永遠に

ぱち

第1話

 タイムマシンが完成した。過去や未来にタイムトラベルできる、あのタイムマシンが完成してしまったのである。歴史的偉業、奇跡の大仕事、世界を変えうる超大な発明を成し遂げ、私は歓喜の渦に呑まれていた。

 私がタイムマシンを作る研究グループを立ち上げたのは、今から六年前のことだ。つまり、たった、たった六年で完成してしまったのだ。タイムマシンなどという、数年前まではほんの夢、幻であったものを。正確には、まだ試用もしていない試作ではあるが。奇跡としか言いようがない。私たちが研究を始めてから、次々と以前の理論を覆す新たな理論が打ち立てられ、恐ろしいスピードで不可能が可能にされていったのだ。五十年かかっても進みもしないであろうと思っていた私も、当事者ながら信じられない。

 私がこの研究を始めた理由は、大それたものではない。マンガに憧れた。ただ、それだけ。確かに、これを使って宝くじを当てるなど、やれることは沢山あるが、直接の理由としては、やはりただ作りたかっただけである。

 私の研究グループのメンバーは、三人。二十八歳の私(名は高橋と申します)と二十六歳の伊藤くん、二十四歳の杉田くん。他人からすると、かなり若く、そのうえ人が少ないから、ただ運がよかっただけだと言うだろう。しかし、人数はこれで十分だった。理由は二つ。伊藤くんがかなりの大企業の社長の息子であり、資金には困らなかったこと。そしてもう一つが、杉田くんのこの研究に対する執念が、尋常ではなかったことだ。彼は一日も休みをとらず研究に励んだ。なんと、実に研究成果の七割が彼の手柄だ。

「高橋さん、早く始めましょう!」

「ああ、すまない杉田くん。いま行くよ」

 杉田くんは、すでにマシンのセッティングを終え私を待っている。相変わらず、仕事が速い。

「それにしても、今日はいい天気だなぁ」 「今日もいつも通りだね、伊藤くんは」

「いや、俺もこれで結構ドキドキしていますよ?」

「本当かい? ちっとも見えないよ。ああ、いけない。これ以上杉田くんを待たせると、彼一人で行ってしまうよ」

「おっとっと、それはいけませんね」

伊藤君はとてものんびりしている。彼は、科学者というよりも詩人のように、情緒豊かだ。研究が行き詰まった時はいつも、彼は短い物語を即興で作り、私たちに聞かせてくれた。彼の話はとても素朴で、よく私たちの心に幾分かの余裕を作ってくれた。

「まあ、確かにいい天気だねえ」

 雲はまばらに空に浮かび、柔らかな青と白のコントラストが一面に広がっている。小鳥はのびのびと歌い、花壇の花もいつもより光に照らされ輝いているように見える。何かをするには絶好の空模様だ。私たちにとっての特別な日を、この世のすべてが祝福してくれているかのようだ。

「さ、行こうか」


 今日は初のタイムマシンの試運転の日。実のところ、理論上は完成しているが、実際に使うとなるとかなり不安だ。なぜなら、この実験が失敗したとして、それが機械の不具合ではなかった場合、永遠にタイムマシンをつくることが、この世の誰にもできなくなるからだ。それくらい特殊な理論を、鬼のように徹底的に突き詰めた。あらゆる可能性を考慮し尽くした、そのうちのただ一つ。そもそも考えられる状況もかなり絞られていたために、そう時間はかからなかった。あまりの短期間ゆえに信憑性は薄いと思われるかもしれない。だが、そういうものなのだとしか、私たちには他に言いようがない

