第159話 裁かれる女帝。2/4


「——ごめんなさい、イミト様‼」


そうして荒ぶるイミトの気配に守られながら、しかと彼の者の背を見届けて下唇をギュッと噛んでつのる言葉を押し殺し、少女は罅割ひびわれた天使を抱えて踵を返して一心不乱に走り出す。


それが正しい判断だったか否か、答えられる者は未来にしかいない。


ただ——

「謝る事なんて無いだろ……ありがとな」


自らに託された物の温かさを一層と業炎の如き様相で荒ぶり始めた魔力の奔流の只中で確かに感じるイミトは少し肩の力を抜いて笑む。


おっぴろげに構えた両手に凄まじい勢いの黒い魔力の渦を二つと作りながら、独り——強大な力を持つ女帝の前に立ち立ちはだかり続けて彼の者は僅かな重責を感じつつ、少し楽しげに笑うのだ。



「寂しいわね、もう少し御話しましょうよ……私達のこれからに——⁉」


そして——悠々と己を見下げてくる女帝が言葉を紡ぎながらに逃げ始めたデュエラへと僅かに視線を逸らしたその瞬間、黒き魔力が渦巻いていた轟々ごうごうと二つのイミトは——マザーの視線が届く場所から瞬時に姿


「……は返してもらうぞ。せっかく作ったのに、食べられないのは少し虚しいしな」


気付けば、マザーの。あまりのに振り返る事もままならぬままに呆気あっけと目を大きく見開くばかりしか出来なかったマザーを尻目に、イミトはマザーの蛇の下半身が這いずる付近に落ちていた小さな腰巻のかばんを既に拾い上げてユルリと腰を持ち上げていて。


「デュエラ、そのまま真っ直ぐ走れ‼」


 「——はい‼」


いったい、何が起きたのか。起こされたのか。イミトの行ったをマザーが理解する間もなく直ぐ様にかばんを拾ったイミトのてのひらが大量の魔力を噴き出して渦巻けば、


「【大黒天黒烏だいこくてんくろがらす】」


現れるのは黒く巨大な鳥、黒烏くろがらす


甲高い鳥の鳴き声をいななかせ、黒き渦より産まれたる巨大なからすが一羽と盛大に翼を開かせて深き地底大空洞の天井へと向かって飛び上がる。


「……とりを見るのも久しいわ」


烏のくちばしに咥えられた小さな鞄、それは確かにデュエラが持っていた物。未だ相手の力量——いや、自分が感じる事も何一つと反応する事すら出来なかったイミトの瞬間移動の方法に内心と警戒を募らせているマザーは、まずは目先の分かりやすい相手をぎょすべく蛇の下半身をうねらせて逃げ出したデュエラを追いながら相手の出方を伺おうとする心構え。



けれど——分からない。


「大人しく席に座ってな、お客様——【食卓テーブル・視線マナー】」


神出鬼没しんしゅつきぼつ。高速——否、神速と言って等しいアルキラルの猛攻を目で捉えられていたマザーの動体視力ですら全くと捉えられない移動。



突如として消え失せて、突如として視界の端に現れては黒い魔力の渦を纏う拳ですきを狙ってくる。


「客は貴方でしょ、お行儀良くして欲しいわね」


夜にも似た漆黒が地底の地面を覆い尽くし始める中で弾けたように殴り飛ばされるマザー、咄嗟に拳を腕で防いだがビリビリと焼けるような痛みが肌に走り、突き飛ばされた上半身と繋がっている蛇の下半身は血を削りながら波打つようにデュエラの下へ向かおうとしていた勢いを殺される始末。


ただの拳の威力ですらも常軌を逸したものに他ならないが、今はそれよりも——


「出張料理で調理場に立ちゃぁ、他人の家だろうが自分の仕事場だ【百年利子ハンドレット・レート】」


「——⁉」


やはり、いつの間にか背後や死角に瞬時に移動するこそが一番の悩みの種。


 イミトが始めに地面に駆け巡らせていた漆黒の魔力から逆さ雨の如く噴き出る様々な武器の数々、全身で周囲の気配は探っている。一つ一つの無機物が動く空気の流れも、放つ音も、敵の動きも、放つ魔力流れも、何もかもが感知できている。


だが——対峙するイミトが黒き魔力を弾けさせて姿に、いつも彼はけむりのように消え失せて、全く予期していない場所から目で追うひまも無く——まるで現れて攻撃を繰り出してくるのだ。


「頼まれても無い押し売りだけどな‼」


地上から空に飛び散る数多の武具の中、肉叩きのような大槌おおづちを手に取って振りかぶり、それを紙一重で躱したマザーに迷う事も無いままに地底大空洞の地面を叩き砕くイミト。


