第160話 罰の結晶。4/4


***


 轟々と燃える篝火かがりびを幾つもの片手が並び持つ——暗く深き森には似つかわしくない清廉せいれんな白装束を着込む狂気じみた装いの者たちが揃い踏む地は、今しがたまで森の一部であった名残を残しつつ、人の手によって拓かれたばかりような整然とした広場と数多の人が段を成して並ぶ簡易な木造の建築が異色を放っていて。


——嗚呼、夜風の中をひた走る厳格な静寂の後に一斉に彼らの口が開かれた。


『聖典にきざされた 太平の予兆

  一代のうれい、約束の光明こうみょう

 栄光の調しらべ 命に感謝の礼を捧げよ


 貴方は眠れる夜の番人 私は貴方の帰る家

 手を上げ合う祝杯 聖人への送り火を灯せ

 隣人と手を繋ぎ、今こそ歌いて踊れよ

 祈ろう 祈ろう 祈ろう


 荒天は晴れて静かなる蒼を頂く

 彩りの百花ひゃっかつゆの輝き

 映り零れるは星のまたた


 信心慈愛に身を捧げた聖人へのとむら

 照らされた意志を継げ 語れぬ口から願いを汲め


 我らは平和安寧を心より望む者


 悪しきをゆるさず きにつと

 隣人への祈り忘れず 


 未だ見ぬ未来の糧礎かていしずえとなる事を誓おう


 今日も世界に生まれたる赤子よ

 歓迎のほむらは既に我らが灯している

 寒空を嘆く夜は共にあろう

 熱に魘される昼も共にあろう


 苦は共に分かち合い

 楽は大いに喜び語らおう——』



嗚呼——多くの者たちが均等に並び立ち、夜風や一斉に唱え始められた震音に揺れる篝火と共に清廉な儀式装束が揺らされる光景は荘厳か、或いはやはり狂気の沙汰。


その時、その場に居た鎧聖女は、その人類が成し得る狂気——数多と高低重なる音響に背を押されながら地に突き刺していた白き大剣の先を引き抜き始めている。


顔を隠す白銀の鎧兜の裏側で、彼女が見据え続けているのは天にも届くのかと思える程の巨大な滝の月映す流れ。


いくさは尚も、終わらない。


***


何故なにゆえに、彼らは此度こたびの戦で奇襲織り交ぜた進軍を強行したのか。


ツアレスト王国にとって脅威であったバジリスクの根城でもある蛇堕の滝を始まりとして広がる高低差の激しい森の地形と、バジリスクの侵攻を防ぐ為に古き時の向こうより建築されていたツアレスト王国のとりで——その中間点にバジリスクを討伐せんと挑むツアレスト王国軍は危険で膨大な魔力を必要とされる空間転移魔法まで用い、多くの兵と物資を送り込み、を強引に押し上げていた。



——何故だ。

何故に、そのような無謀とも思える賭け事のような危険を犯したのか。


今更ながらそれを世界に問えば、


「……これが隊。噂に名高いツアレスト王国——リオネル聖教の


 その答えは、その実とあまりに単純なものであったのかもしれない。まさに合唱の面立ちで言葉を延々と音楽のように紡ぐ狂気的な光景を傍らで脅威を感じている様子で眺めていたエルフ族のレネスは、数多の信心深く統率の取れている狂人たちの顔色に思わずと重い声色を滲ませる。


 彼女の背後では持つ弓矢の足前に降ろすエルフ兵それぞれ、その誰もが目の前で繰り広げられる壮大な声の反響と徐々に膨れ上がりながら各々と別の魔力が交わり、ひとつのと成っていくに圧倒された様相にどよめきを漏らしゆく。


そんな些かと同様のくくりに入ろう様相の彼らの下に、が歩み近付いてきた。


「レネス様——真に申し訳ありませんが、失礼ながらもう少し御下がりを願いたい。そこは今後、になるかもしれませんので」


黒と黄色の色分けされた二色の髪、丁寧に頭を下げた後で着込む白を基調とした色合いの甲冑の関節と、外して片腕小脇に抱える鎧兜を僅かばかりと鳴らし、周りのざわめきや始まった儀式的な合唱に遮られずに言葉が伝わるようにエルフ族特有の長い耳を持つレネスの耳穴に近付いて密やかな声を溢す騎士。



