第141話 轍を抉る軍風。2/4


それは、明白な事であったに違いない。明瞭であった事には相違ない。


「——申し訳ない、ギルティア殿。手をわずらわせてしまった」


 「うむ。予期せぬ事が起きるのは戦場いくさばつね——どうやら私のが要因だろう、謝るべきはコチラだ、ラディオッタ殿」


せわしない状況がギルティアの働きによって一段落した後に、木々の隙間を跳ねながら傍らに降り立つ本来はメルメラの相手をしていた老兵ラディオッタ。視線の牽制で敵の動きを抑える僅かな間に端的に会話を交わす二人は、女騎士を背後に控えさせる形で陣を取る。


そして、誰が為に彼の言葉が放たれたか。


「——いつまで戦場で呆けておる‼ 立たぬか鹿‼」


 「は、はい‼ 叔父様‼」


平然と、まるで受けた傷の痛みが無いかの如く振る舞う厳格な叱責しっせき、確かに意外とも思えたギルティアの行動に呆けていた女騎士カトレアの背筋は、まるではずまされたように正され、萎縮と緊張の面持ちで声も僅かに裏返る始末。


「「……」」


如何ほどの激戦を潜り抜けて来たか、砕けた鎧の名残、なにより片腕を魔物ののように変異させているカトレアの異様で歪な姿を見れば彼女の憔悴しょうすいと疲労、は容易に差し測れる。


しかし未だ、彼らはそれをねぎらう言葉を放てずに居た。



一方、そのかんも会話が無かったわけではない。



「メルメラ、どうしたの。何があった?」


 「——。アイツが‼ アイツが殺したんだ‼」


ギルティアらを尻目に、並び立つ姉と妹。些かと興奮気味に敵を見据え見開かれる蛇の目は、威嚇を越えた殺意に鋭さを増して、冷静に状況を把握しようとする姉からの問いに対してすら、怒りにビキビキとうずく鋭き爪の手をきしませる程には力が入っているように思える。


「エルメラが……そんな馬鹿な事が」


 「エルメラが最後の力で教えてくれた、事情はアイツから聞く。聞いて——それから八つ裂きに‼」


わずらわしい、煩わしい。仲の良い姉の声すらも、やはり今は煩わしく——その一抹いちまつの姉妹愛さえなければボサボサの青髪の少女は直ぐにでも彼らの命を狙いに跳び出していたに違いない。


「……」


肩に手を置いても尚と、敵から視線を一切と逸らさない妹の顔色は鬼気迫る。負けるという疑いこそ無いが、やはり些かと冷静さを欠く妹に、さもすれば重大な怪我の一つでもあるのではないかとの危機感をつのらせる姉。


それはとなった状況も要因ではあるが、なによりと今後の展望を憂いての物であったのだろう——周辺の薙ぎ倒された森の木々の目線を流す姉は、激情に駆られる妹メルメラとは対照的に瞳の色を酷く冷たく、深く染め上げていくのだ。



「——ぷっ。カトレア、状況を述べよ」


そんな頃合い、ふところに忍ばせていた液体の入った小さなガラス瓶のふたを噛み引き抜いて、唾の如く吹き飛ばしたギルティアは己が受けた腕や顔の傷にガラス瓶の中身を乱暴にぶっかけていた。


治癒魔法のように細胞を活性化させて直ぐに傷口を塞ぐ程に治る事こそ無いが、その液体には似たような効果があったようで滲み出していた血は止まり、消毒の役割程度は果たしているのだろう。


傷口からくゆる白い蒸気が細胞の活性で起こる体温の上昇を思わせる。


「——双子蛇の片割れ、バジリスク姉妹七女であると、それから四女のまでは到達——しかしその後、三女のウルルカという者によって壊滅的な打撃を……」


その事象の最中、片手間で問われたギルティアからの質問に、神妙な様子で答えを返すカトレア。始めこそ淡々と言葉を紡いでいたものの、末尾に灯るは後悔のよどみ——降ろしている氷の剣の柄を握り締めさせる悔恨も、一目で伝わる気配を漂わせて。



