第145話 野望の母。1/4


一方的で凄惨ではあった。

しかし敵であれば同情など無いに等しい。


彼ら——敵であるバジリスクの死に様を事を急ぐことも無く静観に努めてが決着を急がせなかったのは、むしろ敵の敵——今しがたまで協力体制を敷いていた一人の男の底を測る為であったのだろう。


「ギルティア殿……は——」


得体の知れない異様な化け物、人の形は何とか留めては居ようが佇んでいるだけで呼吸の如く放つ気配も、露にしていく実力も明らかに人では無いとしか言い表せない不穏のかたまり


先程までの戦いで酷く打ち付けられて負傷した腹や腰を抱えながら、困憊こんぱいの様相でギルティアの傍らに並び戦線に復帰した老兵ラディオッタは、そんな化け物を見据えながらギルティアに今後の動きを如何にするか尋ねるように語り掛ける。



「ああ……そのも十分に考えては居たが。ここまでとはな……」



 「……変わらずは、しておいた方が良さそうですね」


交わされる会話は、明確に何かの裏事情を匂わせるこうばしい物。されどその事実を公にしないのは未だ確証にまでは至らぬと、無意識に事実であって欲しくないが入り混じっている事も明白であって。


しかし、

「御二方、何か知っておられるのですか……あのイミトの力は一体……」


聞かねばならないのだろう。聞いて置かねばならなかった。


事情を良く知る先達に対して伺いを立てる若輩の騎士アディには、目の前で繰り広げられた壮絶な異様——変異に対する知識がとぼしかったから。


或いは、彼もまた考えないようにしていたのかもしれない。


コチラも親しみを持っていた信頼していた男が取り返しの付かないような禁忌を、罪を犯したとは考えたくは無いと、無意識に思考を鈍らせていたのだろう。


——答えに至る情報は、全て視界の端に常に転がっていて、見聞きしたモノの中に散りばめられていたのだから。


故にか、

「その女に聞くのが早かろう……いや、そこの阿呆も単にたばかられておるだけかも知れんが」


腑抜けた若輩に呆れるように、刮目して化け物の観察を続けていた眼を一旦と閉じて思考の一段落の息を吐いて背後で腰を落としている女騎士が顔を隠す漆黒の仮面に僅かに振り返る。


今は身を堕とし、彼の——化け物の仲間である女騎士。


幾分かの事情を知らぬ訳が無いとは思いつつも、彼女自身が何が起きたか分からぬ寝耳に水を差されたが如き表情に対すれば胸ぐらを掴んで尋問する気にもならず、ギルティアは彼女を放置したままにしていたようだった。


そして、やはり聞いても時間の無駄であろうと、若輩の騎士に彼女の尋問をそそのかしておきながらギルティアの口は背後の女騎士を非情に斬り捨てるように厳格な表情を崩さぬままに口を回す。


「貴様も聞いていたはずだ。ロナスから奪われた——封印されていたの事を。その魔王は、数多の亡者と多くの魔族を従え——世界を壊滅せんと企んだ。名は骸王がいおうザディウス」


一度とさやに納めて様子を覗わせている自身の愛剣の柄頭を掌で抑え、感情的に抜身の刃とならぬように自戒の心構えに努めながらギルティアが告げるのは、見据えた先で蠢く骨の怪物たちが連想させる



「我々の世代はじかに魔王の軍勢と剣を交えた事もある。奴が使っている力は、貴様らも伝聞で耳にした事があるであろう魔王の力そのものだ」


ギルティアも、傍らに立つ老兵ラディオッタも過去の記憶が創り上げた悪夢に向き合わされているような面立ちで並び立ち、に至ろうとしていた。


——真実か否かは、この際と詮無い事なのかもしれない。


「ロナスの街を襲った……デュラハンの半人半魔とのたまいながら彼はだと述べていましたが恐らく——」


ただ——かつてと同じ脅威の種が、今まさに芽を出さんとする状況で過去の数多の悲劇を目の当たりにしてきた二人の兵士は、おのずと義憤に駆られ——あの頃の憎悪の火種が吹き抜けた風に一気に爆ぜて再び燃え広がるが如く瞳の奧に鋭い灯を宿すのだろうから。