「この日を、僕がどれだけ待ち望んでいたことか……」

「杉田、お前は本当によくやったよ。お前無しでは絶対に無理だったろうからな。」 

「いいえ、伊藤先輩がいなければ、まずこんな研究できていませんよ。ありがとうございます!」

「ううん、しかし自分の家がまさかこんなところで役に立つとはなぁ……」

「もちろん、高橋さんにも感謝していますよ! この研究の原点は高橋さんなんですから! 本当にどれだけ感謝しても、し足りないくらいですよ!」

「そうか。そう言ってもらえると嬉しいよ」

「今日はいつもよりテンションが高いな、杉田」

「それはそうですよ! これが成功すれば、ようやく、ようやく僕の後悔は消えるんです……!」

 伊藤がこの研究に参加した理由は、「小学生のころに亡くなったお祖母さんを一目見たいから」だそうだ。素朴な願いだ。

とても彼らしい。

 そして、杉田くん。彼の理由は……

私がそれを聞いたのは三年前のだ。ある夏の朝、研究の気晴らしに、林の中を散歩していた時だ。しかし、やはり研究者根性。研究室から離れても研究のことを考えてしまう。さすがに私は頭が疲れてきたので、話題を変えるために、今まで聞くのを忘れていた、彼がこの研究をする理由について尋ねた

その日は、いつもより蝉時雨が響いていた。

「僕には、好きな人がいました」

「ほう、どんな娘だい?」

「とても優しかった。困っている人がいたら手を差し伸べる。泣いている人がいたら慰める。そんな当たり前のことを当たり前にできる娘です。彼女がいるだけで、周りにいる人も皆優しくなれました。もちろん、僕は彼女と生まれてからずっと一緒にいましたが、一度もケンカなんてしたことはありません。」

「なかなか珍しい娘じゃないか」

「ええ、僕もそんな女性、今まで彼女以外に見たことありませんよ。大好きでした。人としても、異性としても」

「いつから意識するようになったんだい?」

「うーん……。小学二年生のころから、ですかね?」

「なかなか君もませているじゃないか」

「いやあ、しょうがないですよ。高橋さんが僕だったとしてもすぐ好きになりますよ。それくらい素晴らしい娘です」

「褒めに褒めるねぇ……。で、その後は?」

「小五のころに、想いは叶いましたよ。いや、本当に運が良かったなあ……。それからも仲違いは一切せず、高一までずっと一緒にいました。これも、我ながら凄いことだと思いますね」

「高一まで? ケンカもしなかったんじゃなかったのかい?飽きてしまった、とか?」

「いえ……」

彼は一瞬押し黙る。木漏れ日が彼を包み込む。光に覆われ、輝いている。だが、それがかえって彼を物悲しげな影を際立たせた。彼の目は今、現実を見てはいない。

「その年に、彼女が亡くなりました」

その日はやはり、いつもより、蝉時雨が響いていた。


         ***


「早期発見していれば、完治できる病気でした。しかし、気付けなかったんですよ、僕は。しかもその兆候は、本人より周りの人の方が気付きやすいものだったのに。ずっと、一緒にいたはずなのに。僕は何もできなかった。いや、それどころか、僕の責任ですよ、こんなの」

「しかし、病気だから仕方がないだろう……」

「確かに、罹ったら早期発見しても治らないような病気なら仕方がないでしょう。しかし僕には救うチャンスがあったんですよ! 僕にとって、「仕方なかった」なんて考えることは「逃げ」でしかないんですよ。自殺だって、最悪の逃げです。僕がこの「罪」を償うには、彼女を救うしかないんです。そして、僕が逃げることを許さなかったからこそ、彼女を何としても救うという信念を持ち続けていたからこそ、普通は「不可能だ」と言って諦めてしまうところで立ち止まらずに、普通は考えもしないこの「不可能だ」とされている研究にたどりつけた。いや、この考えも建前かもしれませんね。本当は、もっと単純に、ただ彼女を愛しているから、です。大好きなんです。どうしても、どうしてももう一度会いたいんですよ。同じ時を過ごしていたいんですよ。ただ、それだけでいいのに……」

彼はそれ以上何も言えず、俯いて顔を覆い、震えていた。頭上を飛行機が通り抜け、大きな影が僕らに覆いかさぶった。気がつくと、あれほど鳴り響いていた蝉時雨は、その名残もなく消えていた。

   

