第6話 スマイルアロハ

「バグウェット、生きてますか?」


 シギはカウンターに突っ伏したまま、虚ろな目をしているバグウェットを揺さぶる。かろうじて息はあるようなので、そこまで心配はしていないが。


「ジーニャさん、今回は何で殴ったんですか?」


「ビール瓶よ、軽く殴っただけで大げさね」


 軽くと彼女は言うが殴られた本人にとっては軽くではなかったらしい、相変わらず恐ろしい人だとシギは背筋を震わせた。

 気づくとバグウェットはビクビクと体を痙攣させている。


「ちょ……! これ大丈夫なんですか?」


「包帯まいときゃ問題ないわ、シギ君よろしくね」


 ため息混じりに包帯をシギに手渡し、ジーニャは困惑するリウの手を掴んで店の奥へ引きずって行く。自分が一体何をされるのか分からず、ただ流れに身を任せているとバスルームの前に連れてこられた。


「あのー……ここで何を?」


「リウちゃん、今日一日あの馬鹿と一緒にいたのよね?」


 怒ったような不満げそうな笑顔を浮かべながらジーニャはリウに問いかけた、嘘偽りなく素直に答えようとリウは口を開く。


「そうですけど、それが何か?」


「これに座って」


 ジーニャは近くにあった四角い木製のスツールを持ってきてリウを座らせ、彼女の履いていたスキニーの裾をまくりあげた。

 リウの足にはあちこち小さな切り傷や擦り傷に加え、どこかにぶつけたのか痣も数か所出来ていた。


「このスニーカー、サイズが合ってない。これじゃ足を痛めるわ、どうしていつまでもこんな靴を?」


 靴を脱いだリウの足には痛々しい靴ずれが出来ている、どうしてこんなになるまで放っておいたのかジーニャが問い詰めた。


「ごめんなさい、新しい物を買う余裕が無くて……」


 伏し目がちに話すリウ、それを見て何かしらの事情があるのだろうとジーニャは察する。バグウェットからは新しい客を連れてきたという事だけを伝えられ、よろしく頼むというふわっとした頼み方しかされていなかった。

 だが彼がジーニャに少女の世話を頼む以上、目の前の少女の背景には何かただならぬものがあるという事だ。


「いいえこちらこそごめんなさい、別に責めてるわけじゃないから安心して」

 

 その言葉にリウの顔がぱっと明るくなる、先ほどの伏し目がちな顔から切り替えの早さにジーニャの口元が緩んでしまった。

 本当に素直で嘘が吐けない子なんだなと、どうしようもなく愛おしくなり頭をクシャクシャと撫でた。


「よし、お風呂入ろっか!」


「え?」


 唐突な言葉に頭が追い付かない、その言葉を理解する前に光の速さで服を脱がされ、リウはバスルームに引き込まれた。



「ちくしょう……あいつ……ちったあ手加減しろってんだ」


 頭に包帯を巻かれたバグウェットが立ち上がる、リウの事を伝えるまでは良かった。

 ジーニャも突然の頼みに困惑こそしていたが、すぐに受け入れてくれた。問題はその後で、営業時間前に来るなと何回言ったら分かるのかとジーニャに責められ、彼はついつい口答えをしてしまったのだ。


 そこからは一瞬だった、あっという間にビール瓶が頭に振り下ろされ彼はいつものように頭から血を流す羽目になった。


「懲りないですね、その内ほんとに死にますよ」


 シギは水をグラスに入れて持ってきた、差し出された水を一口に飲み切り煙草を吸うためにバグウェットは外に出た。

 すでに日は落ちており、いくつかの街灯の明かりが辺りを照らすが、そんな小さな明かりでは誤魔化しきれないほどの寂しさが店の外に広がっていた。

 

 店から少し歩いた場所にあるベンチに腰掛け、バグウェットは煙草を口に咥える。火を点けるためライターをポケットから取り出そうとした時だった、彼の背後からライターを持った手が現れる。

 バグウェットはそれに動揺する事なく、煙草に火を点けた。


 手の主は図々しくバグウェットの隣に腰掛ける、ブラウン系のサングラスをかけた軽薄さと胡散臭さを兼ね備えた男だった。


「どーもぉ旦那、こんな時間に一人煙草たぁ渋いですね」


「……何の用だオルロ」


 あからさまにめんどくさそうな顔をするバグウェット、だがオルロはそれを気にする様子も無く自身の煙草に火を点けた。

 サングラスにナチュラルで網目の細かいパナマハット、アロハシャツにハーフパンツとラフな格好をしており、少し季節外れのようにも感じるが男にそんな事は関係なく年中このスタイルを貫いていた。


