第2話 クレイジーシティ

「うう~臭い」


 卵が腐ったような喉の奥に引っかかる悪臭から逃れるため、リウは目を細め鼻を強くつまむ。

 空は雲の切れ間から時々青さを覗かせたが、すぐに灰色の雲がそれを覆い隠してしまう。予報では雨は降らないらしいが、それを疑いそうになる嫌な空模様だった。

 狭い路地は身なりの悪い男が数人いるばかりで閑散としている、時折吹く風が新聞の切れ端を遊ばせているのが余計に寂しさを感じさせた。


「慣れですよ、慣れ。そのうち何も感じなくなりますから」


 シギはそう言ってニコニコと笑っている。

 今の所まったく慣れそうにない悪臭に顔を歪めながら、リウは彼に手を引かれていた。


「ったく……何が楽しくてガキ二人連れて出かけなきゃいけねえんだ。まだ車輪付いた風船の犬と散歩した方が気楽だぜ」


 バグウェットはぶつくさと文句を言いながら歩く、結局あれからバグウェットはリウを追い出そうとした。

 リウ自身も早々に出て行こうとしたが、目的地の住所が書かれているメモを見ても行き方がよく分からない、そのためリウは二人にメモの場所まで案内をしてくれと頼んだ。


 だが彼らにも予定がある。

 事務所に置いていこうかとも考えたが、素性の分からない少女を一人置いていくわけにはいかない。仕方なく二人に同行させる形で連れてきたという訳だ。

 事務所からメモの場所までは少し距離がある、時間までは書かれていなかったのでバグウェットたちの用事が終わったら案内をする形を取った。

 

「はぁ? 何言ってんのか分かんないけど馬鹿にしてるって事だけは何となく分かるんだからね!?」


 今にもバグウェットに噛みつかんとするリウを、シギが優しくなだめる。

 バグウェットは人の感情を逆なでするのが得意という訳ではない、単純にリウとの相性が悪い。


「落ち着いてください、凄く頭悪そうなこと言ってますよ」


 怒りが落ち着かない彼女となだめるシギを放って、バグウェットは歩き続ける。


「ああいう人なんです、勘弁してやってください」


 自分を落ち着かせるようにリウは大きく深呼吸した、自分は絶対あんな奴とは仲良くなれないなと心の中で結論を出しシギを見る。

 シギは本当に申し訳ないという顔でこちらを見ている、そんな顔をされてはリウも怒りを収めるしかない。


「わかった、もういいよ」


 少し突き放した言い方になってしまったが、言葉の真意は伝わったらしくシギはまた笑顔をつくるとリウの手を引いてバグウェットの後を追いかけだした。

 三人は路地を抜け大通りへ向かう、あんなに閑散としていた路地と違い大通りは人でごった返していた。


 道に並んだ数えきれないほどの店、けたたましく鳴るクラクションと飲み込まれてしまいそうな雑踏にリウは眩暈を覚える。

 どこを見ても人、人、人……人がいない場所を探すのが世界で一番難しい都市、それがフリッシュ・トラベルタだ。


「今日は何かあるの? お祭りとか?」


「ありませんよ、ここではこれくらいが普通です。むしろ少し少ないくらいですよ」


 シギが嘘を吐いていないのは分かる、それは分かるがリウはやはり信じられない、これだけの人出があるのはグランヘーロでは都市祭などの催し物がある時だけだ。

 あっちの大通りの人出などここと比べれば、さっきまで歩いていた路地裏みたいなものだろう。


「まぁここは世界でも五指に入る都市ですから、驚くのも仕方ないと思いますよ」


 二千七百六十七年、世界は五度の世界大戦を経て国という概念が無くなった。

 百九十六あった国々は繰り返される戦いの中で数を減らしていき、第五次世界大戦が終結した二千六百九十二年には八十二までその数を減らしていた。それから近くにあった国同士が寄り集まり、巨大な都市が造られていった。