         ***


「さあ、いきましょう。もう待ちきれません!」

 タイムマシンは小さな部屋のような形で、六人くらいは入れる空間のなかにさまざまな機器が取り付けられている。

「では、初めはいつへ行こうか?」

「まずは高橋さんの行きたい時に」

「そうだね、じゃあ私が中学二年生だった時にしよう」

「了解、では出発します」

 杉田くんがスイッチを押すと、タイムマシンの中は白い光で包まれ、何も見えなくなった。

 中学二年生、か。私は一体どんな子供だったのだろう。おおそうだ、あの頃私はサッカー部に所属していて、毎日鬼のような監督にしごかれていたっけなぁ。あの時はあまり楽しくはなかったけど、思い返すと、とても充実していたな。

 ああ、懐かしいあの頃に、また――  


         ***

       

 ドアを開けると、そこにはとても懐かしい風景が広がっていた。

 ああ、丘の上にまだ線路がある! あれはもう五年前に撤去されてしまったんだよな。お、あれは親友の山田の家だ! あいつも、もう別の街にいるんだよな……。あの畑も、あの倉庫も。そしてあの家の犬小屋も……。

 ふと気づいた。あの二人なら、こんな時は私に冷やかしの声を浴びせてくるものだ。しかし、声が聞こえてこない。

 振り向くと、二人は同じ方向を見て固まっている。杉田くんの表情に、まるで生気が感じられない。まるで、何かに絶望しているかのような……。一体、何を見ている……?

 二人の見ている方を振り向くと、中学二年生の私がジュースの自動販売機の前に、部活動の仲間と一緒に立っていた。二人の奇妙な反応が何に対してのものか、すぐにわかった。

――自動販売機の前にいる昔の私たちは、全く動いておらず、止まったままだった。


       ***


「こ、これは、一体……」

あの伊藤くんも、この事態には驚きを隠せていない。

「そんな、そんな……」

杉田くんの声は、三年前のあの時よりも震えている。今のこの光景は、彼にとってあまりに残酷な現実を突きつけている。

周りをもう一度見返すと、動いていないのは昔の私たちだけではなかった。車も、道行く人々も、野焼きの煙も、未来から来た私たち三人以外は、何一つとして動いてはいなかった。

 急に杉田くんが、タイムマシンに向かって駆け出した。慌てて私たちも杉田くんを追う。彼はタイムマシンに乗り込むと、機械を操作し、マシンを動かした。私たちも間一髪乗り込む。

「お願いだ、お願いだ……」

 マシンは夕暮れの河川敷沿いに降り立った。

 そこには、高校生らしき杉田くんと一人の女の子がいた。彼女が杉田くんの恋人だろうか。確かに、とても優しい微笑みを湛えている。しかし、その二人は、歩いている姿勢のまま、やはり完全に止まっていた。

「嘘だ! こんな、こんな……!」

「杉田くん、落ち着きなさい!」

「これが落ち着いていられますか! 実験は失敗だ! ということは、つまり、つまり……。」

 やり場のない気持ちを抑えられなくなった杉田くんが、叫ぶ。

「永遠に、過去を変えることなんてできないんだ!」

 そう、この実験がこんな結果に終わってしまった以上、もう過去に干渉できるようなタイムトラベルは、フィクションの世界の幻想に成り果ててしまったのだ。

「おかしい、こんなのおかしい! 僕はもう一度彼女に会えるはずだったのに! もう、あの日からずっと続いている後悔から解放されるはずだったのに! また彼女とずっと一緒にいられると思っていたのに! 彼女がいる人生を、あの幸せだった時間を、もう一度、過ごせるはずだった、のに……」

