第156話 目覚め。4/4


***


 一方その頃、滝音の音が途絶えた事は恐らくと滝壺横穴の深奥にも当然と届いていた。


しかしてそのすぐ後に響き渡る天使と対峙する娘が解き放ったのだろう迫り来る津波の如き地鳴りも洞窟の入り口から届き、その洞窟の深奥にて少女を一人抱えて座していたは溜息を漏らす。


「——まったく、珍しく少しは静かになったと思ったら騒々しい事」


片手に持つ蛇の肋骨ろっこつのように細い針で器用に迷いなく布に白い糸を通す傍らで、膝枕で眠る少女の横顔に目を配って微笑みかける母の如き怪物。大小様々な種類すらも数えるのがはばかられる無数の蛇に囲まれながら悠久の時を過ごして彼女が、そうそうに動じぬ事など有りはしないのだろう。


「いつまで経っても——子供みたいに我儘ばかりで成長しないのだから」


 湿度の高い密室の地底に広がる地底湖の更なる底から響くのは星の慟哭どうこくか、鍾乳石しょうにゅうせきが幾つもと上下に尖る広い空洞のその部屋とも言えぬ広大な部屋の泉に揺らぎ刻まれる水紋すいもん——


遥か高い天井の鍾乳石から落ちてくる地面を滲み伝って来た雨粒と、そこかしこの水溜りに沈む白い光を放つ魔石が部屋満面に創り上げる水光が妖しげな雰囲気を作り上げる中で、何の脅威を感じるでも無い平常な時の流れを享受し続けている様子が、その蛇の母からは滲み出ていたのだ。


それ故に、怪物か。


「ホント、嫌になるわ。折角……お腹を痛めたというのに」


蛇は喰らう。蛇は喰らう。

子を産む為の栄養を蓄える為に蛇がゴクリと喰らっていた。


敢えてと整えられていた巨岩に生えるこけに大蛇がいだのだろうわだちが刻まれて、幾つもの蛇が重なり合って出来たも見て取れる。



「それに比べて……ふふっ、貴女は本当に大きくなったわねデュエラ。何度も思ってしまう……素晴らしい事よ、もうすぐ服も作り終わるから待っててね」


それから一段落の小休止と布に針と糸を通す作業を止めて、己の蛇の下半身を枕として眠る少女の髪を愛おしく撫でる動作を魅せしめる頃には、女帝の如き彼女の背に在る蒼透明なの水面にも赤が混ざり始め、水光すいこうにも濁りが浮かぶ。


——嗚呼、彼女が平穏であっても、であるとは限らない。



「——はぁ、はぁ……そん子は、アンタが腹痛めて生んだ子やありゃせんやろ。図々しい……アンタに子ぉなんて産めへんねん、いい加減——自覚せえやババア」


戦ってはいたのだ。戦っては居た。


眠る少女の為に衣服を仕立てる母の如き怪物の前には、絢爛けんらんな和装束の着物で着飾った。その中で生きた顔を魅せるですら息を切らし、疲労も相まった宵闇での眠りに誘われているようなフラフラとした酩酊めいてい、疲労困憊の千鳥足の様相。


変わらず母の如き怪物に従う大蛇に飲まれゆく同じ顔の己を横目に、バジリスク姉妹の長女アドレラの一人は鋭く扇子の閉じる音を鳴り響かせて気丈に振る舞うものの、明らかな劣勢に苦悶の憤りを表情にも声にも滲ませる。



「……母さんに向かって酷い口。この子が——が覚えたらどう責任取るのかしら?」


 致し方なくと度し難い程に愚かな娘を見下げる母の金色の瞳に蛇が宿った。


いい加減に我儘の言い訳を聞き飽きたと言わんばかりの冷徹が、まるで歩行予定の少し先に立ちはだかるように跳んできたかえるに向けるような冷淡が、確かにその瞬間——あたかもという無言の殺意が、己が産んだはずの娘アドレラに向けられていて。


「子を子とも思わんくせに、相変わらず母親ヅラだけは立派やね……アンタが育てた口振りや」


 けれど、アドレラは今更とひるまない。分かっていたから、数十人の己を相手にしても息も切らさず裁縫を営み続ける余裕すら見せる怪物に勝てぬ事が判り切っていたからこそ、開き直った彼女は気丈に振る舞い続け、此処までの溜まりに溜まっていた鬱憤うっぷんを全て吐き出すかのごとき威勢を出せていた。


——もう己が企んでいた計略の何もかもが失敗に終わっている事を知っていたから。


「んふっ、可笑しい事。あなた達の事を自分の子供という他に、どう思っているというのかしら? 今もこうして——母さんの言う事を聞かないアナタ達のしつけもしてるでしょ?」


