第148話 地に堕ちた羽根。2/4


 その頃、外の世界で巻き起こる異変に気付き、ふと虫の報せを感じた様子で振り返る影があった。それは一欠けらの汚れさえない、別の場所でイミトによって殺されたばかりであるはずのアドレラと全くの瓜二つな姿であって。


これもまた、別の凶兆。或いは吉兆。


「……——」


「どうしたのさ、アド姉。コソコソとしてた悪巧みに予想外の事でも起きたのかな?」


地響きの如く伝う水流の音、魔光が照らす岩肌の世界にて話の途中で動きを唐突に止めた姉に対して首を傾げて微笑むのはアドレラの妹、バジリスク姉妹三女ウルルカである。


「何でもない……問題はあらへん。それよりも話の続きや……アンタはどないすんねん、ウル。母様の言う事ばっか聞いて、それでええんか」


静やかで熱を帯びない雰囲気をかもす洞穴の岩肌通路、外界の光が差さぬその場所で通り掛かりの密談の最中、何故か動きを止めた姉に対して鋭い指摘をしたウルルカに、話を途絶えさせていたアドレラは仕切り直しに手に持つ扇子を軽快に開き、口元を隠しながら会話を再開させた。


——投げかけているのはの提案に違いない。


己ら娘たちを、ただの道具としてしか扱っていないに対して共に一矢報いないかと暗に語らおうとするアドレラ。


しかし、

「僕は面倒事が嫌いだって知ってるだろ? 昔から姉さんとは、見てる物も欲しい物も違う……諦めも悪くないし」


冷たい通路の岩肌と同じ様な温度で通路に背中を置いたウルルカは腕を組みながら熱の帯びない返事を返す。さもすれば、無機質な岩の壁に心の熱を吸わせているようでもあった。


先程、自らが頭を潰した母の使い蛇の亡骸なきがらに視線を配りつつ、背中伝いに伝わってくる水音の流れと冷たさにひたり、心内にある葛藤摩擦が生じさせる熱を抑えつけているようで。


「こうしてアド姉が堂々と僕を誘いに来てるって事は、それなりに勝算があったんだろうけど生憎あいにく——僕は他にがあってさ。準備で忙しいんだ」


狭い世界。外界の空と比べてしまえば、あまりにも低い天井。物想いにふけるには、椅子も無い事も相まって些かと不適合。


漸くと足止めしてきた姉の提案を叩き落とせたと肩で一段落の息を吐き、絢爛で豪華な道を塞ぐ姉の着物の横を通り抜けようと岩壁から背中を受け取り、爪先をウルルカが動かし始める。


されど、そうはさすまいと舞い踊るのはアドレラの扇子。


「——デュエラを救いた無いんか?」


「……」


通せんぼと脇にスルリとりて、動きの流れの中で手首がねるように動き開かれていた扇子がパンと閉じられる。あたかも舞台端の観客席で欠伸あくびを掻いた客を目覚めさせたいという軽やかを装ったいきどおりの音響、そうして閉じられた扇子の骨子の角を己自身の額に突きつけ、白々しく芝居がかった問い掛けをていするアドレラ。


「アンタがあん子にを持ってるのは知っとる。昔、あの裏切り者のルキラと隠れて会っておった事も……ルキラが死んだ後で隠れて甘やかしてた事もや」


しゃなりと目線を思わしげに流しつつウルルカの心を隠す真顔を見下げ、まるで外堀を埋めながら囲い込むように回りくどく言葉を紡ぎゆく。


わざとらしく吐くつややかな吐息、ウルルカが心の底で隠している感情を掌で掬い上げて観察するような語り口、まるで人質の存在を匂わせるような指摘。


「……それが母さんのだったろ。デュエラを外で育てると母さんに提案したのはアド姉だ。僕は駆り出されただけさ」


肌に纏わり付く湿度のようなアドレラの物言いに些かの不快感を抱きつつ、感情を露にしないように表情を律して何事にも囚われてない風雲の如く瞼を閉じて溜息を吐き返すウルルカ。


肩の力を抜いて呆れた言い掛かりだと断ずるその軽妙な口調ではあるが、あまりに過ぎた言葉をこのまま吐き続けるなら喧嘩も辞さないといった脅し混じりの若干の攻撃性も備えているようにも見えて。



しかし、アドレラは止まらなかった。


「それはやろ。森を掌握してるわっちらでさえ何年も見つけられんかったルキラの居場所、あん子らの住処——誰よりも先に見つけたアンタが荒ぶって周りに当たり散らしとった母様に報告もせずに放っといた事を言ってんねん」