 出来上がった都市は国と呼んでもいい程の規模だったが、繰り返される国家間の戦争の中で人々は国という名詞に嫌悪感と怖れを抱いてしまった。

 そう言った経緯から国では無く、そのまま都市と呼ばれていた。


「見えてきましたよ。あれがこの街のインフラの要ライポートです」


 立ち並ぶ巨大なビル群。それよりもはるかに大きく巨大な煙突が目に入った、天を突かんばかりのその威容に圧倒されリウは思わず声が出そうになった。

 

「上下水道や発電所等の生活に欠かせない施設があの敷地内に全部あるんです、少し欲張りすぎな気もしますよね」


 当然ながら敷地の広さも尋常ではない、シギによれば端から端まで歩くと半日ほどかかる広さらしい。

 そんなものが街のど真ん中にある、それだけでこの都市の大きさを理解できた。


「少し急ぎましょう、バグウェットを見失いそうですから」


 後ろを振り返らずに歩くバグウェットは、その凡庸さから人混みに紛れてしまいそうだ。

 二人は急いでその後を追った。



 大通りをしばらく歩いた後、三人は脇道にそれた。薄暗い路地を歩き、錆びた階段を下りた先にあったのは危ない雰囲気を漂わせる地下街だった。

 薄暗い路地に所狭しと並んだ店は、どれも地上の店とは違う雰囲気を放っている。店の入り口からチラチラ見える従業員たちは人相が悪く、商品も乱雑に置かれていた。


 客たちも従業員に負けず劣らず人相が悪く、刺青を入れている者や顔に普通に暮らしていれば付かないような傷のある者などがおり、殺伐とした雰囲気が辺りに漂う。

 嫌に湿った空気は鉄臭さと生臭さを混ぜたような臭いがする、絶対に長くいてはいけない場所だという事をリウは理解していた。


「ねぇ、ここほんとに大丈夫な所なの……?」


 震えた声を漏らしながらリウはシギの手を強く握っている。


「びびってねぇでさっさと歩きやがれ、シギだけで不安なら俺も手を握ってやろうか?」

 

 ニヤニヤと笑いながら振り向いたバグウェットの顔面に拳がめり込む、突然の事で躱すことが出来なかった。涙目になりながら彼は鼻を抑える。


「お前……鼻はやめろって……」


「誰があんたの手なんか握るか!」


 仕方なさそうにシギはポケットに入っていたティッシュを丸め、バグウェットに手渡した。鼻に栓をした中年男の姿は、実に間抜けで笑える姿だった。

 

「命の恩人に対してその態度はねぇだろうが! ラーメン返せボケ!」


「あんたに助けてもらってなんかないわよ! 命の恩人っていうならシギ君よ! 大体あんなくそまずいラーメン如きでぎゃあぎゃあ騒がないでよね!」


 リウの迫力は凄まじかった、バグウェットを相手にして一歩も引かない。

 凄い子を拾ってしまったとシギは表情に出さずに驚いていた、そしてそれと同時にちょっとした悪戯心がシギの中に生まれた。


「置いて来いとか言ってましたからね、さすがに命の恩人は無理があるんじゃないですか?」


「おまっ……!


 自身の敗北が確定したことをバグウェットは悟る、シギに文句を言うのは後回しにして彼は退くべきだろう。目の前の少女の口角が上がる前に。


「おっと時間がやべぇ、先行くぞ!」


 早歩きで逃げだしたバグウェットを二人が追いかける、リウは後ろから罵声を浴びせるがバグウェットには耳を塞いで逃げられてしまった。

 

 

 地下街の一番奥にその店はあった。

 殺伐とした色の無い店が多い地下街の中で、その店はかなり異様な佇まいだった。店の入り口では様々な色の電飾がギラギラと輝き、来る者の目を潰しにかかっている。

 入り口に置かれた美しいブロンドの女性人形は『ご新規さん大歓迎!! ただいまキャンペーン中!』というポップを持ってにこやかに笑っていた。店の名前はアグリーアタッチメントとなっている、一体ここは何の店なのかリウにはまったく想像がつかない、そうやって躊躇っている間に他の二人は流れるように店に入ってしまった。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 二人を追って両開きの自動ドアを通り店に入る、店内は甘く柔らかい匂いで満ち満ちている。

