第155話 仇花。3/4


 燃え盛った業炎で掻き消された夜闇を取り戻すように上空から降り頻る黒き魔力の衝撃波、同時に弾き飛ばされた微細粉塵びさいふんじんの金属片が鉄となったウルルカの体を砂嵐を浴びたが如く削りゆく。


——だ。間違いなく、見誤る事も無い強者。

強者という名の


恵まれて抜きん出た才覚、ひいでた実力、噛み合った運命力、時流に乗れた幸運。

まるで生まれながらに他者をしいたげる事を許されているのかと思ってしまうような存在。


ねたましい。妬ましい。うらやましい。

たとえ己も誰かから見ればそうであっても、上が在ればソレよりしたは等しく


——やはり己も虐げられる側。


 降りしきって鉄となった己以外の何もかもを吹き飛ばした黒き波動が虚空の闇を再び世界にもたらした。嗚呼しかし——幾ら耳障りな滝の音がそれを悪戯に隠してみせようと、ウルルカの耳は背後に降り立った僅かに土が擦れる着地音を聞き逃さない。


「——【蓮華エレデ‼】」


硬化していた鉄の体を元通りの肌色に戻しつつ、咄嗟に腰を低くしながら左足を軸に流れるように回転しながら背後に振り返り、遠心力の掛かった足を魔力で創った半透明の足場で無理矢理に抑えつけて跳ねるように背後だった方角に飛び跳ねる。


そこに在るのは、怒るべき理不尽だ。


即座に振り返ったウルルカに対し、黒き衣をまといし死に神の如きイミトは右拳を颯爽さっそうと引き戻し、跳ね跳んだ勢いそのままに迷いなく拳を突き出そうとする者への迎撃の体勢を整える。


その時だ。

「——っ、⁉」


地面に降り立ったイミトへと真っ直ぐに跳びつこうとした矢先、ウルルカの背後から突如として襲い来る異物感。その正体は先程まで燃え盛っていた大地にて、炎の津波を防ぐ役目を終え、黒き波動の照射と共に消え失せたと思っていた


よくよくと夜闇に目をらせばイミトが後方に引いた腕と黒いひもで繋がる壁そのものに何かを傷つける程の威力は無い——ただ引き寄せられて、ウルルカの背中に僅かに追いつき、存在感を発揮してである。


ただし、不意を突かれて予期せぬ事態に見舞われたとの錯覚を相手に与えたという精神的な意味合いで、その威力は絶大ではあったのだ。


 予想だにしなかった奇襲、油断したと誤認させられ、不測の事態に対応せねばとかれる思考の量はおびただしい。相手を警戒して居れば居る程に、冷静な思考力や熟達した経験があれば尚更に、目の前の敵への集中は確実に揺らぐ。


たとえそれが、一瞬の事実誤認であろうと直ぐに修正の効く事象であろうが——拮抗する実力者同士の攻防においてはと成り得て。



——少なくとも間違いなく彼は、その瞬間を確実に狙っていた。


「【デス・ゾーン】」


「——‼」


状況を確認しようと背後に気を取られてウルルカが目線を流したその一瞬、イミトから溢れ出る黒き魔力がウルルカと周辺を一瞬にして埋め尽くし、死を唱え告げるような彼の者の声がハッキリと耳に届く。


滝の音が聞こえない。

背景は黒く、姿だけは明瞭に見えていた。


夜に溶け込む漆黒の篭手こてが迫り来る——あまりにも巨大に見えた恐らくはマトモに喰らってしまえば致死の一打。


身体が動かない。あらゆる方向からなごやかに、しかし力強くイミトの放った魔力の圧力に支えられて一切の身動きを封じられている状況。だが、着実に全力で振り被かぶられたイミトの拳の一撃は何の抵抗も無い様子で迫り来る。



慟哭どうこく——胸の鼓動がゆっくりとした時間間隔で脈を打つ。


——死。これが死を悟った瞬間に至る極致。


「……——」


が、が——見えた気がした。

見えた気がしただけ。


だから——、

「っ、エルメラぁ‼」


「——‼」


まだ、まだ死ねない。まだ終わらせてなるものか。


死に至る刹那せつなに、歯を噛んで口惜しく何かを欲したウルルカが叫んだのは水を自在に操る妹の名——すれば周囲を埋め尽くした黒き魔力の渦中にてウルルカの体から溢れ出る水流が噴き出してイミトの魔力を僅かに押し退ける。


