそうになりながら、彼はそれをどうにかテーブルまで運びきった。
そして疲れ果てた彼は、リウの皿からソーセージを一本くすねると口に躊躇いなく放り込んだ。
「いただきまーす!」
「いただきます」
「……ます」
三者三様のいただきますと共に、食事は始まった。
トースト、スクランブルエッグにソーセージ、そしてレタスやトマトを使った簡単なサラダ。パッと見は簡単な料理ばかりに見えるが、今までの男二人の雑な料理と比べればかなり文明的になった。
今までの朝食といえば、バグウェットはあのおぞましいカップラーメンを貪り、シギはその辺にあるトーストに砂糖を思い切りぶちまけその上から蜂蜜をかけて食べていた。
シギはまだしも、バグウェットの食事は擁護できない。
リウは助けてもらった恩を返す意味も含め、彼らの食事当番を引き受けていた。
「このスクランブルエッグいい感じですよ、リクエスト通りに砂糖を入れてくれたんですね」
「そうよ、一応目の事もあるからシギ君のには少し多めに入れておいたから」
「ありがとうございます」
兄弟のように和気あいあいと朝食を楽しむ二人とは別に、バグウェットは渋い顔をしながらコーヒーを飲む。
リウの事件から一週間、成り行きから二階の一部屋を彼女に貸し居候させているが、その事をあまりバグウェットは良く思っていない。
彼らは知り合いと同じくらい敵も多い、前回の一件を水に流したとはいえチャイルドホールも今まで以上に彼らの動向に目を光らせているはずだ。
もしそれらと対立した時に、リウは真っ先に狙われる。
その事を二日酔いで使い物にならない頭を使い、バグウェットは考えていた。
「どうしたの? そんな不機嫌そうな顔して」
「別に、なんでもねえよ」
だがバグウェットは結局それを言えないまま、一週間が過ぎてしまった。
本来ならジーニャの所にでも預けるのが正解だろうが、面倒を見ると言って助けた手前それはひどく不義理に思えてしまい、中々打ち明ける事ができなかった。
「シギ、今日は何か依頼入ってたか?」
「えーっと、確か一件入ってますよ。依頼人は昼に来るそうです」
「ならそれまでは昼寝だな、まだ気持ちわりぃし」
そう言って大欠伸をしながら、バグウェットは体を伸ばし皿に残っていた最後のソーセージを食べようとフォークを向かわせた。
だが横から飛び出して来た別のフォークが、彼の代わりにソーセージを貫いた。
「あんたは私の食べたでしょ」
目の前で無惨に噛み砕かれていくソーセージを見て、バグウェットは一日でも早くこいつは追い出さなければと静かに決心した。
「リウさん、ずいぶん馴染んできたんじゃないですか?」
朝食を終え、鼻歌を歌いながら皿を洗うリウを見てシギが笑う。
バグウェットと違い人懐っこい彼は、年の近い同居人ができたのが少し嬉しい。
「どーだかな、まあ生き方以外は器用っちゃあ器用だな」
ソファーに寝転びながら、バグウェットは少し不機嫌そうにそう言って目を閉じる。あの事件から一週間、リウは時折辛そうな顔をしているがそれを二人にはなるべく見せずに過ごしてきた。
その背負いこみがちな生き方は、他人がとやかく言って治るものではない。それが分かっているからこそ、二人は何も言わずただ彼女を見守っていた。
シギは目を閉じたバグウェットを横目に、投影機の修理を始める。
二千七百六十七年現在、テレビはその形を大きく変えていた。
一般に普及したホログラフ技術を用いる事で、過去に使用されていたテレビのような液晶を必要とせず、一家に一台小型の投影機を置く事でホログラフによって形作られた画面を空間に展開する事が可能となった。
画面の大きさは投影機の性能によるがある程度は自由に変えられ、あらゆる操作が全て声で可能となっていた。
リウのいた孤児院には投影機が無かったため、彼女はそれを使っている所を見てみたいと言っていたが、残念な事に事務所に置かれていた投影機は型が古い物だったため、少しばかりの修理が必要だった。
だがバグウェットは絵に描いたような機械オンチ、リウは当然どうすることもできないため、シギが少しずつ修理していた。
「えーっと……これがこうで……赤の線を繋いで……よし! できた! できましたよ、リウさん!」
「ほんと!?」
洗い物を中断し、リウは投影機の前に跳ねるようにやってきた。
二人が息を飲んで見守る中、シギがゆっくりと口を開く。
「今日のニュースを見せてください」
少し間を置いてから投影機の電源が入り、四角いホログラフの画面が投影機の上に映し出された。
映像は少し乱れているが、それでも確かに二人の前に現れたのだ。
『本日のニュースをお知らせします……』
「直った! 直りましたよ!」
「シギ君すごい! 天才だよ!」
二人は抱き合いながら大喜びし、映し出された粗いホログラフと質の悪い音声を楽しんでいた。
「ちょっと、ちょっとバグウェット! シギ君すごいよ! これ直しちゃったの!」
喜びの余りリウは横になっていたバグウェットを揺らす、虚ろな目をしながらしばらく体を揺さぶられ、面倒くさそうに彼は立ち上がった。
「うるせえなあ……別に……うっ……大した事じゃねえだろうよ……」
小さくえずきながらバグウェットは歩き出す、見れば確かに壊れて何も映さなくなっていたはずの投影機が動いている。
シギも喜びながら、自慢げにそれを見せびらかしていた。
「おー……すげえな……うっ……大したもんだ……」
「だよね! だからもっと褒めてあげてよ!」
リウは勢いよくバグウェットの背中を叩く、彼は二日酔いと浅い眠りから揺り起こされかなり体調が悪い。
すでに胃の内容物は、彼の喉元まで迫っていた。
「ほら、せっかく直ったんだからシャキッとしてよ!」
リウはもう一度バグウェットの背を叩いた。
彼女は初めての投影機に浮かれていた。
彼は昨日の酒に酔っていた。
それらが全て最悪の形で重なってしまった、リウの何気ない一撃は彼の喉元まで迫っていた内容物たちに力を与えてしまう。
すでにバグウェットにその侵攻を止める力は、残されていなかった。
彼の口から飛び出た一軍は、病み上がりの投影機へ向かいそれを完全に破壊した。
その投影機がゴミ捨て場に捨てられ、バグウェットが二人の若者に袋叩きにあったのは言うまでもない。
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