 ずっと嗅いでいると頭がとろけてしまいそうな、そんな甘い匂いだ。

 店内はそこまで広くない、入り口からすぐの所に大きめのガラスケースが置いてあり中には黒光りする義手がいくつか置いてある。


「おーい! 今日予約入れてたよなー!」


 店の奥にバグウェットが声を掛けると、少ししてドタドタと奥から走る音が聞こえてくる、後方にあったドアから若い男が慌てた様子で出てきた。


「珍しいじゃないスか時間通りに来るなんて」


 随分と奇抜な格好をした男だった。

 ピンクのタンクトップに緑のハーフパンツにサンダル、髪は爆発したような有様で右側が青色、左が赤という訳の分からない頭をしている。

 瞳は深い青色をしており、綺麗と言えなくも無いが少し血色の悪い顔のせいでそのポテンシャルを引き出せずにいるようだ。首元にはジャラジャラと趣味の悪いネックレスがかかっており、男が体を動かすたびにぶつかってうるさい。


「まあ……たまにはな。前みたいにドリーミーをキメた状態で整備されても困るしよ」


「ははは、ならツイてるっスね、良いのが入ったんで試そうかと思ってたとこだったんス」


 ははは、と笑い合う二人。だがバグウェットの目は笑っていない、以前トリップ状態で整備され、二日と持たなかった事を思い出していたからだ。

 奇抜な男の瞳はバグウェットの後ろにいた二人を映す。


「やあやあ久しぶりっスねシギ君、ドリーミー吸うっスか?」


「お久しぶりです、僕は常にハイですから大丈夫ですよ」


 この二人が会うのは一週間ぶり。久しぶりと呼ぶには短い時間のような気もする、そしてその事にシギも気づいているがあえて触れない。久しぶりと言われれば久しぶりと返す、それが優しさだとシギは考えていた。


「おやおやぁ? そちらのキュートな子はどちら様スか?」


 その容姿にリウは面食らっていたが、男が思ったよりも軽く話しかけてきたので少し警戒を緩めた。


「初めまして、リウ・バスレーロです」


「リウちゃんスか、かーわいいっスね! 俺はアグリー、バグさんの整備士やってるっス」


 そう言って舐めまわすようにアグリーはリウを見る。

 視線は足から上がり、最後は顔で止まった。へばりつくような視線に耐えられなくなり、リウが文句を言おうとした時だ。


「もういいだろ、禁断症状出る前にさっさと頼む」


 視線を言葉に遮られ、若干不満げにアグリーは奥に道具を取りに行った。

 彼を待つ間にバグウェットはコート脱いでシギに預ける、よれたワイシャツを脱ぎ白い肌着だけになってリウは初めて気づいた。


 バグウェットの右腕は自然の物では無いという事に、黒く光沢のある武骨で飾り気のない義手だったのだ。肘の辺りから義手に代わっており、太く頑丈そうな印象を受ける。

 更に体にはいくつもの傷があり、切り傷や銃で撃たれたような弾痕が肌着に覆われていない部分だけでも十ヶ所以上ある。


「あんま見んじゃねぇよ、穴があいちまうだろ」


 リウはバグウェットの言葉通り、穴があくほど彼の身体を見てしまっていた。そんなつもりではなかったはずだが、何故か目が離せなかった。

 穴があいちまうと言って小さく笑った彼の顔は印象的だった、また文句の一つも言われるかとリウは思っていたというのに。


「お待たせっス、じゃあ腕をここに。あとお二人さんこれどーぞ」


 店の奥から戻ったアグリーは、整備用の台座と待つことになる二人の為に椅子を持ってきてくれた。ガラスケースの上に置かれた台座にバグウェットが腕を置くと、ガシャンと重そうな音がした。