分からない。


「——……では無いわね。分からないわ」


大地を容易く砕き、風圧凄まじい衝撃波を放つイミトの旋毛つむじを体を逸らした状態のままに見下げ、思考を巡らすマザー。


己が知らぬ、理解出来ぬ未知に好奇心をそそられながら即座に対峙した男をあなどれない相手と確かに見極めて、真剣な面差しでこうべを上げた彼の者と見つめ合う。


地底大空洞に降り頻る武具の雨、マザーにデュエラを追う余裕など既に無いに等しい。


「手元に手札を残しときたい気持ちは解るけど、まぁ——俺一人で我慢しとけよ」



 「叶えられるぞ、。俺なら多分な」


とは言えと、未だデュエラは大空洞の——マザーから言わせれば容易く手の届く距離に居て油断は決して出来た物では無い。大地を砕きながらり込ませた肉叩きのような大槌を捨て、その細い柄を足場に真上に跳び上がったイミトは降り頻る様々な武具の雨から適当に槍を一本掴み取り、地面に一刺し宙返って、大道芸の如く逆立った後に踵落としを体を後方に反らしたままのマザーに見舞い蹴る。


「……んふっ、耳障りのいい話」


その踵こそ片腕で受け止めて防いだマザー。イミトの存在を確かに右腕で感じながら笑った彼女は、未だ己が納得できない事象であるイミトのあばくべく、空いている左腕を持ち上げ、その先の指を二本と擦り合わせる動作を魅せた。


対するイミトも再びと両腕に黒き魔力の渦を渦巻かせて——



「私の願いが——まるで解ってるみたいに‼【母地一変メグル・ナディア】」


パチリと鳴るのは指二本、パンっと鳴るのはイミトの両手。黒霧の如く爆発的に霧散するイミトの魔力が、続々とマザーが指を鳴らす度に衝撃波を受けたように円状にえぐられて黒霧が隠していた物を露にしていく。


しかして——

「正解かどうかの試し合い、その為の御話合いだろ——まこといつわり、駆け引き含めてな‼」


指先鳴って、弾けた空気の先に彼は居らずや——再びと唐突に声がしたのはマザーの背後。


即座に棒の尖端、とげの鉄球が棒に連れられ殺意を持って振り下ろされる。

だが——咄嗟にマザーが振り返り、幾度目かの指鳴らしで棘付き鉄球の棒武器を跳ね返そうと、そこにも既に彼の姿は


「……」


では何処いずこ——


「ああ……それとも、逃げてやろうか全力で。そうすりゃずっと——に戻れるぞ」


それは、弾いたはずの黒霧の向こう——あざるような薄ら笑いの花が咲く、背後に振り返っていたマザーの以前は前方であった場所。


けれど、今までと違うのは戦闘時における空気の荒ぶる流れも——明確な殺意の気配すらも感じなかった事で。


「——……」


じんわりと焦る事も無く振り返るマザーの金色の瞳にやがて映るのは黒霧が晴れ往く光景の裏で、まるで——そう、まるで献上の踊りを舞う芸人道化の見世物を退屈そうに眺めていただけのような姿



、バジリスク。いや——よ」


地下空洞の主である女帝を前に片肘を王座の肘置き置いてしゃに構え、尊大に物を問うてくる不遜な佇まい——まさにそれは、女帝と王の邂逅のようだった。


そして王の如き佇まいのイミトが放った問いに対し、ズルリと蛇の下半身の肢体を這い回し、背筋を正した姿勢で振り向く女帝マザー。


その答えは、やはりと言うべきなのだろうか。



「んふっ……よ。死にたくなる程にね」


朗らかに小首を傾げ、王座に座す男を見下ろしながらの微笑みで放たれて——今や遠くに見えたデュエラの更に遠ざかっていく後ろ姿に向けても放たれる。


「正直者だな、話が早く済みそうだ」


未だ明確に正体の分からない不遜な王の佇まいを魅せるイミト。悪夢に魘されていた少女を遠ざかっていく背を尻目に、密やかな談話の始まりか。


ゆるりと肘置きに両の手を置いて立ち上がるイミトの仕草の一挙手一投足を眺めるマザーの興味は完全に少女デュエラから移り行き——



「素敵ね……出来るかしら、歴代の魔王——貴方の知らないですら成し得なかった私の願いを叶える事が」


この時の母の如き怪物、地下空洞の主である女帝は、例えるならばそう——目の前に転がり込んだ御馳走を眺めるようなしたたかな『』の顔を魅せている。

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