「……コチラこそ申し訳ありません、アディ様。初めてみる光景なものでコチラの不手際で御座いました、ご教授有難う御座います」


聖騎士として名高いアディの溢した配慮ある忠告の意を聞き届け、合唱を続ける聖火隊と呼ばれる大勢を人間達を遠目から護衛するツアレスト兵たちの視線を遅ればせと感じつつ、静やかにまばたきを行ったレネス。


意趣返しにと顎を少し斜め上に持ち上げてコチラも放ちたい言葉があると暗に示してアディの耳を傾かせた彼女は、素直で察しが良い彼の耳の傍らに掌を差し伸べて唇の動きを読まれぬような動作も魅せた。


そして直ぐ様にアディの忠告を受け入れて、


「……——」


空いているもう片腕の絹袖きぬそでを揺らして背後に控えている同胞の部下たちに数歩と後方に下がり距離を取るようにとの命令の意味合いがあろう手合図を放てば、唐突に歩み寄ってきたツアレストの騎士アディをジトリと警戒するような面立ちを僅かばかりと匂わせながらもレネスの部下たちはレネスの指示に従い、二人の密談を静かに見守る佇まい。


すればアディもレネスたちと同じ向きにきびすを返し、周囲でツアレスト王国軍の中では異質の存在であるエルフ族に対してチラチラと思わしげな視線を送る己の部下たちを密かにいさめるような視線にて周囲の警備兵を威圧する。



「ありがとう。それから、これよりが続きます——夜風の冷たさも厳しい時分ではありますが周囲の警戒護衛等の助力に、重ねて感謝を」



「いえ、ツアレストと共に戦うと宣ったはずの我々だけが休んでいるのも可笑しな話……それに、目に見える場所にいる方がとしても都合が良いかと存じます」


そうして、レネスとアディ——二人の距離は、風が吹けば肩が直ぐにでも触れ合ってしまう程の距離となり、様々な場所で様々な者たちが操る篝火かがりびの内でパチリとぜる火の粉の音すらも同じく聞こえる中で彼らは僅かばかりの世間話を始めたのだ。


「……があるのは事実です。その点についても誠に申し訳ない、ですが此度の戦に参戦して頂いた事——言える立場では無いかもしれませんが、エルフ族の皆様にも多く居る事を、どうか見過ごす事の無いように切に願いたい」


大した中身の無い——儀礼や社交辞令の如き礼節、幸薄い瞳の色合いで伏し目がちに前方の狂気集団が紡ぐ歌の如き魔法の詠唱を見据えながら瞼を閉じたレネスに対し、レネスらが不満を抱いているのだろう周囲から突き刺さんとしてくるような視線偏見の眼差しを憂う徒労の息を溢し、アディは己の心情を伝えゆく。


そのアディの言葉に嘘は無いのだろう。


「誠実な方なのですね、貴方のような方の言葉であれば我らも疑う事は有りません。あまり杞憂をなさらずとも我々が、この場にて何かの不利益の為に動く事は無いと誓いましょう」


「誓わずとも信じていますと述べるのは白々しい言葉でしょうか……本来であれば、このようないくさの場で忙しなく語りたくは無かったのですが——いえ、この戦の後にも改めてゆっくりと御話しする機会がある事を願う所存です」


 つつしむ事など有ろう筈の無い一陣の風が肌の熱を奪おうとも、清浄で相手をおもんばかる透き通るようなアディの好青年ぶりは揺らがず、何の腹黒も思惑も計略も——仄かに香る下心を感じさせない純朴さがまぶしいとすら思えた。



まるで——まるで、全てを隠し通す不気味な夜の如きとは真反対のようで。



「……かのに捧げる歌、素敵な詩で御座いますね。とても壮大で旋律も美しい……ふふっ」


不意に浮き出た思い出し笑い、耳に掛る長い黒髪を片手で御して流れるように小首を傾けるレネス。その際に僅かに傾き見上がった視線の先には傍観しかする事の出来ない己と同じ月が静かに写り込む。