 アグリーが整備用のゴーグルをかけ作業が始まった、まずは義手の神経を切る。次に専用の器具を使って外装を外す、ここから義手内部の点検が始まるのだがこれがまた難しい。


 本物の腕に負けず劣らず繊細な動きをする義手の内部は、ミリ単位で部品が並んでおり、下手にいじれば義手は簡単に壊れてしまう。

 もちろん薬をキメて整備などは言語道断、時間が無い時でなければ絶対にさせない。


「あー、ちょっとネジ緩んでるっス。てか前の点検から油差したっスか? 結構摩耗しちゃってんスけど」


「冗談だろ? 三日に一回ちゃんと差したぞ」


「うーん、じゃあワンランク上の使ってみるっスか。今ならお安くしとくっス」


「お前も商売下手だな」


 整備中やる事のない二人は椅子に腰掛けて大人しく待っていた、リウは初めて入った義手の店が珍しいのか店内を何度も見渡している。


「珍しいですか? 義手」


「そう……だね、あんまり向こうでは義手の人なんていなかったから」


 グランヘーロの規模はフリッシュ・トラベルタの十分の一程度、凶悪な犯罪組織等の拠点も無い。治安部隊もしっかりと機能しており、老後に暮らしたい都市ランキングはいつもトップテンに入っているほどだ。

 そんな都市ならば突然ゴミ箱が爆発することも、食事をしていて突然銃撃戦に巻き込まれることも無いだろう。義手を見慣れないのも無理はない。


「良いですね、僕も機会があれば行ってみたいです」


「そういえばずっと気になってたんですけど、どうしてわざわざこんな所へ?」


 いま聞くんだとリウは驚いた、なぜここに来たのかずっと聞かれないため彼女はついつい話すタイミングを失ってしまっていた。

 道案内を頼んだ時も、大して詮索してこなかったのだから。


「……パパに頼まれたから」


「パパ?」


 照れながらリウは頷く、どうやら彼女にとって大切な人なのだろうとシギは理解した。


「孤児だったんだ私、産まれてすぐに捨てられてさ。それでパパの孤児院に引き取られたの」


 シギは黙って話を聞く、下手に相槌を打たない方が相手も話しやすいだろうと彼なりに気を使っていた。

 

「パパはすっごい優しいの、孤児院の経営も楽じゃないのに街にいる孤児をどんどん引き取っちゃってさ」


「孤児? グランヘーロにも孤児がいるんですか?」


「いるよ、子供を愛せない人はどこにだっている、外に捨てられる子はまだなんとかできるけど、家の中に捨てられてる子も多いの」


 両親を失い彷徨うだけが孤児ではない、両親のいる孤児もいる。

 彼らは家庭内孤児と呼ばれグランヘーロではこちらの方が多い、通常の孤児院は浮浪者の孤児を引き取るものでそういった見えない孤児は対応できない。というよりも対応していない。


「パパはそういった子も見つけて親にお金を払ってでも引き取っちゃうの、ほんと優しすぎるよね」


 そう父親の事を話す彼女は非常に誇らしげだった、両親に捨てられ死を待つばかりだった彼女を救い温かな食事と寝床、そして愛をくれたのは間違いなく彼なのだから。

 彼女はそんな父親を心から好いていた。


「ごめん話がそれちゃったね。どこまで話したっけ……そうそうあのアタッシュケースをメモの場所まで持って行ってくれっていきなり頼まれたの」


「でもあんまりじゃないですか? かなりの距離あるって知らないわけじゃないと思いますし、いくら何でも丸投げすぎると思うんですけど」


 シギのいう事はもっともだ、ここまでグランヘーロからかなりの距離がある事をとやらが知らないわけがない。リニア等の交通機関を使わせるならともかく、身一つで放り出すとは余りにも無責任が過ぎるのではないか。


「お金は出かける前に少し渡されたよ、それに……」


「それに?」


「パパが頼ってくれたから、それに応えたかったの」


 そう言って笑うリウ、少し無茶な頼みであっても応えたい。そう思うほどに彼女の中で父親の存在は大きかったのだ。

 そんな彼女をシギは憐れみを込めた目で、気付かれないように静かに見ていた。

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