第147話 夕妬け。2/4


は、今さら何の脅しにもなりんせんわ‼」


目の前に迫り来る暗雲と漆黒の炎の灯る輝かしい槍を振りかざす狂人に向けて——にじり踏み出す、アドレラの履いた下駄がえぐる土の様相に、がどれほどに滲み出ていただろうか。


「わっちも魔物や‼ アンタほどのもんは持ってないかもしれんせんが、そこらの有象無象とは違うや‼ 妹達の分も今は抱えとる‼」


和装束の背中の襟より這い出る大蛇から巨大な扇子を一本と取り出して狂人のイミトが振るう槍の一振りを凄絶せいぜつに歯を噛みしめて受け止めて、アドレラはを叫んだ。己をふるい立たせ、己が恐怖してると自白するような行為か知ってか知らずか、彼女はイミトの槍を巨大な扇子で受け止めて手が痺れたような衝撃の中で叫んだのだ。


しかし、対するイミトは、


「——そうだな。立派なもんだ。親に感謝しないとな」


まるで赤子の手の駄々を受け止めてたしなめるだけのような気軽さで叫ぶアドレラに、子守歌のような静やかなを紡ぐばかりで。


アドレラの指摘通り、高速を極めたような移動の衝撃で砕けた漆黒の鎧兜の破片の隙間から覗く赤い瞳が、あわれむような寂しげな色合いをくゆらせるばかりで。


「っ‼ 虫唾むしずが走る‼」


どちらが嵐で、どちらが静寂か。おびやかされる者は何方どちらか。イミトの、一見と手を抜いているかのような黒槍を弾き返してイミトの背後より迫る黒雲の中から伸びてくる腐りかけた亡者の手や、見るだけで腐敗集を感じるようなドロドロに溶けた獣たちの死骸を避けて後方に跳び、間合いを取るアドレラ。


「道を譲って何を得られる言いますか‼ 退しりぞいて得られるもんは無い‼ 周りが怖いから言うて、周りを傷つけんとこと慮って引きもって、こないな森に留まって——そうしたメデューサ族がどないなったか、結果はあんさんの目の前にもおる‼ 存じとりますやろ‼」


後方へと跳び退きながらも、巨大な扇子を盛大に踊り開いて水流や扇子を持たぬ片手を振って生じる音響と共に舞い流れ、近づく暗雲から次々と迫る魔の手を退けてゆく。


「どのみち殺されてしまうんなら後悔なくや‼ わっちは奪う側に回る、他人なんぞの事など知らん——なんも学びもせず、こんな森で未だにママゴトしとるあんな母様ははさまの道を、わっちは辿らん‼」


どちらが悪者で、どちらが生きるべき者か。そんな禅問答など今さらして意味は無い。


「魔物も人も呪い合うしか道はありんせん‼ だからあんさんも、こうしてわっちらをいじめとるんやろ‼」


「……」


どちらも悪者で、どちらも懸命に生を求める者でしか無く。

結果として生きた者が生きるべき者であるという弱肉強食の烈火暴動。


呪い合っていた。呪い合っている。


「それに——の事もそうや‼ 御大層にあん子を守る為だの、返せだの、自分から連れ戻しといて今さら何を図々しく宣っとるんや、アンタ‼ 何を考えてはんねん‼」


腹を満たす結末を巡って、分け合う事など出来よう訳もなく、ただひとつの勝利を求めて呪い合って殺し合う。奪い合う。


幾重数多の攻撃が尚もほむらを纏うイミトの漆黒の槍や、不気味な暗雲から襲い来る圧倒的な数的劣勢の状況下で、アドレラが様々な打開策を脳内で講じれば——やがてイミトが求めている少女の名を思い浮かばせるのも自然の流れであったろう。


始めは、息も吐かせぬ攻防の継続の末——息を吐く、言うなれば時の猶予を欲しつつ、殆んどが砕け散ったとは言えど未だ漆黒の鎧の向こう側で心を明瞭に魅せる事の無い平静という表現に尽き続けるを単にだけに違いない。


——


「アンタらさえ現れんかったら、が——こう崩れる事は無かった‼ デュエラをあのまま連れて戻って来んかったら、わっちらはツアレストのやからを皆で手を取り合って八つ裂きにして、そのまま外の世界に出ていけた‼」


一度と彼女の名を出して、何らかの打開策を見い出すまでの世間話をするだけのつもりであったはずが——息をするのも忘れて、いつよりか腹の底に溜め込んでいた物が芋づる式に溢れ出てくる。


現状に対する不満、目の前で不安を煽り続けてくるおぞましい物どもに感じる理不尽さに、無念の内に意識を失った妹達の魔力を精神ごと取り込んだが故に幼児退行の如く感情が豊かになった事も相乗し、さしもここまで堪えていたのだろう彼女自身の秘めていた感情も共に込み上がり、目頭が熱く——苛々と痛み始めても居て。


