第153話 待ち人。4/4
しかして
「——僕はさ、他の姉妹たちとは少し違っててさ」
道端に堕ちた妹達の形見が収まっている黒い袋を拾い上げ、中身を確認しながら儚げに昔話のような何かを世間話の様相で語り始めるウルルカ。何の警戒心も無く、イミトに近付いても居た踵を返し再び座していた場所へと戻る背中は
「たとえばアド姉は、この地で戦って死んだメデューサ族の群れの生活としての記憶が少し残ってる。次女のメデ姉は生き残って孤独に行き倒れた人の記憶——僕らの能力や特性は記憶の影響を強く受けている、僕より下の妹達はそれぞれが持っている死に方の記憶を持ってた」
「……だろうとは、思ってた。俺もうっすらと名残を見たから」
そうして振り返り、腰を落とした後も平穏に尽きるウルルカの様子。
傍らに置いていた蓋が開けっ放しの水筒を拾い、喉を潤す旅情——夜話の一幕に溢れる情感を、
「で、アンタは?」
「言う訳が無いだろ? 戦いだ、手の内は晒さないさ……いや、後で言うつもりではあるよ——話には順序がある。なんなら、何でもお見通しだってデュエラが言ってた君の手腕を魅せて欲しい所だ」
尚も冗談を重ね合う野営の焚火が薪を弾けさせる音を放ちそうな雰囲気、されどその場を照らすのは斜に構える月光と二人の話し振りのみ。
「……ん。ヒントは少し違う、だよな——その話し振りなら死に方の記憶は無いな。それぞれが別れてて長女と次女が特殊な感じ——四女から細分化されてると考える」
水筒の水を飲み、そして血塗れに濡れて些か
束の間の沈黙、やがて答えは放たれるのだろう。
髪伝いに滴り落ちる雫ごと腰裏の鞄から引き摺り出される布に拭われて、
「——格好つけて言葉にすると『技』の記憶かな。精神的なものじゃないメデューサ族の肉体的な記憶……苦痛とかもだが、今この場を覆ってる魔法——デュエラが使ってる魔法によく似てる。アンタが教えた訳じゃないんだろ?」
イミトは至る思考の果てを要約して言葉とする。言葉の裏、会話の延長線、見てきた物から推測して至る結論は間違いを恐れず、間違いを恥とも思わず放たれて投げ出された役目を終えた水筒と同じ様に森に転がり黒い煙に回帰するのだ。
「ふふ……なるほどね。まぁ僕が個として比べると一番、姉妹の中で戦闘に長けていると自負してるとだけ返しておくよ」
答えの正否を明言して返さないウルルカ、しかし即座に返ってくる事を期待はしていなかったのだろうイミトの答えを聞いて彼女は満足げに笑う。
なるほど、なるほど、なるほど。
「はっ——その代わり、他の姉妹と違ってメデューサ族には何の愛着も無くて、他の姉妹が持ってた周りに対する恨みや憎しみが欠けてるって話だろ? 強さ自慢をするようなタイプには見えねぇよ」
「……」
目の前で対峙した悪魔の人物像を品定め、此処までの足跡に至った説得力を読み取る。
「——でも、そんな僕にでも名残は有るんだよ。有ったんだ」
湧き立つ、沸き立ち続ける感情を抑えつけ平静を保ち続けながら過去の回想を自らの掌に映すが如く寂しげな眼差しを浮かべて、黒き血塗れの体を布で拭いながらのイミトに見向きする事も無く、彼女は一人語りを始めるのだろう。
「生まれた立ては、このくらい小さくてさ。ホントに力を少しでも入れたら潰れてしまいそうなくらい——空気みたいに軽くて、でも確かにそこに在って——柔らかくて、温かくて、なんだか重たくて」
思い出して笑える事もあった。
空いた両手で大きさを表し、優しげに——
「僕は待ってたんだよ。誰かを、待ってた……赤ん坊だったデュエラを初めて抱いた時に——それを思い出した」
しかし思い出したくは無かった事も連なるように幾つもあって、愉しげに広げられた両手も直ぐにと堕ちてしまう。
嗚呼——空虚だ。空虚だった。
ジッとウルルカの一人語りに聞き耳を立てるイミトの瞳には、ポッカリと穴が空いたウルルカの心が見えるようだった。
「たまに……どうしようもなく指先が
頭を抱える風体で前髪を掻き上げて吐露されていくウルルカの心。空いた片手を尚も見つめて、痙攣する指先を彼女は見続けて己の中にある葛藤を表現し続ける。
その後に、自らの覚悟を決するように彼女は痙攣する指先を地が滲む程に握り締めて歯を噛んだ。
拳の隙間から溢れ始めた彼女の血はボタボタと股上に置いていた彼女の妹達の形見が眠る袋の中に堕ちて染みゆく。
嗚呼——空虚だ。空虚だった。
「酷い話さ。僕は待ってた……誰かが来るのを待っていた、待つしか無かった。デュエラに戻ってくるよう誘った時に返された——君に仕込まれた言葉がさ、酷く刺さったよ」
たとえウルルカの流した血に触発された様子で禍々しい出で立ちの様々な色を輝かせる煙が彼女の周りを包み始めようと、虚しい——終末的な雰囲気は変わらない。
「あの子を僕が連れて逃げていたら、待たずに迎えに行けていたら、何か変わったのか……こうならなかったのかなと思うと、やるせない。何より——妬ましい」
唯一の夜の灯りだった月光が
こうして光る煙は幾つかの変遷を辿り、ウルルカの頭上で蠢く怒りを持った六匹の蛇のような形へと至った。
——すべからく、それらはかつて、この広大な森の中心に聳える巨大な滝から身を投げたメデューサ族が抱いた怨讐。
歴史が生んだ呪いの結実、バジリスクのウルルカは語る。
「生きてきた過去も、これからの未来もある君達が
「あの子を救えるのが、僕じゃないのが妬ましい」
世界が憎い。世界を恨む。大地を撫でて胡坐を掻いて座り続けていた重い腰を持ち上げながら静かに立ち上がり、またしても己らを否定する為に送り込まれた尖兵を見据えて語るのだ。
「そろそろ始めようか、イミト——僕らの怒りで、僕らの嫉妬で、君たちを呪いたい。魔物として、バジリスクとして、母さんの支配から逃れられないように作られた命として」
同情も、
ただ——この憤りを晴らさせてくれればと穏やかな笑顔で、申し訳なさげに語るのだ。
ただ、その為に——永き時を待っていたのだからと。
「ああ……終わらせてやるよ、お前らの罪を——ここで」
対する神に利用される悪魔の尖兵も嗤う。
まるで己の天命を受け入れている様子で嗤うのだ。
それが如何に欺瞞に満ちて居ようとも、自己満足の為だけの詭弁であろうとも。
ただ——受け止める為に、己もこの道筋を辿り、彼女の寂しさの溢れた——優しさの溢れた、祈りのような言葉が終わるのを僅かばかり待ってきたのだからと。
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