「あの方がもし、この歌を聞いていたのなら——どのような感想を述べていたでしょうか」


「——……、ですか」


地から抜かれ、真横に差し伸べられていた合唱をする隊列の前線に立ち尽くす輝かしい白の鎧聖女の白き剣へと徐々に、徐々にと周辺で膨れ上がっていく白きかすみのような魔力が吸い寄せられて天へと剣の尖端が掲げられると同時に白光の光線が空へと一瞬にして駆け始めた。


「失礼いたしました。遠い昔にの事を、少し思い出しただけですので……どうかお気になさらず」


もう直に、戦いも終わるのかもしれない。


彼はどうしているのだろう。


目を焼きかねない夜闇切り裂く鎧聖女が灯した閃光に、レネスは静かに瞼の帳を降ろして想う。聖女の放つ光が彼を照らす事は無いと。


その胸中に在る祈りは、間違いなく——呑気に歌い続ける狂気的な集団のソレとは違う物であったのだろう。


***


 そして——いよいよと一つの終止符が打たれる場と時を



「始まったようね、己らが何をしてい るかも分かっていない愚鈍で低劣な人々の足掻あがき」


広大な森にそびえる蛇堕の滝、その滝壺の更に深き地底大空洞にて、鱗のように体に纏われていた水晶の一部が欠けて地底の主である女帝デュルマは一息の小休止に言葉を紡ぐ。



「——ふぅ、俺だって何してるか解ってる訳じゃねぇよ。同調して欲しいなら言葉を選びな」


一振りのを描く漆黒の槍が空気を裂いて足下の砂利が意図せずと音を鳴らした風体で、後方に跳んでデュルマとの間合いを取り直したイミトもまた、緊張の糸をほぐすような一段落の吐息を溢しながら相対する女帝デュルマの談話の誘いに乗り上げて。


 何本も、何本も折れて周囲に転がる槍の残骸。砕かれた水晶の破片の数々も相まって繰り返されてきたのだろう痕跡が、彼や彼女らの戦闘の凄絶さを物語る。



「貴方は解っているのでしょう? だからこそ私の前に立ち、を創り上げようとしている。私を倒さぬ以外に、この場でを完成させる術は無いもの」



「これは俺の都合で創ってるもんだ。その一点だけで過大評価が過ぎるったら、男を知らなすぎる女も困りもんだ」



されども、あくまでも平穏に交わされゆく会話。未だ互いに腹の底を探り合い、全力の交錯を一つも行っては居ないのだと暗に示すばかり。



「愚かな人の業が産み出した——世界が与えたらしめる罰の結晶、と人は呼ぶのだったかしら……目の前でそれがを見る機会があるとは思わなかった」


 だから故に、ひと時の小休止も束の間に直ぐ様と槍は構えられ、差し伸べられる掌の上で新たな水晶が創り上げられても往くのだろう。戦う二人の間で巨大と化してゆく黒き闇を渦巻かせる球体も、二人の気配の荒ぶりに呼応するかのように渦をいびつに暴れさせ始めもする。



「んふっ、そうね……貴方が新たな魔王となるのなら、つかえてあげても良かったかもね。少し面白そうだとも思ったわ」


「そりゃ御免こうむるわ……胃もたれで飯が食えなくなりそうだ。俺は気に入った女の一人や二人、三人四人、支配するだけで満足できる省エネな小市民な性分だけが売りの安い男だし——それに」


迫る戦いの先——着実に生じゆく結実、或いは結末。

様々な罪に対する罰の執行の時も迫る。


「こう見えて俺は割かしと自分と——人間が好きらしいから。良い所だけをつまんでいきたい……強欲に怠惰にさ、


己の腹の片手で擦り、腹の空き具合を確かめながら、明日の——いいや未だ今晩の夕食の事でも考えながらイミトは小さく女帝デュルマに些か小粋に微笑みかけた。



「そういうで間違いないんだろ? なぁ——


己がやがて受けるだろう——犯した罪への罰が、彼女らよりも遥かに重く両肩に圧し掛かってくる事を感じながら、彼は肩を少し落として改めてと何処までも深い黒き槍の柄を両手で握り直して片足を後方へ、体を前のめりに傾けながら帰る事の出来ない突進の構えを魅せつけるのである。


——。

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