「大切なビジネスパートナーにそんなおっかない顔しないで下さいよ、前回の仕事の時だって上手くやったじゃないですか」


「よく言うぜ、俺らを残してさっさとトンズラこきやがったくせによ」


 バグウェットは何度かオルロと組んで仕事をした事がある、だがこの男はまったくと言っていいほど信頼できない。自分の身が危ういとなれば即逃げだすような男だ、バグウェットがオルロと組んでスムーズに仕事が終わった事などただの一度も無い。


「あんときはグロットルの野郎がまさか新型のパワースーツを引っ張り出してくるなんて思わなかったんでね……ま、戦略的撤退ってやつですよ」


「……お前のそういう所は尊敬するよ」


 そりゃどうもと高笑いするオルロ、この男は初めて会った時からこの調子だ。軽薄そうに見えるが、物事の引き際や人を見る目はフリッシュ・トラベルタでも群を抜いている、加えてどこか人を引き付けるカリスマ性を持ち合わせており様々な組織とのコネクションも多い。


 無理難題を命をかけて解決するタイプではなく、確実にこなせる依頼を確実にこなす見た目とは真逆の堅実な仕事ぶりはこの街でも高く評価されている。

 とはいえ、バグウェットが彼に多大な被害を被っているのは間違い無く事実であり、オルロに対する彼の評価を改めさせる材料にはなり得ないのだが。


「それで旦那はどうです? 景気の方は」


「景気が良い事なんて一度もねえっつうの、お前の方こそどうなんだ?」


 オルロの口角がわずかに上がる、サングラスの奥の瞳は見えずこの男の真意を測るには余りにも情報が少ない。わずかに上がった口角だけを見て、気分良く笑っていると断じることのできる浅い男ではないのだ。


「ぼちぼちですよ、ただどうにも人には恵まれらしい。今の依頼人もの良い人ですから」


 バグウェットの顔が僅かに曇る、それはこの男の言葉の意味を理解したからに他ならない。


「……チャイルドホールと仕事してんのか」


 チャイルドホールはフリッシュ・トラベルタに拠点を置く裏組織の中でも最大規模の組織だ。暗殺、武器や麻薬の売買などあらゆる汚れ仕事を請け負う、そして彼らの活動資金を稼ぐ手段としてもっとも利益を上げているのが人身売買、それも子供を扱ったものだ。


 子供は扱いやすく、また大人と違って警戒されにくいという事から戦闘員として欲しがる組織は多い。もちろんそれ以外の目的で欲しがる、頭のイカれた金持ちも多い。


「まぁ末端も末端ですけどね、金払いがいいんで話を受けたんですよ」


「そうか、良かったな」


 もっと何か言ってくるのではないかと期待していたオルロは、バグウェットの反応の薄さに肩透かしを食らってしまった。


「旦那も良かったら一口噛みます? 仕事の内容は物探しなんですど」


「何を探せってんだ?」


「銀色のアタッシュケース、こういう感じのです」


 見せられた写真には、ありふれた銀色のアタッシュケースが映っている。これと同じ見た目の物がこの都市だけで数百から数千はあるだろう、この広いフリッシュ・トラベルタで目的のアタッシュケースを探すのは不可能に思える。

 

「お前……これを探すのか? 無理だろ」


「それがどうにかなるらしくて」


 オルロはポケットから手に収まる程度の大きさのレーダーを取り出した、スイッチを入れて見せられたがバグウェットは電子機器に疎いためよく分からなかった。

 

「んなの見せられても分かんねえよ、それでケースが見つかるのか?」


「ブツの内部にある発信機の信号を捕まえて場所を教えてくれるんですけど、依頼人曰く急いで取り付けたから信号が弱いやつを付けちゃったらしく、半径五百メートルまで近づかないと駄目なんですよ」