「ち、違います‼ ……、彼は——彼には無理だ‼ そのは、あまりにもなものです‼ 叔父様‼」


その女騎士の弁明が虚しく思える程に、状況を静観してきた二人の兵士の気迫は殊更に満ち満ちて覚悟に滾り、今にも敵に向けて跳んで行きそうな充足を遂げていく。


事実として、盲目的なのは彼らの方であるにもかかわらず——しかし彼女が願いを込めて叫んだ真実は、もはや彼らには届かないに違いなかった。


「……」


では、——彼は何処いずこに至るのだろうか。


——。


そんな視野の限られた人間らのうごめきなど今は些事と、彼らの——いやは続いていた。


「うっぐ、ああああああああああ‼」


左右両側から包み握り潰すように抑えてくる巨大な骨の怪物の掌に負けじと、人間数人分は有ろうかという巨躯から湧き上がる剛力で無理矢理と押し返し——骨の怪物の腕より逃れたるメデメタンの咆哮は膨大な魔力の放出と共に全ての会話、森の営みの全てを掻き消すように森を揺らした。


されども心は動かない。


「……最後まであらがう気骨があるのに、なんでお前らは母親の言う事に従うんだよ」


何の一つも響かない。


膨大な魔力の放出が産み出す荒れ狂う暴風の中にあっても尚、僅かに揺れる前髪程度の変容しかなく、吹き飛ばされる足下に広がっていた黒き泉や、巨大な骨の怪物の腕関節が外れようとも彼の吐息が際立って心根重く気怠い様相な印象を持たせながら吐き出されるばかり。


侮蔑でも無く、呆れでも無く、まして嗤う訳でもない。


——ただ、嘆きこぼされる愚痴。単なる感想。


「逃げれば良いは他人事か、悪い。これも野暮だ……どうにも雑音が五月蠅くてな。頭がイカレそうで堪らねぇ」


傾げた小首、その所作挙動で耳の穴も下方を向けば、悍ましく垂れてくるのは耳奥に詰まっていたのだろう黒き液体。


溢れ出続ける黒き涙と同様に、まるで血涙の如く死を想起させ、荒ぶるメデメタンを他所に平然と別種の怪物性を披露し続ける。


「謝、る、なぁぁぁ‼ 何が分かる、アタシたち家族の何が‼」


「敵にも悲しい過去が、事情が、そんなものが強調される物語……大嫌いなんだけどよ。いざ目の前で繰り広げられちまうと流石にビビっちまうわ」


たとえ巨大な骨の怪物の両腕を弾き飛ばそうと、巨大な顎を開いて漆黒の涎を垂らしながら森の天井の向こう側から怒号に塗れた彼女を喰らおうと迫り来る。


「【腐蛇連槍斧ゲルグデ・デュオビレド‼】」


化け物の男は誰と語っていたのだろう。少なくとも、周囲に散らばる蛇の死体を組み上げて巨大な槌とも槍とも斧とも言える武具を創り出して真っ先に骨の怪物へと振り返って顎を砕く彼女とでは無いのかもしれない。


「捨てろって言ってんのに、テメェは本当に変わらねぇな‼」


その言葉が心の奥にある己に告げた独り言のようで、しかし従えていた巨大な骨の怪物が砕かれた直後も、それ以前も刮目してメデメタンのみを見つめる歪。


眼球だけが心に向かない。見据えるのは、見させられ続けるのは目を覆いたくなるような世界の惨状のみで。


「ああああ‼【地殻装蛇イグリセオ・ディオッラ‼】」


一旦と吹き飛ばしたとて戻り潮の如く化け物の男の足下に戻ろうとする黒き泉の飛沫に、未だ頭部を失って尚と存命しているはずの妹達を穢させまいと盛大に流れるように巨大な骨の怪物を砕いた後でも齟齬そごなく振り回して巨大な武具で地面を叩き、地震の如き衝撃を放つメデメタン。