「っ——‼ 何なんやアンタは‼ なんもかんもを引っ搔き回して一体全体、何がしたいねん‼」


イミトの背後で蠢く黒雲より這い飛び出る腐ってただれた腕に捕まり、腕が千切られたから目の端に涙が滲んで声が震えた訳では無いのかもしれない。


いつだって心があって、だからこそ他を呪うに至る無情。

心非こころあらずば、如何に楽であったろうか。


黒雲から伸びる亡者の蠢きに千切られたアドレラの腕が再びと修復を始めて新たな腕を生やし始める刹那の時間に噴き出た血潮を浴びながら、砕け去る鎧兜の最後の破片を地に堕とし、彼もまた心在りげに彼女を見つめて、嗚呼——心非ずば、如何に楽であったろうかと——そう嘆くような面立ちを魅せる。


「……アイツは、危なっかしいくらい純粋でイカレてんだよ。お前らが、お前らの母親が自分を探して暴れ回ってるって知ったら、きっと何も考えなしに色々と考え悩んで面倒を掛けたくないって俺の腕の中から飛び出していくだろ」


「——っ‼」


未だ本気を出していないのではないか、そう思わせるような悠然とした身のこなし、風体や口調ではあるが事実としては尚も先行きを魅せない不透明。


背後に控えさせる不気味な黒雲にアドレラの動きを牽制させては間合いを詰め、振るう漆黒の槍の軌道や突き出しのタイミングを纏わせた炎の明滅で誤魔化して虚を突き、惑わし続けてアドレラの巨大な扇子を弾き、そして腕を失ったばかりのアドレラの肩を容赦なく穿うがつ。


まるで心を読むように、相も変わらず心に浸け入るように——変わった事と言えば、もう迷いや躊躇いの様相は消え去ったという事くらいで。



「復讐だの因縁だの、そりゃ簡単に捨てられんなら結構な事だが……そうも行かねぇのが心ってもんで」


もう諦めて、とても寂しげに嗤うばかり。槍出方を貫かれ苦悶するアドレラから目を逸らす余裕すらあり、もはや未だに彼女にトドメを刺さずに居るのも最後の慈悲に、彼女の腹に溜め込まれていた負の感情を受け止める為だけの余計なお節介のようだった。


「うぐぁ——‼」


そうしてアドレラの肩を貫く槍の柄をグッと上方に持ち上げ、槍の矛先を地面に突き刺すように動かし——アドレラの姿勢を後方に反らしながら自身の体を和装束乱れる妖女の上へと馬乗りになる格好で抑えつけて首根っこを空いた片手で掴むに至り、アドレラの肢体を地面へと転がして叩きつけるイミト。


「今日しか無かった。馬鹿みたいに強いバジリスクの勢力と他の何処で衝突する事になっても、今日以上の好機も勝機も無いと思った」


首を抑え、肩を貫く槍を抑え、馬乗りで体全体を抑えつけ、悪逆非道——腕力で弱者の自由を奪い去る強者。煌びやかに穏やかに語る大義名分は如何ばかり抑えつけられた弱者にとって耳馴染みが悪かろう。


「こっち側の状況は、日を追うごとに悪化するばかりだしな」


唯一と、今の状況で自由が利いたアドレラの右手の爪が己の首を抑えるイミトの右腕に届き、食い込み——初めて彼に負傷を与えられた事は何という皮肉であろうか。



こうしてアドレラの指伝いに滲み、流れ始める漆黒の黒い血潮。


鉄の臭いは僅かに薫れども、人の臭いは皆目と無く、


イミトやアドレラを追い掛けるように迫り来ていた悍ましい黒き暗雲が、彼女らを同じモノに仕立てようと追い付き、地に倒されたアドレラの足先から徐々に飲み込み始め、同時に幾つかと伸びた赤子の手のような黒い触手がイミトの頬を歪に撫で始めゆく。


「——アイツは、俺やアンタらと違って……ちゃんと幸せになって良い奴だから。せめてこの先は——誰も呪わなくて済むような、誰にも呪われなくても済むような未来を創ってやりたかった」


「うぐっ——ぐぅっ‼」


優しい回顧録を穏やかな声色で言葉にして紡ぐ裏腹、地に抑えつけられるアドレラの首を掴み握り締める片腕は——まるで彼では無い別の何かが操っているようにアドレラの喉を握る力を強め、純然たる殺意を維持し続けていた。


「自己満足だけどな、簡単に言っちまえば勝手に幸せを押し付けてやりたかっただけさ、幸せにしてやれたって自己肯定に浸りたかっただけ」


呼吸困難に増々——バタバタと暴れる足、解放を求めて動こうとする体、何とか男の手から離れようと振られる頭——無意識に掴むイミトの腕に殊更とアドレラの爪が食い込み、歯は噛み締められる。


「おっと……絞め殺してちゃ会話も出来ないな。お喋り、したかったんだろ?」


きっと語る言葉に嘘は無いのだろう。しかし、まだ——何か、語らずに居る事が多くある事も間違いない。


——彼はもっと、誰もが想像するよりももっと、少なからずアドレラが想うよりももっと残虐で、醜悪で、強欲で、悪辣な男であるのだから。


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