 そう言って、杉田くんは慟哭する。言葉にできない感情が、頬を伝ってこぼれてゆく。彼は、幸福の絶頂から、絶望の淵へと叩き落されてしまった。

 しばらくすると、落ち着きを取り戻した伊藤くんが口を開いた。

「なるほど、どうやら過去は一瞬一瞬が切り取られ、前後の時間の繋がりを絶たれてしまうようだ……」

 伊藤くんは、今まで見たことのない冷静さで状況を分析している。研究でさえも全て直感で行う、彼が。

「しかし、そうか、うん……」

 不意に伊藤くんは顔をほころばせた。彼は今、とても幸せそうな顔をしている。

「な……何が可笑しいんですか! 他人の希望が断たれた様が、そんなに面白いんですか⁉」

「いいや、違うよ杉田。僕はこの世界がどんなに素晴らしいか気づいたんだ」

「こんな世界が⁉好きな人を救うことさえできない、こんな世界が⁉」

「なあ、杉田。確かにこの世界は過去を変える事ができないものだった。しかし、見てみろよ。たとえ過去の一瞬一瞬が時間の流れから切り離され、別々になっているのだとしても、確かに過去はきちんと保存されていて、今ここに存在しているじゃないか。お前の生きた幸せな時間も、ほら」

「しかし、僕は今も一緒に生きたい! それだけでは足りないんです! そうだ、この動かない空間からデータをとって、超精巧なバーチャルリアリティを作ればいい! そうすれば、今度こそ……!」

「杉田」


「……、わかってます、わかってるんですよ……」

 

 暮れかけている日の周りを、カラスが飛んでいるのを見つけた。やはり、それも動くことはない。あのカラスには、待っている雛はいるのだろうか。そうであるなら、昔、彼らは雛のもとにたどりつけたのだろうか。私にはわからない。


「ほら、昔のお前たちの体を見てみろよ。今にも歩き出しそうじゃないか。いや、彼らは確かに、今も歩いているんだ。確かに、一見止まって見えるかもしれないな。でも、彼らは、途切れることのないこの道を、過ぎることもない、終わることもない時間の中で、笑いあいながら永遠に歩き続けているんだ。こう考えると、とても美しいじゃないか?幸せな時間は、ずっと続くんだ。少なくとも、僕はそう信じている。いや、そう願っているよ。」

 伊藤くんが語り終えた後、しばらく静寂が続いた。伊藤くんは切ないような顔で空を見上げ、杉田くんはずっと俯いている。

 数分か、数十分か、あるいは、数時間たっただろうか。再び伊藤くんは口を開いた。

「じゃあ、高橋さん、最後に俺の行きたい時間に行かせてもらえますか?」

「わかった。杉田くん、行こう」

 杉田くんはよろよろと腰を上げ、私たちと共にタイムマシンに乗り込んだ。


        ***


「ああ、懐かしい家だなぁ。本当に、久しぶりだ」

 伊藤くんはマシンのドアを開けて外に出ると、大きく深呼吸をした。

 その家は、とても古めかしく、小さな木造の平屋だった。玄関の前の犬小屋に、大きな秋田犬が仁王立ちしている。

「おお、ポチだ。お前も懐かしいなぁ……。でも、もう俺に尻尾を振ってはくれないんだなぁ……」

 伊藤くんは、とても寂しそうな口調で犬を見つめている。杉田くんはまだ、顔を俯かせている。

 また寂しそうな口調で、伊藤くんが語り始めた。

「杉田、俺も自分のせいで大好きな人を失ってしまったんだ」

 驚きのあまり、私は声も出なかった。杉田くんも思わず顔を上げた。

「悪いことが同じ時にこれでもかと襲ってきてね……。ホント、勘弁してほしかったよ」

 今のこの時間も、さっきと同じ夕暮れ時だ。彼らの胸裏に秘めていた想いが、この時間を選ばせたのだろうか。

「うちは両親が共働きだった。父は社長なのにいつも仕事に励み、母も社長夫人なのに教師の仕事に励んでいた。これは誇りに思うけど、一人っ子だったし、友達もあまり多くなかったから寂しくてね。学校から帰ったら俺はいつもばあちゃんの家にいたんだ。ばあちゃんは息子が大金持ちで家もそれなりに大きかったっていうのに、この家から出ようとはしなかった。じいちゃんや親父と過ごしたこの家が名残惜しかったんだろうな。でもそれが、最悪の結果を生んでしまった。ある日、俺はばあちゃんの家で風邪をひいて寝込んでいたんだ。ばあちゃんは、年を取って足腰が弱っているにも関わらず、俺を根詰めて看病してくれたんだ。その日は寒い冬の日で、ばあちゃんはストーブを点けてくれていたんだ。」