「それで守れたもんが、何かあったかよ‼」


守りたいモノ、守りたいモノ。

全てが揺さぶられ、あらゆるものを外側に弾いて世界に波及させようとする状況下、何者にも揺るがされない二つの思想。


「ぐぅ⁉ このっ——」


妹達を守る為に武具を敵では無く地に叩きつけた事で僅かに生じる動きの隙、全てを地叩きで産ませた振動の波及によって弾いたはずが化け物の男は身に纏う黒き衣を防御盾の如くひるがえす事で防ぎ、その隙を突く。


メデメタンの巨躯の懐に跳び込み、彼は殴った。黒き魔力をギュウギュウに溜め込んで纏わせた拳で鋭く全力でメデメタンの顎を撃ち抜く。


「——の御終いは、さぞかし唐突だったろう‼」


「⁉ ふぐぅっ‼」


ガクリと曲がったメデメタンの首ではあったが、それでも一撃で仕留められるという慢心は無く、少し膝を堕とした彼女へ化け物の男は更なる追撃——振り下ろされていたメデメタンの武具の柄に足を着地させ、彼は体を捻り、回し蹴りで彼女の脇腹に猛烈な一撃を見舞った。


見据えるのは、見させられ続けるのは目を覆いたくなるような世界の惨状のみで。



「母親から愛されてねぇ、母親は自分の事しか考えてねぇ……デュエラを手に入れる為なら、他の娘が犠牲になったって良いって動きっ、だ‼」


そう容易く倒れる事など、有りはしないのだろう。完全に防御の間に合わぬタイミングで脇腹に蹴りが入り込んだ手応えを感じつつ、化け物は嘆く。


衝撃に吹き飛ばされるメデメタンの巨躯ではあったが、直ぐ様と彼女が足を地面に突き立てて飛ばされる勢いを殺すくいとして地面を削りながら全身に力を込めて硬直し、姿勢を保つから。


「——っ。うるっさい、何が分かる‼ 分かる訳がない‼ 分かった顔をするな‼」


相手が止まるまで、もう追撃を止めないという確固たる意志を感じる男の動き。対してメデメタンは歯を食いしばり、耐え忍び続けていた。


男が突き付けてくる指摘も、一撃一撃の重さも——殺意に溢れた猛撃。



勝てない。勝てない。勝てない。


「デュエラを手に入れれば、入れさえすれば、きっとに戻るから。きっと次は元通り家族の事をちゃんと考えて、母親らしく子供の事を心配してくれてあの頃みたいに家族仲良く、平穏に森で暮らしていけるから」


幾度いくたびと人並み外れた大きさの拳を振るおうと、己よりも随分と小柄な化け物の肢体をかすめる事も出来ないで居る。まるで恐怖を見透かされているように——或いは意図的に化け物の周囲で蠢く黒き煙に牽制されて導かれているような歯痒さ。


「——っ‼」


抉られる。抉られる。拳を一つ、相手に向ける度に込めた力以上の活力が奪われて、その最中に聞こえてくる言葉が、やけに不快に耳を突いて心に重く圧し掛かる。


「そう願って——デュエラを差し出そうとしてんだろ‼ 叶いもしない希望を抱いて、幾つの夜を寝過ごして流れ星が通り過ぎたんだ‼」


化け物だ。化け物だ。化け物だ。

独りぼっちの夜——ふと想い更けた時に、襲い来る不安ように朧げな——姿形の捉えられない化け物だ。


確かにそこに居る筈なのに硬く握った拳はり抜けて、重い想いばかりをベタベタと不快な、不愉快なを、考えないようにしてる、見ないようにしていたを纏わり付かせてくる。


——怖かった。


単純に、純粋に、怖かった。

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