第4話 息のできる場所

「完璧だ! 朽ちず年を取らない体! 私たちはここに人類の夢である『不死』を完成させたのだ!!」


 声が響く、両目を抉られたからだろう。いつもよりも、良く聞こえるその声は高揚している事が容易に感じられるような声色だった。

 鼻にこびりついた眩暈のするような薬の臭い、自分が横たわる実験台の冷たさをどうか知ってはくれないだろうか。

 無理だと分かっている、その願いがどれほど無意味なものかという事を知っている。

 金属の触れ合う音が聞こえる、またあれが来る。


「どれだけ傷付いても再生する! 素晴らしい! 凄い! すごいぞ!」


 暗闇の中で激痛に喘ぐ、どこが刺されるのかどこが切り開かれるのか分からない。

 声を上げられれば少しは楽になるはずだ、だが溢れるのは鉄臭い血ばかり。

 声を出すところは、少し前に切り取られていた事を忘れていた。

 自分の体を褒めそやす者は、どうやら自分の悲鳴は気に入らなかったらしい。


 --痛い……痛い……誰か……助けて。


 死なない体が疎ましい。

 抉られた目なんてもういらない。

 切り取られた喉もいらない。

 腕もいらない。

 足もいらない。

 刃物を突き立てる場所が無くなれば、抉る場所が無くなれば、切り取る場所が無くなれば。

 きっともう痛い思いをしなくていいのだろうから。

 この檻の中から出ていける。


 そんな忌むべき記憶の奥の奥、誰かの声を思い出しかける。

 誰だったか、忘れてはいけない誰かの記憶でも忘れたい誰かの記憶。

 


 「どうしたの? ボーっとして」


 アイリスに声をかけられ我にかえる、いつも『誰か』の事を思い出そうとすると、決まって心がどこかに行ってしまうような感覚に陥るのだ。

 大事なことは何一つ思い出せないくせに、ろくでもない記憶ばかり掘り返してしまう。


「ちょっとな、で感想は?」


「すっっっっっごい!!」


「お前の語彙力は成長しねぇなあ……」


 『世界が見たい』といったアイリスを連れ、今日は山の頂上に来ていた。

 頂上から見る景色は絶景にほかならない、眼下に広がる景色は普段いる場所とは違う所に来たという事実を強烈に叩きつけてくる。

 虫食いのように残された森、荒れ果てた大地は下で見る時は何とも思わないのに少し視点を変えただけでこうも見れるようなる。


 アイリスを連れての旅ももうじき一ヶ月になる。

 燃え盛る大地、時間を繰り返す森、火の信奉者の街、人食いビル群……美しいともおぞましいとも言える場所の数々を二人は見た。

 今日は山が見たいと言われたので、まだ火に焼かれていないかつ緑が残る山を選んで訪れている。

 アイリスは大きく息を吸った、山頂の冷たい澄んだ空気が胸を満たしていく。

 写真で見た山とは比べ物にならない、木々のざわめきも心地よく脳を揺らす。


「さて、次はどこが見たい?」


「うーんとね……」


 そう言って、ニゲラは背中のリュックから古ぼけた一冊の本を取り出す。

 ずっと昔、人がまだ自然を楽しむ余裕があった頃の遺産。

 各地の絶景をまとめた、およそこの年の少女が読まないような雑誌は、ニゲラが拾ってアイリスに手渡しだものだ。それを見ていつもどこへ行きたいか選ばせていた。

 いつも行きたい場所を決めるのは時間がかかる、それも仕方ない事だとニゲラは受け入れていた。

 本に載っているのは見た事も無い場所ばかり、好奇心の塊のようなアイリスには中々に決めがたいだろう。気長に待とうと遠くを眺めていた。

 思っていたよりも早くズボンをくいくいと引かれ、アイリスの方を見た。

 

