第144話 血迷いの霧。4/4


誰しもが、そうなのだろう。

少なくとも彼はなのだと思わない。


悲しい事、哀しい事、辛い事、苦しい事。


大小様々——感傷の具合もまた各々と違いが有れど、少なからずや生きていればを抱える者など居ない筈も無い話。



「【千年業骨サウザンドベネシス八百万やおよろず】」


他者の痛みをおもんばかれば、それはそれはと——さぞや褒められる事であろう。

しかして彼がこれから行う所業は、ソレとは真逆——非難轟々と多くの者たちから罵られるような強者が弱者を踏みにじるに相違ない。


文字として仕立て上げれば、又は一面のみを衆目に晒し上げれば、妹達を守る為に、姉を守る為に、家族の為に、母親の言いつけを守っているに過ぎない純真な子らの懸命を踏みにじる目を覆いたくなるような悪行。


「っ。アル姉様‼」


 「くっ——このっ、させてたまるかい‼」


——されども戦争なのだ。


戦争という大罪の日和。


言ってしまえば他の些末な冒涜が一括ひとくくりに覆い隠されるように、彼の罪もを得てゆるされるのかもしれない——或いは彼女らが己らのを必死に守るのと同様に、彼にだって何をしてでも必死にノがあった。



ああ——これは単に

取るに足らぬ正当化の為だけの詭弁の世迷言。


「金属の硬い体。ってのは良い事だ、硬ければ硬いほど良い」


 「——っ⁉」


彼の者が行う所業の、たかが見方が少し——ほんの僅かに変わるだけ。

す残虐の色合いが変わる訳でなし。


黒き泉より湧き上がり、雨や風が入り乱れる荒れ果てた森の喧騒に一瞬にして広がるは、まるで生者を理不尽に地獄に引き摺り込もうとするが視界なきままに手探りで生者を探すみにくき光景。


それらの頭目であろう巨大な骨の怪物に、地面から溢れる死んだサンゴ礁の如き様相で伸びる無数の骨の腕から逃れながら空へと跳んだ鉄蛇としての威厳を放つ銀色の肌のガルメディシアが、空中へと咄嗟に逃げおおせたが故にと相成る。


「……選べよ。か、か」


 「ガルメちゃ……」


捕まれた片足、未だ森の天井に埋まったままの骨の怪物の顎が開けば鉄蛇である彼女は己の身を守る為に増々と身を硬く、捕食されぬ為の緊急措置を取るのだろう。


けれど、そんな事はと巨大な骨の腕がガルメディシアの両足を握ったままに腕を猛烈に振った先には先の攻防で九死に一生を得ながらも未だ受けた衝撃に片膝を着き、体勢を整えようと試みていたガルメディシアのであるメデメタンの姿。


「——……くそがっ‼」


鉄鋼てつはがねとなった己をとする。

化け物からすれば、どちらでも良いに違いない——鉄で打つか、肉骨にくほねで叩くかの違いのみ。


だがガルメディシアは化け物の言葉通り選ばねばならなかった。


己の硬い鉄の力で身を守り続け、強烈な打撃を姉に与えてしまうか。己の身を犠牲にして出来得る限り姉への衝撃をやわらげるかの二択。


無論、刹那の思考——彼や彼女いわくとやらに溢れたガルメディシアの選択は、


「ぐっぅ⁉ ガルメちゃ——」


己の身を、痛みを受け入れて鉄鋼の防御を完全に捨て去った姉への致命打を避ける選択。


一方で巨大な骨の腕に振り抜かれた妹を抱きしめるようにメデメタンはガルメディシアを守る為に大きな体を殊更に広げて、そして衝突時の衝撃が両者の体に留まらぬ為に咄嗟に後方へと跳んで抱き締めたガルメディシアと共に敢えてをするに至るのだ。



——その事も踏まえて、底知れぬ化け物の闇深き眼差しにを知らぬままに。


「くへへ……実際どうなんだろうな。柔軟な肉を叩きつけられるのと、硬い金属のかたまりをぶつけられるの……局所的な打撃と分散される範囲的な衝撃——どっちのダメージが大きいんだか」


化け物からすれば巨大な骨でガルメディシアの体を掴んだまま、たとえメデメタンが受け止めて抱き締めようと彼女ごとガルメディシアをヌンチャクの如くアチラコチラに


しかしその実と——彼がを繰り返さなかったのは、二人の姉を遠ざけて尚も残る


体格や体術の練度を鑑みて個人戦でやや劣る——であったから。



「貴っ様ぁァァァァ——『【飢歯きば】』——⁉」


 「——メル……メラ……?」


二人の姉が振り回されて投げ飛ばされた様を見て、激昂する青髪の少女の咆哮。


しかしてその咆哮は遠くまで轟く事も無く


黒き泉から這い出続ける無数の骨の触手の襲撃から姉である音蛇のアルティアを水流の魔力で守っていたメルメラは、いつしかと足下に忍び寄って背後に回り込んでいたに気付かなかった。