 いつもの伊藤くんからは、想像もつかないような哀愁漂う背中が、そこにはあった。

「でも、疲れていたんだろうな、、ばあちゃんは足をもつれさせて転んでしまい、その時ストーブを倒してしまった。普通なら、ストーブが倒れたら安全装置が働いて火が消えるだろう。でも、運が悪かった。故障していたのか、ストーブの火は消えなかった。さらに運悪く灯油も漏れてしまい、ストーブの火が引火してしまった。」

 杉田くんは、伊藤くんをまっすぐ見つめている。

「火はどんどん強くなって、しかもこんな木造ボロ屋だ、あっという間に火はまわる。俺は高い熱を出していて、逃げることができなかった。その時、ばあちゃんは腰が悪いのに、何とか俺を助けてくれた。でも、その時俺はもう足腰の悪いばあちゃんが運べる重さではなくなっていたんだ。それでも、なんとかばあちゃんは俺を必死で窓のほうに引きずって、燃え盛る炎からおれを救おうとしてくれた。」

伊藤くんは、目にうっすら涙を浮かべている。でも、声は震えていない。彼は、とても強い人間だったのだ。今になって、初めて気づいた。 

「すると、ポチが鎖を引きちぎって助けに来てくれたんだ。もう老犬だったのに偉いよなあ……。それで、ポチが玄関の方に俺を引きずってくれたんだけど、ばあちゃんは無理がたたってもう足腰がたたなくなってしまったのかな。俺は無事玄関の外に出られたんだけど、ばあちゃんは出てこなかった。ポチがもう一回家の中にはいろうとするんだけど、もう玄関も炎に包まれてて。するとばあちゃんは、今まで聞いたこともないような剣幕で、来るな、ポチ、絶対くるんじゃないよ、って……」

 杉田くんは、涙をこれえきれず、再び泣きだした。「結局、ばあちゃんは助からなかった。色々悪いことは重なって、運が悪かったとも言える。でも、俺はそう思えなかった。自分が風邪さえ引いていなければ……。何度悔やんだかわからない。その火事が起きてから二年くらいは、そのときのことを思い出すたびに胸が張り裂けそうだった。でも、何年か経つと悔やむ気持ちはいつの間にか消えて、ばあちゃんに対する感謝の気持ちが溢れてくるようになったんだ。もしかすると、これは適応規制ってやつかもしれない。でも、それでもいい。後悔を上書きできたお蔭で、俺の人生にまた光が戻ってきたんだ。また、幸せを芯から感じられるようになったんだ。ああ、こうして考えると、俺は二度もばあちゃんに救われたんだなぁ……」

 ちょうど、ポチの目は伊藤くんの方を向いていた。どうして犬の目は、こんなにもきらきら輝いているのだろう。とても不思議な輝きだ。もしかして、ポチは彼がここに来ることを知っていたんじゃないか?そんなとりとめもない考えも、ふと浮かんできてしまう。

「杉田。お前も今はまだ苦しいだろう。当然だ、失った一緒にいられる時間は、俺のばあちゃんよりもお前の彼女の方が圧倒的に長い」

「そんなこと……!」

「いや、本当のことだ。でもな、杉田。いつかは、その後悔が彼女への感謝に塗り替えられる時が、きっと来る。そしてその時が来たら、もう一度過去を見に行け。彼女と出会ったときから、最期の時まで、ぜんぶ。そうやって、改めて彼女との思い出を幸せで埋め尽くしてやれ。たとえもう伝わらなくても、感謝の気持ちを伝えてやれ。これからはずっと一緒にいられなくても、過去は必ず存在するし、お前の心の中にも彼女との幸せな、綺麗な繋がりができるんだ。」

 彼だって、過去が変えられるものだったなら、絶対にその辛い過去を消しただろう。当たり前のことだ。きっとそれが不可能だと知って、伊藤くんも少なからず失望したはずだ。でも、変えられないとわかったのなら、せめて過去を綺麗なものだと思えるように。大切な人との思い出を、苦しまずに思い出せるように。