「ここ! ここ行きたい!」


 開かれたページに映っていたのは、水平線から顔を覗かせる太陽だった。

 なるほど、これは自分の目から見ても中々いい写真だとニゲラは感心してしまった。


「海かぁ……遠いけど大丈夫か?」


「最近は調子いいから大丈夫!」


 この一ヶ月で一番苦労したのはアイリスの食事だ。

 残り火に対する耐性がないアイリスは、その辺で売っている食材や水は口にすることが出来ない、加えて残り火の影響を受けていない食材は中々手に入らない。


 それでも何とか手に入れ節約しながら与えていたが、十分な量とはいえず最近は体調を崩しがちだった。

 だがアイリスが弱音を吐くことは一度も無かった。


 アイリスは、少し抜けていて気遣いができて、我慢強くて朝に弱い。一ヶ月程度の付き合いだが分かってくることは多い。単純に裏表がなく隠し事ができないだけなのかもしれない、悪く言えば底が浅いともいえるのだろうか。


 山を下る頃には日が暮れ始めており、下り切った頃にはすでに太陽は隠れてしまっていた。

 今日の寝床に決めた朽ちた廃屋に入り大きい瓦礫をどかし、寝るためのスペースが出来上がるや否やアイリスはバックから紙とペンを持ってきた


「ねえねえ、昨日の続き! 早く教えてよ!」


 最近はもっぱら文字の勉強に勤しんでいる、理由としては雑誌を読んでいる時に読めない文字があったかららしいがどうやら他にも理由があるらしいが理由を聞いても決まって、

 

「内緒!」


 と言われるので未だに真意は掴みかねる。


 勉強は簡単な文字の読み書きから始まり、旅の途中で本を適当に拾い、その中から単語を抜き出してその意味を教えるといったものだ。

 ニゲラの隣にアイリスがくっつくように座り、勉強は始まった。


「これは?」


「これは、いのちって読むんだ。どんな人間も一個しか持ってないものだ」


 自分で言って笑えてきた、その理屈なら自分は人間ではないらしい。

 死なず、老いのない体。この体を疎ましく思う事は山ほどあったが、良かったと思う事は今まで一度も無く、優れているとも思えない。


「ふーん、ならニゲラは何個もいのちを持ってるんだね?」


 命というものを概念的なものではなく、物として捉えられる実に子供らしい言葉だった。

 

「良かった、ニゲラが何個もいのちを持ってて」


「どうしてそう思ったんだ?」


 繰り返すようだが、ニゲラは自分の体を優れていると思った事は一度も無い。

 当たり前だろう、こんな世界で長生きする事に意味はない、むしろ死んでしまったほうが幸せまである。

 終わりがあるという幸福をもっと噛みしめてほしいものだ。

 だから教えてほしかったのかもしれない、狂気を孕んだ言葉ではなく、純粋な言葉で。

 

「だってもしニゲラのいのちが一個しかなかったら、こんな風に話せないでしょ?」


 そう言って自分を見るアイリスの目は、視線を重ねる事を懺悔しそうになるほど澄んでいた。

 真っ直ぐに、淀んだ沼のようなニゲラの目を見る。

 

