第147話 夕妬け。1/4


 決してバジリスクが弱い訳ではない——これまで永きに渡り、肥沃ひよくで広大なジャダの滝周辺の森を支配し続けた怪物の一族、知能の高い魔物の集団。状況や条件が違えば、果たして何方に軍配が上がったか知れない所であったのは間違いなく。


けれど、今の彼がただ——純粋に彼女らよりも強かっただけ。

この瞬間——個の性能の優劣という点において彼女らの強さを凌駕りょうがしただけ。


……やろっ‼」


用いられたのは、戦闘機のジェットエンジンなどに利用されると呼ばれる再燃焼装置が生じさせる現象に似た事象。


エンジン等の爆炎の推進力を利用した第一段階の後に猛烈な勢いで排出される不燃性の高温のガスに、新たな燃料を吹きつけて燃焼させる事で更なる高推進力を得る発想。


より的確な方角に——より鋭く、足にしがみついていた巨躯のメデメタンを一瞬にして爆発の如く吹き飛ばし、己で発生させたはずの炎すらも置き去りに迫り来ていた数本の鎖付きの鉄斧を弾き飛ばし、対峙するアドレラの脇腹を防御の隙を与えないままに抉り穿ち抜いて通り過ぎた彼の拳。


あまりにも突然の状況変化に宙に浮いたアドレラは、何かをされたという認識のみを抱き、受けた負傷に苦悶の表情を浮かべながら自らの真横を一瞬にして通り過ぎ去った男の姿を探した。


「……」


細かい科学的な理屈を、計算式を、現象の存在や名称、明確な知識や知恵を以ってその事象を制御したのかは分からない。ただ——恐らく今の彼が、の人生に置いてに至った事は紛れもない事実である。


この戦いに至るまでに魔力と共に己の中に取り込んだ——原初の頃より、この地に染み付いていた獣たちのが経験値となって第六感的な感覚を研ぎ澄ます。


片や、出会ってから幾星霜——数百年に渡り数多の戦場で多くの強者をほふり、数多の殺意や試行錯誤や最後の悪あがきに付き合ってきた戦禍の魔物デュラハンと魂同士で繋がり合い、ここに至るまで様々な技術——発想、失敗、研鑽、極致の片鱗を、まるで己の記憶であったかの如く密やかに蓄積ちくせきさせている。


「有り得へん……有り得へんのや、こんな‼」


産まれたその瞬間から体の動かし方、生物からの特性の使い方を習性として知っているような獣の勘と経験を飛散した魂ごと喰らいたくわえ、多くの戦場を駆けてきたデュラハンが無意識に蓄積させてきた打ち倒した者たちのが用いらせてきた技術がデュラハンの記憶として伝播でんぱんされて——それら二つが今、彼の中で


「逆の立場なら、当然の権利だと啜るタイプだろ。俺もそうだ」


「がっ——⁉」


獣と人の間——それを人間というか否かの議論は一先ずと置いておいて、そのの大きな要因として蓄積され続けてきたを一つ、要因として挙げよう。


 それが招いたのは——言葉の字面では、弱体化の筆頭のようにも感じられるそれは、イミトのような性格の人間に置いて時にこうそうす事がある。


あまりにも小さな脳内で、疑心に駆られ、不安や恐怖に煽られ、様々な事柄や先々の展開を把握しようと休む間もなく長時間駆動し続け、戦争が始まってから今までに蓄積された肉体的な疲労や負傷も相まり、限界が間違いなく近づいていた。



いや——既に限界間近の瀬戸際。とうに限界を超えた断崖の向こう側。



「身長差だの筋肉の質、人種、前評判、才能の差——試合前に文句しか垂れない奴を見て、いつも思ってた。じゃあ片手の無い相手やら片目隻眼の相手と戦う事になった時、テメェは公平に戦う為に腕や目を千切るのかって」


彼の長所であり短所でもある——ただ高速で動き回り、ただでさえ気の抜けない敵に集中する他ない状況は、彼の身に宿る獣たちの勘が彼の思考にを大きくしながら、


彼が抱えるデュラハンの戦歴——彼女に殺された戦士たちの記憶をとして生じてきた日々の悪夢から見て学んだを状況に応じて的確に取捨選択させるに至る。



「——本当に醜い。なぁ、アドレラ」


噴き出る爆発的な炎の放射に押され、宙に浮くアドレラに数回の打撃を加えた後に呟く一言。


瞬間的に行われる最大加速の反動と一気に減速する衝撃でイミトが纏う黒き鎧が本来ならばイミトが負うべき肉体的負担を肩代わりし、きしみを上げて亀裂を走らせる中で滑らかに宙を駆る彼の肢体と眼差しは激しい動きの鮮烈さとは裏腹に流麗な静寂に染まる。


「世界が不平等なのは知ってるはずだろ。いざ自分らが晒されたら被害者面か、自分らが世界で一番——真剣に頑張って居た筈なのにって。神様に才能与えられて楽して卑怯だって」


加速の余剰、まるで世界を滑りゆくような勢いを器用に利用し、体を捻らせて未だ打撃の衝撃——或いは肉体を攫われたように弾き飛ばされる衝撃に反応できずに宙空で躍らせられ続けたアドレラを追撃の踵落かかとおとしで地面に叩きつけるイミト。