そんな彼女の——追い詰められたアドレラの一世一代とも言える自暴自棄な暴発ですら、母である彼女は現実を知らない夢見がちな子供を見るように嗤い、一笑に付すようで。


ただ駄々を捏ねる子供を諭すような口振りで言論を抑えつけようとするばかり。


しつけ? 笑わせはるのはソッチやろ……何人も、わっちら殺させといて……これの何が躾や、の間違いやろ」



 「私からしたアナタの能力でじゃない……母さんの眼は誤魔化せませんよ。それに道具の選別だなんて——母さんの言う事を素直に聞いてくれてたら、私だってこんな事はしないのよ? ?」


 ただ互いに言葉を交わすつもりがあるだけの、初めから話し合う気など毛頭ない不毛な会話をするばかり。ある意味で、母と子の会話などそのようなものなのかもしれない。


ただ——もうどうしようもない程の関係性の亀裂が彼女らの間に在るのも確かな事であるようだった。


「他の妹らが手に掛けられても何も心が動いてへん……またと、と思っとるんやろ‼」


アドレラは叫んだ。

洞窟を反響する音が最後のトドメだったかのように大蛇が通った轍が残る巨岩のこけの一部が崩れて剥がれ落ちる。広大な地底湖の洞窟側からの入り口から迫り来る膨大な数の震動も彼女の激情を後押しするようで。


しかしやなぎに風にも等しくて。


「……そうね。優秀な子を産む事が目……長い時の中で、沢山の子を産んだけれど今回もだったみたい。暫く平和な時が続いてはしたけれど、結局は


情緒あふれる遠い目で、永劫とも思えた退屈な日々を振り返るような瞳で斜めに顔を上げて檻の柵の如き鍾乳石の数々を眺める母は、まるで墓石に愚痴を溢すような神妙な言葉を紡ぐ。


もの言いたげな振る舞いで、我儘な子供の相手に辟易とした様子で斜めに上げていた顔を再びと降ろして見下すのは己の娘のいきどおりに満ちた顔色。


対してアドレラの瞳に映る母に浮かんだ表情は、嫌悪にも近しい無関心の色合い——興味が失われている事を如実に悟らせるモノ。



「そやな……今さら否定も出来んわ。期待に応えようとも思わんし、わっちの頭で思い付いたもんは何もかもが悉く失敗に終わったさかい」


だからという事でも無いが、そんな母に向けてパンと扇子を軽快に開くアドレラ。いよいよと次の指示を待っていた母に未だに従う蛇の数々が、待ちきれずに痺れを切らし始めている様子を横目に空気を合わせるように口元を隠してフラフラとした肢体を斜に構えて魅せるのだ。


に、


「もうこんな——こんなしか思いつかんが腹立たしい程にな‼」


せめてをと、艶やかに開いた扇子で風を切り、己が戦いの再開を告げる衝撃波を己自身で、己自身の意志で生み出して前のめりに挑み始める。


そして——、彼女は叫んだのだ。


「いい加減、‼ 目覚めんかい、鹿‼」


己が、数多の己が稼いできた時がもたらすはずの成果と、嫌悪する母に対して一矢報いる為の布石が華を開く事を、悪夢にうなされて跳び起きるかのように何度も、何度もは叫ぶのだ。


 「——……、‼」


嗚呼、目覚めるよ。


アドレラの唐突な動きに対して母の代わりに身を盾に衝撃波に跳びつく数多の蛇が創り出す壁の向こう側、アドレラが放った意味も無い事を学べと思っていた一撃と言葉の意味を母はその瞬間に考え直して一つの答えを結び付けるに至る。


「「……」」


そうしてパッと気付いて、ハッと振り返ったのは己の膝元、眠っていると思っていた少女。母の如き怪物が真っ先に守るべきと思っている大事に抱えていた娘。


金色の瞳が二つ、鏡合わせになるように互いの姿を映し込んだ。


そこからは暫くの沈黙だ、

いや——暫くの沈黙が長く続いた気さえした一瞬の空白の時間。



「……おはよう、デュエラ」


彼女は起きて、少女は起きて、母の如き怪物に——決して母では無い化け物に、子を微笑ましく見守るような穏やかな笑顔に迎え入れられて。


迎え入れようと思われて。



「【蓮華エレデ】」


そうして少女は咄嗟に、キョトンとした寝起き顔ままで拳を振るう。

まるで鬱陶しい目覚ましを遠慮なく殴り止めるように淀みなく、母の如き怪物の頬をに拳をめり込ませたのである。


——。

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