 アイリスが弱音を吐いた事は無い、正確には自分の事ではだ。

 満足に食料を確保できず、ひっきりなしに腹の虫が鳴いていたときも、今日はお腹が元気だねと笑って見せた。

 三日ほど高熱にうなされ、満足に寝る事すら出来ない時も看病しているニゲラに、熱にうなされながらありがとうを言い続けた。

 転んでも泣かなかった。

 拳大ほどもある虫が肩に止まった時は、さすがに泣き出しそうだったが、それでも泣かなかった。


 アイリスが泣くのはいつも決まって、ニゲラが怪我をした時だ。

 道中ニゲラは何度も怪我をする、五十メートルの高さから頭から落ち、火あぶりにされたと思ったら続けて串刺しにされた、毒を盛られ盛大に血を吐き出した事もある。


 当然のように起き上がるニゲラだったが、目を覚ますと必ず大泣きするアイリスが傍らにいた。

 自分に縋りついて、涙と鼻水だらけになりながら泣く姿はとても見ていられるものではない。

 大怪我をすれば泣く、死んでも当然泣く。

 アイリスは馬鹿ではない、ニゲラが死なない事が分からないわけでは無いだろう。

 だが彼女は泣くのだ、起き上がると分かっていても泣くのだ。火の点いたように世界の終わりのように泣く。

 だからニゲラは気安く死ねなくなった。怪我も出来ないようになった、死なないせいで自分の体にはとことん無頓着になっていたが、そういうわけにもいかないらしい。


 自分の腕の中で泣き喚くアイリスを見るのが、すこしだけ辛いからだ。


 勉強を終え食事を取っていると、ニゲラはアイリスの過去の話を聞いてみたくなった。

 今までの生活の中で何度か聞くタイミングはあったが何となく聞かないでいた、それはきっと面白くもなんともない話だろうし、本人も話したくないだろうと考えたからだ。


 いつもなら、聞かないでその好奇心に似た感情を押し殺すのだが今日はだめだ。どうしても聞きたい。そんな感情に飲まれてしまう。


「お前、俺と会う前はどんな風な生活してたんだ?」


 日の落ちきった真っ暗な部屋にはランプの明かりが一つ、その光に照らされながら缶詰を食べていたアイリスは口の動きを止め、ゆっくり話し始めた。


「……気付いたら私はもう檻の中にいた。売られちゃったかもしれないし、攫われたのかもしれない、もしかしたら私は檻の中で生まれたのかもしれない。とにかくそこで見る景色はみんな一緒だったよ」


 遠くを見つめ過去の事を話すアイリスは、まるで別人のように感じられる。

 声が少し低くなったのはきっと勘違いではないだろう。


 父も母も無く、景色を見るのは冷たい鉄格子の隙間からだけ、食事はまともに取れなかったためいつもお腹を減らしていて何度も餓死しそうになった事。

 寒さに震え、暑さに渇く日々を過ごしてきた事。

 そのどれもが一生に一度だって味わいたくない事のオンパレードだった。


「でもね、悪い事ばかりじゃなかったよ。檻の中にいた私に優しくしてくれた人もいたし、檻を開けて逃がしてくれた人もいたし……私にいろんな世界を見せてくれる人にも会えたからね」


 そう言ってアイリスはニコニコしながらニゲラを見ている、その顔があまりにも嬉しそうだったのでつい彼もにやけてしまっていた。


「ったく……そんな気の利いたセリフどこで覚えてきたんだか」


 ニゲラの表情と声色を聞いて、アイリスはまた嬉しそうに笑う。

 こそばゆい感覚を打ち消すよう、ニゲラはパンにかぶりつく。大きく食べ過ぎたせいで、喉の辺りで止まったパンを水で流し込んだ。

 

「じゃあ次はニゲラの番だよ」


「は?」


「私も知りたいな、ニゲラの事」


 アイリスもニゲラと同じだった。

 ニゲラの昔の話を聞いてみたかったが、もし無理に聞いてニゲラを傷つけてしまったらと考え、聞けずにいたのだ。

 大きなため息を吐くと、ニゲラは諦めたように話し始めた。


「最初に言っておくけどな、楽しい話じゃねえし長くなるからな」


「うん」


 念を押したがアイリスはどうやら話を聞く気満々のようだ。


「さて……どっから話すかな。俺がうまれた時からかな」


「ニゲラが生まれた時? お父さんとかお母さんの話?」


 その言葉に笑ってニゲラはアイリスの額を優しくはじく。


「アホ言え、そんな上品な物なんておれにゃあ無かったよ……俺もお前に少し似てるかな」


「似てる? 何が?」


「お前さぁ、さっき『檻の中で生まれたかもしれない』って言ってたろ? 俺もなんだよ、ただ『かもしれない』じゃなくて俺は『檻の中でうまれた』んだよ」


 少しずつだが確かに頭の中の靄が晴れていく。

 そうか、そうだったな。俺は確かにうまれたんだ、あの檻の中で。

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