 バグウェットは話を半分ほど聞いていなかった、というよりも聞いていたがよく分からなかった。

 彼の電子機器に対する理解度の低さ、適応力の低さは目を見張るものがある。


「……何でもいいけどよ。お前そんなにベラベラ俺に仕事の話していいのか?」


「いいに決まってるじゃないですか! 俺と旦那の仲でしょう?」


 オルロは仲のいい友人のようにバグウェットの肩に手を回そうとした、だがそれをひらりと躱され空ぶった手を慰めるようにさする。

 二人の煙草はもう燃え尽きそうだ。


「じゃあ俺は行きますね、今度飲みにでも行きましょう。奢りますよ」


「次に会った時にお互い生きてたらな」


 近くにあった錆びの浮いたスタンドタイプの灰皿に吸い殻を押し込み、オルロは帽子を上げて軽く頭を下げると闇の中に消えて行った。

 バグウェットも煙草を吸い終え、自身の携帯用灰皿に吸い殻を入れ店に戻るために歩き出した。





「お疲れ様です」


 道を歩くオルロに五人の男たちが声をかけてきた、黒のスーツに身を包んだ男たちは彼に頭を下げる。


「首尾は?」


 彼の問いに即答する者はいなかった、全員が言いづらそうに目線を背ける。少しの沈黙の後、一人がどうにか声を絞り出した。


「……まだ見つかっていません。申し訳ありません」


 口を開いたのは、先日オルロの組織に入ったばかりの若者だ。彼はそこらの路地裏にいるような不良だった、夢も希望も無くただ自分の内にある不満や怒りを誰かに暴力を振るう事でしか発散できないようなありふれた男だった。


 だがある時オルロに救われた事をきっかけに、強い憧れと共に彼が率いる組織であるリリアックに加わったのだった。


「そうか……」


 この場にいた五人は彼とまともに話した事がまだ無く、オルロの人柄というものを未だに掴めずにいた。だが、目の前にいる彼の沈んだ声から自分たちの暗い未来を想像し怯えていた。


「ま、元から無理ゲーなんだ。気にするこたねえ」


「え?」


 驚くほどに軽い、彼の羽毛のような言葉に五人は驚かざるを得ない。

 もっと手厳しい罰があると覚悟していた、最悪この中の誰かが殺されるくらいの事はあるだろうと思っていたがそれをあっさりとオルロは裏切った。


「依頼人もそう簡単な事じゃねえって分かってる、だから俺たち以外にも人を雇ってんだからよ」


 呑気に歩き出したオルロと対照的に、五人は状況を飲み込めず立ち尽くしてしまう。それに気付いた彼はいたずらっぽい笑みを浮かべ、五人に近づき最初に口を開いた若者の肩に手を回した。


「な~んだよ、もしかして俺が『この役立たずが! ぶっ殺してやる!』みたいに言うと思ってたのか?」


 おどけて喋るオルロに肩に手を回されながら、若者は恐る恐る首を縦に振る。

 他の四人も同意の色を顔に浮かべていた。それを見てオルロは大きく、重いため息を吐く。


「ひっじょーに心外だな、俺そんな感じに見えるのか?」


 そう言いながらも彼らの心情を理解できないほどオルロは愚かではない、組織の末端にいる若者たちを捨て駒として使う組織は多い。そして彼らが組織に入って日が浅く、自身との交流がほとんど無い事も彼は知っている。


「優秀だなお前ら」


 思いがけない賛辞にまたしても困惑する五人、オルロは若者の肩から手を外し彼らの前に立った。


「それでいい、今はまだ俺の事を信じるな」


 先ほどとは違う芯のある声。

 全員が一言も聞き逃すまいとオルロを見ている、彼もまた真っ直ぐに彼らを見た。


「ま、ゆっくり知り合おうや」


 途端に力の抜けた事を言ったオルロ、だが彼の言葉は確かに五人の緊張を和らげていた。背を向けて歩き出した彼の後を、まるで親の背中を追いかける子供のように歩き出した。


「そういえば、一つお聞きしたいことが」


「なんだ?」


「何故あの男に仕事の話を?」


 今回のアタッシュケース捜索の依頼、リリアックの他にローグファミリーという別の組織も関わっている。規模はオルロたちの二倍程度で構成員は三度の飯より暴力が好きな人間の寄せ集め、そんな人間たちとの仕事はかなり荒れる可能性があった。


 しかも今回の報酬は、ケースを見つけた組織に払われる。

 例えオルロたちがケースを見つけたとしても、彼らがそれを奪いにかかる事は明白だ。若者にはあのくたびれた男が、そんなケース争奪戦に参加したとしても意味が無いように思えた。加えるならば急いでケースを見つけなければいけない中で、わざわざ時間を割いてあの男に自分たちのボスが会いに行ったことが、不可解で仕方なかった。


「見れたらいいなと思ってよ、旦那がローグの奴らとやり合うのがさ」


「あの男……一体何者なんですか?」


「奴の名はバグウェット、フリッシュ・トラベルタで一番……生きるのが下手な男だ」


 そう言って口角を上げてオルロは楽しそうに笑う、先ほど彼はを信じるなと言った。だが五人の目に映ったオルロが、嘘を吐いているようには見えなかった。

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