はたから見れば亀裂きれつが入り、内部から自壊を始める黒き魔力の球体。次の瞬間には内部から大量の水流が溢れて津波が通り抜けるように、ただでさえ激しい戦闘で荒れ果てている滝の前の森の情景を更地へと変えていった。


けれど——防御が間に合ったか否かは、またであったのだろう。



「——はぁ、はぁ……」


水に濡れながらも壊れた球体の中から溢れ出た水流と共に後方へと跳んだイミトを前に、追撃も出来ずにうつむき佇むウルルカ。ドサリと彼女の傍らに堕ちたのは、水流に流された彼女の肩から先の右腕であった。


恐らくと咄嗟に溢れさせた魔力の水流によって身動きを封じられた状態を僅かに退しりぞけ、致命的な箇所への一撃は避けられたものの、無傷で状況を打破するまでには至らなかったのだろう。


髪よりしたた水雫みずしずくよりも遥かに多い彼女の血が、心臓を真似た鼓動にそくするが如く、彼女の右腕が在った場所から定期的に似た脈拍で噴き出し続ける。



——嗚呼、強者だ。間違いなく、見誤る事も無い強者。

そこに在るのは、だ。



「すぅ、はぁ。まだ——まだ終わらせないさ、そうだよね……レシフォタン」


 「……」


だが何故だろう。数多の策謀に躍らせられても、恐らく全霊を込めた常識を超えた遠慮の欠片も無い殺意の一撃を浴びても、怒りも憎しみも湧き上がらない。


 身の内に魔力と共に取り込んだ彼女の妹達の怨念を絞り出して、強烈な傷を負った己への追撃を許さぬ為に空気よりも重い毒霧を深呼吸と共に吹き出しながら強い眼光で態勢の仕切り直しに水に濡れた前髪を掻き上げる敵を見据えれど、沸き上がる物は怒りでは無い——彼女にとって



——真っ直ぐに、ただ己だけを見ていた。


油断も嘲笑も、同情も憐憫れんびんも、嗜虐しぎゃく侮蔑ぶべつも慢心も無い——真っ直ぐな眼差し。

きっと恐らく、普段の彼が決して他者には見せないがそこには宿っていて。


いや——或いは、そう感じる事それ自体、ウルルカ自身が彼に求めた淡い少女趣味の願望なのかもしれない。けれど、それを自覚させて苦笑にも似た微笑みを浮かべさせてしまう程の滑稽こっけいな真面目さ、滑稽な誠実さがあるように確かに思えて。


それほどに——他の何に気を取られるでもなく、その眼差しは真っ直ぐに、ただ己だけを見てくれているようだった。



「……ねたましいな、どこまでも」


殴りえぐられた右肩の傷口に痛みは無い。失った腕も、直ぐに生え伸びて脱皮した皮を剥ぐように意思一つでとどこおりも無く元通りになる。拳は何者にも砕けぬ鉄の塊と成り、己の身の内から噴き出す炎に焦げる事も、自在に操れる水流で肌がふやける事もおぼれる事も無く、耳障りな滝の音に耳を裂かれる事も無く周囲の状況を聞き分けられ、自身が放つ毒でただれて溶ける事も無い。



死は遠い筈だった。誰もが恐れる死からは遠く、他者から見れば羨まれるような存在ではあるはずだ。


目の前で対峙した敵のように、傷や周囲に漂い始めた毒の霧を恐れて、怯えて、重さや硬さで本来の動きを鈍らせるような兜や鎧を纏う必要もない優れた上位存在と自負しても何ら違和感もない己。


けれど、羨ましくて——妬ましくて仕方がない。



駆り立てられる。衝動に駆り立てられる。

自らが手に入れる事が出来ないだろう憧憬に、安寧に、まるで恋——焦がれていた。



「【枯草蓮華ヴェレルエレデ七因トゥエガ】」

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