常人であれば、死したと疑う他ない高層ビルから重力加速度を帯びて叩きつけられたような格好となるアドレラだが、


「っ——さっきから誰の事を醜い言うとりますんや、誰を‼【水棲八岐ミリュロテ・ヤティバ‼】」


彼女もまた、怪物に類する者である事に間違いは無い。地面に叩きつけられた僅かな時間の静寂——イミトも遅れて地に降り立つその間に、彼女は意識を即座に取り戻しバッと飛び起きてイミトの与えた超加速の一撃で血に塗れて些か破れ始めている和装束の袖を振るうのだ。


すれば、いつの間にか水色の蛇鱗が生えた左腕から噴き出るのは八本とまでは行かないが、やがて八本には至るだろう大蛇の如き唸りを魅せる水流の放出。


「その己の移動速度にに砕けとるよろいっ、そう何度も同じ速さで動けへんのやろ‼ イキんなや‼」


肉体を幾か所かえぐ穿うがたれて自立もままならぬ状態であったはずのアドレラだが、全ての傷口から小さな蛇の群れが無数に生え伸び、千切れかける傷口を急速につないでふさぎ、見る見ると細胞に変異しながら受けた傷を修復させて一瞬とよろめく体を何とか支える形で彼女は立つ。


その彼女を突き動かす原動力は怒りか、アドレラの顔はのように歪んでいて。


は回収済みか? 懐かしいな……三つ首だったっけ、四つ首だったか。アレは超再生とか言ってた割に、今思えばがする」


彼女の怒りに呼応するように周辺の木々をぎ砕きながら範囲を広げてむちのようなで向かい来る水流の軌道に降り立つイミトだが、彼はとても大人びて冷静な分析が如き面立ちでせきをする手前のような仕草で口元に軽く丸めた拳の脇を添えた。



「【魔操蛇笛ベルト・フェレグノ‼】」


そして——アドレラが折れた右腕を自ら引き抜くように千切り、超常的な細胞増殖で新たな腕を創り出して彼女の妹——音蛇アルティアの技を用いて笛の音を響かせ、高周波の音波砲撃でイミトが佇む方角の物質を震わせる追撃を水流の鞭と共に仕掛けた最中、


「わっちらは、こんな……こんな森で終わっていいタマやない‼ もっと……もっと広い世界で絢爛に派手に生きる——ポッと出の外様とざまが、わっちらの邪魔を——」


まるでのように彼は——イミトは己のの敢えて残していたに、、あたかも火窯の薪火に竹筒で空気を送り込むようにアドレラが放った水流と音波の攻撃に向けて周辺の視野をすべからく覆う盛大な黒き煙を解き放つに至る。


「——それがお前さんらが出て行こうとしてるだろ。んで、今の俺がそのものってな。たちだ、?」


それは夜の闇とは全く違う異質な漆黒。自然災害のよちょうのような禍々しい雷雲などともまた違う厚みや重みなどを連想させる快晴の入道雲の如き光沢を持ち、何か不吉な物がうごめく——この世の怨讐、汚らわしいものを全て溶かし込んだヘドロのようでもあった。


「——⁉」


美しき水も、響き渡る音も——全てが無意味だと宣うように飲み込み、一瞬にして眼前で膨れ上がったイミトの吐き出した黒雲の姿に、自らの決死の覚悟で状況を挽回すべく試みた攻撃が瞬時に無力化された事も相まってギョッと圧倒されるアドレラ。


やがてアドレラが放った全ての音を弾け飛ばす激しい甲高い笛の砲撃が吸い込まれるように消えて訪れた静寂、その後で始めに世界に産み堕とされた音は、喉に詰まった羊水を吐き出して産声を上げただった。


そして、地の底から——闇の向こうから反響して轟くが如き大勢の獣の——或いはケダモノのうめき声がそれに続く。


「醜いだろ? 試してみろ、——この先に綺麗な夜空が待ってるかも知れねぇぞ」


おぞましかった。耳にするだけで悪寒が肌を走り回り、入道雲の如き厚みや重みを想起させる黒雲が膨張を続けながらに様々な生物の形、あたかも死に際の断末魔——亡者共の表情を多種多様にうごめかせる。


その災禍の如き光景を突き抜けてアドレラの前に躍り出る——様々な者たちの怨讐や悲壮や絶望の魂を写し取り穢れた瘴気を吐き出した張本人、つまりはそれら全てを今の今まで己の身の内に溜め込み、しかしそれでも自我と正気と原型を失っていないように見えたが存在している事そもそもがおぞましかった。


加えて、目の前で膨張を続けて己に迫ってくる今は男の背景となった不気味極まる黒雲が、彼が抱えている単なる一部でしかない事を悟れば増々と恐ろしく。


アドレラはその瞬間——己の小ささと対峙している敵との格の差を無理矢理と実感させられたが如く愕然がくぜんとした表情を浮かべ、指先——或いは髪の先に至るまで戦慄が走った感覚を覚えたようである。


だが——、怪物には怪物の矜持があるものだ。

彼女にも、アドレラの中にも無論——確かに存在していて。

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