「……」


背後から、突如として現れた巨大な骨の怪物のあぎとに頭部を噛み千切られて。


なれば露になる首断面から噴き出始めた妹の血潮に、三つ目の瞳孔が開き、音蛇のアルティアの口が笛の構造となっている右腕の親指から離れるのも無理からぬ事。


「身内が死んでも舞台で演奏を止めるな、ってのは外様とざまが言うもんじゃないよな【裏帳簿ハンドブック・ブラックス】」


その隙を生じさせる為に衝撃的な光景を創り出したと言っても過言では無く——黒き涙を流し続ける化け物は自らが行おうという非情に目をつむり、親指を口から離したアルティアへ掌を向けて足下の黒き泉と共に周辺の視界を覆う黒き噴煙を解き放つ。


或いは、せめて妹の凄惨せいさんな姿を長くは見せまいと言った配慮か。


 いや——そんな事など有りはしないのだろうが。



「——【魔笛蛇壊フェレ・グラネ……‼】」


妹の頭が食われた姿に動揺したアルティアだったが襲い来る黒き噴煙に直ぐ様と我に返り、対処の為に——混迷する状況を白紙に戻す為に、これまでもそうしてきたように彼女は盛大に笛を吹いて周囲の全てを振動させて破壊する魔力の超音波を放とうとした。


「ダ——『』……かっ——⁉」


——しかし笛とは、空気を送り込んで、息を吹きこんで音を鳴らす楽器。

呼吸とは、息とは喉やその周辺に付随する筋肉の動きによって行われる行為。


喉を貫かれれば、機能不全を起こすが道理。


解き放たれて迫り来るは、視界を覆い——魔力感知を攪乱かくらんさせて機を伺う為の物では無く、今回の目的は単に為だけの物であったのだ。


目隠しの煙が充満してから動くだろうという先入観を利用した謀略。


黒の煙の先鋒から、周辺に黒の煙が充満するその前に伸びたのは漆黒の槍が一突き。


「……あ、かっ——……」


ものの見事にアルティアの喉を穿うがち、彼女の小さな肢体を宙に浮かせる悪意の一突き。


無意識に地に足付かぬ居心地悪さにバタつくアルティアの両足、喉を塞がれ呼吸困難を起こして槍の柄を両手で引き抜こうともだえる様が遅れて充満しつつある黒の煙の隙間から垣間見えて。


「……ははっ、暴れるなよ。腕が疲れるだろ?」


聞こえたのは化け物の嗤い声、そして——


「アルティちゃん……離せ‼」


黒き泉から這い出て手探りで盲目的に体を掴んで来る無数の亡者の腕たちを踏み潰し、妹を思って苦痛に悶えても良い筈の体を気力だけで突き動かしながら黒い煙を吹き払う程に勢い良く駆け出してくるメデメタンの足音と必死な願いが込められた叫び。


されど——化け物の男は言った。


「——【秒位利息セコンド・インタレスト】」


 「……⁉」


しか、叶える事は無い——と。アルティアの喉に抉り込む槍の矛先は、黒き化け物の男の指示に無感情に従うように変異を遂げる。


それは膨張——傷口を無理矢理に押し広げるような膨張。肉が内側からパンっと弾けるように裂け跳ぶ程に、音のも無く彼女の頭部は喉から裂かれて粉微塵こなみじん、飛散する肉片と血飛沫が生々しく呪いのように世界を濁す顛末。



「あ、あ——アルティア……ちゃん‼」


槍の矛先に吊り上げられたような格好であったアルティアの肢体が崩れ落ちるように黒き泉に力なく倒れ往く。今すぐに救援に向かおうと動きの邪魔をする無数の骨の腕を振り払い、動き出しが遅れたメデメタンの叫びも虚しく、呼び掛けも届いては居ないのだろう。



そして——目の前で砕かれた妹の頭部に愕然とするメデメタンを他所に、彼女の傍らを一つの影が通り過ぎた。


「——ふざけんじゃ、ないよ‼」


 「⁉ ダメ、ガルメちゃん‼」


それは、鉄蛇のガルメディシア。


幾つかの内臓が潰れ、幾つかの骨が折れても尚と、勝てる保証もない黒き化け物の男を相手に果敢に駆け出し、せめてもの一矢を報いようといった鬼気迫る表情で血の漏れる口角を食いしばりながら彼女は姉の制止に耳を貸す事も無いままに血が噴き出る程に握り締めた拳を鋼鉄へと変えて振り上げたのだ。


「その鋼鉄化は厄介だが、過度に硬質化すると動きに誤差が出て反応が遅れる以上——を同時に相手するのに近接戦闘は愚策だろ」


だが、彼女らの妹達の返り血を浴びて赤々と染まる化け物の平静は——相も変わらずと淡々と続けられ、——彼の者は目の前まで迫り来ているガルメディシアに対して黒き涙と返り血を拭うべく視界を自らの腕で塞ぐ仕草さえ見せる。