「……倒したか。その代価がその左腕……無様な物だな」


中身が空となったガラス瓶を用済みと投げ捨てるギルティア、敵を見据えていた鋭い視線はそこで漸くと僅かに流れ、氷の剣を握り締める姪御の——獣の腕と化しつつある白い体毛が生え揃う赤黒く腫れた腕へと心ばかりと改めて辿り着く。



褒める事など、或いはなぐさめる事すら、彼の信義——矜持が赦せる物だろうか。


一方、再びと視点を変えて、カトレアがギルティアに行った報告は彼女たちの耳にも届いていたようだった。



「レシ……フォタン? 二人? まさかまで——有り得ない、でも……なら、やはりがデュエラの連れて来た……」



 「やっぱり‼ 殺してやる……絶対、絶対に‼ 姉様、離して‼」


全てが聞こえた訳ではない——遠方より腹の底を震わせる様々な物が織り交ざった地鳴りのような戦の轟音、未だ激しい戦いを繰り広げているのだろう雷鳴と弾ける金属音も健在。


にわかには信じ難い敵方の言動に戸惑いながらバジリスクの姉は、それでもまたしても先走り掛ける妹の肩を押さえる手を強める。


何か異常が、が起きているのは明白なのだ。


「——落ち着いてメルメラ。まだ本気で暴れる訳には行かない……アレを捕まえるのは手伝ってあげるから」


「で、でも‼」


だからこそ軽々に動きを決める訳には行かなくなっている。バジリスクの姉は周辺に潜ませているとも言うべきの様子に目を配った。


「……状況から見てエルメラとレシ姉様の魔石は、ウル姉様が守ってくれたはず。きっとアレはウル姉様から逃げて来た残党。それに——が見てる」


「——‼」


そして。蛇の視線——殊更に慎重を期さなければならなかったのかもしれない。無惨に先ほどの水流によって薙ぎ倒された深き森の木々そのものや木の葉の隙間を音もなく這いずる無数の蛇の動き、視線の前で、もしもここまでの経緯——語られた情報を精査して導き出された現状が事実であるのなら尚更と、を披露する訳には行かなかったのだろう。


そのを口にした瞬間——激情に駆られていたメルメラが一瞬にして気配を萎びさせた様が或いは、その証左に違いなく。



「……本当にエルメラやレシ姉様が殺されたのなら、母様かあさまが黙ってる筈が無い……何か指示や伝言があるはずだから」


 「わ、分かった……」


肩から外された手、しかしもはやメルメラの激情に駆られる本能は失せて——彼女は我に返った様子。いやむしろそれは、燃え盛る怒りを凌駕し得る更なる熱量——別の本能の為せる業であるのだろう。


メルメラは——まるで過去に不快胸の内に刻まれたを思い出したかのように声と体を僅かに震わせるのだから。



「……なにかがあるか。読めぬな、——カトレア」


そんな安穏としない敵方の気配を横目に、コチラにもが生じ始めようとしていた。その起点は横並びに立つ老兵ラディオッタに警戒を託し、武の構えを解いて持っていた剣を地に突き刺したギルティア・バーニディッシュである。


「は、はい……叔父様」


負った傷に応急治療用の包帯を巻き始めるギルティアの呼びかけに応えるカトレア。その頬に伝う冷や汗もまた、メルメラが姉の口から放たれたによって想起させられた恐怖にも似た畏敬いけいが滲んでいるよう。


——彼女も、カトレアも分かっていたのだろう。


「その腕、浸食されているなら——それで魔物化が止まらんのならせよ」


 「……」


「足手纏いも、これ以上の敵も要らぬ。せめて介錯かいしゃくはしてやる」


ギルティアが彼なりの優しさによって、そのような気遣いを己に贈る事を。


自らの意思が介在せぬままにうずく獣の腕、忙しなさに忘れ去っていた全身を駆け巡る苦痛や倦怠感が海潮の如く戻ってくる予感——予兆。


『なっ——コイツ、なに言って——確かコイツって』


 「


選ばなければならなかった。否、選んだ事を伝えなければならなかった。


故に内なる彼女が怒りを露にする前に、女騎士カトレアは瞼を最期に閉じるが如くおだやかに、ゆるやかに——深く心を落ち着かせ、彼女の名——を口にする。

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