「もしかしたら、上手く手助けして隠蔽しとったのはアンタなんやないか?」


「ふふ。何を言うかと思えば、母さんに隠し事なんか出来るはずないだろ? 変な言い掛かりは辞めてくれよ、アド姉」


ウルルカの足を止めて、己の状況を有利に運ぶ為に揺さぶりを続け、ポーカーフェイスなウルルカが隠している素直な欲望を掻き立てて露にしようと企んで居る。


「このままやと、デュエラの体も心も母様に支配されてまう。意識は残る言うても、どないなるかは分からんで? そもそも混血の肉体がって話ですら、元から半人半魔なんてもんは微々たる成功例しかない上での話や。散々と失敗しとる所、アンタも見て来たやろ」


不安を煽り、恐怖を思わせ、期待をそそらせ、希望を匂わせる。やり方など誰であろうが、どちらに転ばせようが、或いは然して変わらぬのかもしれない。心の原動力、ヒトの動かし方、駆らせる為の燃料など、突き詰めればそう多岐に渡るものでもない。


ただ——


「——昔話をしたいなら、アド姉。僕にだってあるよ、の話だ」


ただ、質に寄りける——受け取り手も、話し手のも。


少なくともアドレラは見誤っていた。ウルルカが、彼女が気に掛ける少女の事で平静を失ってしまうと見誤っていた。


いや、さもすれば——数刻前の彼女であったのなら、もしかしたならアドレラの提案に想い悩みながらも首を縦に振っていたかもしれない。


暗い昏い蛇の腹の中のような洞穴の岩肌通路。声が僅かに反響してしまいそうなその通路で至る密談は、しかし不思議と響かない。


「家族内で揉め事や言い争う姿を妹達に見せたくなくて、怖がらせたくなくて、これまでは黙ってた。いや、止めたくて母さんとアド姉、僕だけの間で処理しておきたかった話さ」


「……」


同じく魔物の娘として生まれた姉妹としての長い——永い付き合い、互いの腹の内を探り合う事など、或いは容易いのかもしれない。アドレラがウルルカの性格を知り、欲しい物が何かを分かっていたように、ウルルカもアドレラが自分に何を望んでいるか何を為させようとしているかを理解している。


それが出来るだけの、色々な事があったのだ。未だ語られぬ事も含めて色々と。


「偶然だった。それこそ、隠れてデュエラの様子を見に行った時だったよ。見た物はが使えないと戸惑ってるソリリカに飛び掛かるデュエラ……そして——」


。それはな」


唐突に始まったウルルカの語り——或いは暗に示される嫌疑糾弾に、すかさずとアドレラは困り眉を下げて何か誤解があると弁明を挟み込もうとした。


けれど、している。アドレラは誤解していた。


「最後まで聞きなよ……僕がその話についてしたら、母さんが知ってるかい?」


長い付き合いであるからこその絵に描けた誤解。ウルルカは鼻からアドレラの所業を糾弾するつもりなど毛頭も無く、いや——そこに在ったのはアドレラに対してだけの批判では無かったのだ。


——それだけさ。てっきり僕は、母さんがアド姉を叱ってアド姉も馬鹿な考えは改めて状況が収まると思い込んでた。その後のユリアナ、キティラナの事件はソリリカの事で自信を付けて強くなったデュエラが起こした哀しい事件だって信じようとしていたんだ」


酷く、酷く——期待していた。


既に多くの希望を抱き、既に多くの期待は裏切られ、既に希望を抱ける気力すら無い。かんらと嗤うウルルカの笑みは、何処か寂しげで力なく、かくりと首から垂れる頭が揺らした髪すらも彼女の渇きを想わせる。


——血や涙など最早、一滴も流れない。


「アレだけ心配してたデュエラの様子を見に行く回数を減らしてまで、信じようとしてた」


流れ尽くして、流れ尽くして、悩み続けて、湧き立つ葛藤に心は更に蒸発を続けた。物理的に足止めをしていたアドレラの扇子も今は閉じられ、もはや野心を抱く妖女の傍らを通り過ぎたる足取りは羽根のように軽く、傍から見れば誰にも縛られる事は無いように見えるのだろう。


「まさか、唆されたんだろうとはいえ——デュエラを育てる為だけに実の母親が自分の娘を犠牲にする話にまで乗るなんて思いたくないじゃないか」


通り抜けざまにアドレラの和装束の肩に手を置き、密やかに突き放すような力の入れ方で距離を置いたウルルカは、空に空々しく投げかけるように言葉を紡ぎ、歩み出していく。


嗤う口調の彼女の表情に楽観の心など無い、やがて虚無感ばかりが募り上がり、下唇を噛みしめるような口惜しさばかりが滲み上がる。


——世界は、事なかれ主義の彼女にとってあまりにも残酷であった。

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