が——殴られるつもりなど、毛頭無い。ある筈もない。


「ぐがっ⁉」


もはや確信を以って述べれば彼の者の足下に広がる黒き泉も、そこから這い出る無数の骨の数々も、そのに等しく。


拳を振り上げて、振り下ろそうとしたガルメディシアの怒りと覚悟の咆哮も意味を成さぬままに、彼女の全ての動きの起点を黒き泉から現れる幾つもの漆黒の槍にくぎの如く、くいの如く刺し貫かれて止められる。


しかし——彼女も姉であった。


「っ、くっ……ね、姉様……二人を安全な所、にっ——‼」


鋼鉄化していない肉や骨を穿うがたれる異物感と痛みに耐えながら、


赤錆色の髪を揺らして彼女は前に進む。


槍が幾つもと体に押し入った勢いで殊更に喉を逆流してくる血液を吐きながら前へと進み、やがて化け物の男の肩を何とか掴むまでの距離まで辿り着きながら自らの肉体を硬質化させ続けていく。



「なるほど、だ——」


一矢も報いる事が出来ないならば、せめて——せめて妹達を、姉を、家族を凶刃から守ると成ろう——そんな覚悟が如実に伝わる一幕に、捕まれた自らの肩に恐らくと目線を流しながら黒き眼底の瞳にすら輝きの無い男の感嘆が漏れ出でる程に強き意志をたずさえるガルメディシア。


「【劣鋼蛇壊デジャビア・グラネ————】」


きっとそれが彼女の


全身に行き渡るのだろう銀の肌が、彼女の掴んだ化け物の男の魔力で創られているのだろうへと塗り替えていく。


全てを鉄に変え、己を含めた全てをびてちさせる——きっとそれが、彼女の


黒紫の髪の隙間からメデメタンの開かれた瞳孔が垣間見えて、



「やめっ……『力が欲しいか、ならば百年利息ハンドレットインタレスト転用ダイヴァート】』」


そして化け物の男が嗤うのだ。自らの肩が金属に変わっていく様を横目に、なんら危機感をつのらせる事も無いままに——先んじて皮肉を与え、むしろ彼女の怒りを後押しするように。



「……ふぐぁっ⁉ な、何を——が、入ってくっる……‼」



やがて鉄に変わりつつある大地の足下に広がる黒き泉も——その全てが彼の指示に従って逆流を始め、ガルメディシアを貫く幾つもの槍を通して決死に化け物に挑むガルメディシアを後押しするように、彼女の身をおかし始める。


耐えられるだろうか、いや——耐えられない。


「‼ ……——」


無理やりと押し入ってくる液状化している魔力の物量におぼれ、その後に全ての血管や細胞の隙間にまで至り、全身を埋め尽くされて未だ銀に染まり切れていなかった部分は黒く染まって。


まるで——まるで結末は、水風船が破裂するようだった。



「あ……あ——いやぁぁぁぁ‼」


足下から押し入り、腹に溜まり、瞬く間に内臓を満たし、やがて苦痛の中で天を仰いで叫び開いた口から溢れ出し、眼球の毛細血管にまで及び、いよいよと柔軟さや大きさが体とは違う頭から限界を超えて裂け、爆発の如く弾け散っていく。


——そうして残ったのは、ガルメディシアの屈強な下半身のみであって。


「——だよ」


果たして、これ以上におぞましい光景があるのだろうか。


妹の無惨な死に様——倒れ伏す魔物であるが故に未だ回復の余地があるとは言えど圧倒的な命の危機に脅かされてる二人の妹たちの状況を前に、黒き化け物は行き場を失って迷う霧雨きりさめの如き血霧ちぎりの中で、メデメタンの動揺と怒りと絶望の衝動を浴びても尚、平然と佇み続けていて。


果たして、これ以上におぞましい光景があるのだろうか。


「——⁉」


「デュエラも……もう俺の家族だから。


淡々とメデメタンの激情の裏を掻き、背後に残していた巨大な骨の怪物の両手で暴れ回ろうとしたのだろう巨躯のメデメタンを抑えるその最中さなか、化け物の男はうつむき——メデメタンの怒りに同情するように額に手を当てて前髪を掻き上げる。


——目は有った。目が合った。


「とはいえ、お前らに恨みはねぇさ。だからもう、楽に終わってくれよ」


これまでの何処より、何よりも怒りに満ちた静かに燃える炎の如き揺らめきで、確固たる自我を持って底知れぬ闇であった双眸に光が宿る。と同時に、メデメタンの背後で骨身の奧で闇と繋がる顎をガコリと大きく開き始める巨大な骨の怪物。


「——それから……見てんだろ、テメぇだけは絶対に殺すからな。くだらねぇ夢に娘を付き合わせて犠牲にする毒親、バジリスクのド腐れババア」


その怒りは何に対しての怒りなのか。

少なくとも、哀れな死を遂げるバジリスク姉妹を見据えての物では無いのは確かで。


光が灯れど今も尚と流れ続ける黒の涙の行き先を、未だに行き場を迷う血の霧が隠すのと同じく——真相は今暫くの向こう側。

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