「その思い出もいつかは忘れてしまうかもしれない。でも、たとえ忘れたとしても、俺たちが死んで思い出されることもなくなってしまったとしても、大切な人と一緒にいた証は、大切な人と繋がっていた証は、この世のどこかに残り続けるんだ。

美しく、綺麗なままで。これは、とても素晴らしいことだろう?」

 杉田くんは、子供のように涙をぼろぼろこぼしながら、ゆっくりと、何度も頷いていた。

 伊藤くんは家の縁側の方を向いた。そこでは、おばあさんと、一人の子供がとてもおいしそうにまんじゅうを頬張っている。ほんとうに、幸せそうだ。

 彼は小さな、切なく、優しい声で、つぶやいた。

「ずっと言えなくてゴメン。ありがとうな、ばあちゃん」

 彼が自分で言った通り、彼の言葉が過去の人に伝わることは、やはり永遠になかった。


        ***

        

その後、私たちはタイムマシンに乗り、再び現代に戻ってきた。どうやら杉田くんは過去にいた分の時間と同じだけ時間の進んだ現代に戻ってくるよう設定していたようだ。朝の十時に出発してから半日経っていたので、外はもう真っ暗になっていた。

研究所から出ると、涼しげな風が全身を撫でる。先程までは何も動かない世界にいたので、この心地よさも懐かしく感じる。

「伊藤先輩。彼女との思い出は、まだ僕にとっては重荷です。彼女を救う可能性が消えたことが、どうにも受け入れられません。先輩の話を聞いて、ちょっとは吹っ切れると思ったんですけどね……」 

 ようやく杉田くんの顔に笑顔がもどった。とはいえ、若干の苦味は効いていたけれど。

「考え方なんてすぐには変わらない。じっくり時間をかけるしかないさ。でも、いつかは変われるよ。必ず」

結局、人は過去を変える事などできず、辛い過去を背負って生きるしかないのだ。彼ら二人も、そうしてこれからも生きていく。

「昔を思い出すとき、もう失われてしまったものへの悲しみじゃなくて、懐かしさだけで涙を流せたら、これも、すごく幸せなことじゃないか?俺はそう思うよ」

そう、私たちが過ごした幸せな時間は、決して失われてはいない。今も消えることなく続いている。必ず、どこかには存在しているのだ。私たちの記憶の中ではない、どこかに。だからこそ私たちは、安心して忘れられる。たとえ忘れても、優しい誰かが残してくれているのだから――

「なあ杉田くん、伊藤くん、神様がもし居るとしたら、本当に偏屈な奴なんだろうねぇ」

「ええ、全く。過去に戻れるように作ったのなら、ついでに過去を変えられるようにもしてくれればいいのに」

杉田くんから、再び笑いが漏れる。今度は、苦味は感じられない。

「それにしても不思議ですねぇ。何でなにも動かないはずなのに、僕らは普通に動いたり話したりできたんでしょうか?」

「偏屈な神様のいたずらか、それとも優しさか。いやはや、こんなことを考えるなんて、マンガの読みすぎかなぁ」

 今日は星がよく見える。無数の星、か。あの星の一つ一つに私たちの過去が保存されていたりはしないだろうか。もしかすると、この世界のどこにでもあるのかもしれない。もしそうなら、私たちは無数の過去に包まれながら生きているのだ。誰かが喜んだ過去。誰かが悲しんだ過去。誰かが誰かを幸せにした過去。不幸にした過去。その「誰か」には、もちろん私も含まれている。

「とりあえず、突然彼女が生き返ってもちゃんと顔向けできるように生きていこうと思います。今のところは」

 過去を受け容れる、その日まで――

 その言葉のあと、私たちは一晩中何も言わずに佇んでいた。

静かな暗闇の中、私たちは月のやさしい光に照らされ、星々のやわらかな輝きに見守られながら、そよ風がはこぶ幸せな過去に体を包まれ、そっと、ほほを撫でられていた。

 

 



『(ああ、このまま時が止まってしまえばいいのに。)』


                        おわり

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永遠に ぱち @orangemarch

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