第141話 轍を抉る軍風。1/4
当然と異変は近しい者ほどに鮮烈に伝わりゆく。
「メルメラ⁉ この魔力は——何が、っ‼」
唐突に膨れ上がった妹であるメルメラの刺々しい怒りの気配と魔力に、ギルティア・バーニディッシュと戦の矛を交えていた眼鏡を掛けた文学少女の風体の姉は驚き、一瞬の戸惑いを魅せてしまう。
その隙に詰められる間合い。
「いっそ、そのまま——余所見をしておれ堕落者‼」
「くっ——コイツ、また——集まれ、雑魚ども‼」
首に腕を巻くが如く捻り上げられる肩、空中を駆る姿勢からギルティアの剣が猛烈な勢いで文学少女の風体の敵へと振り下ろされる。そんな剣を受け止める為の武器を持たない少女は咄嗟に後方に跳び退いて剣を避けたが、故に地に立つ者と宙を駆る者が入れ替わる。
「群れを誇るは獣の道理‼」
「飛び道具っ——ホントに面倒‼」
そして地に足が付いたのも束の間、すかさずと空中で身動きとれぬ少女の肢体目掛けて何処から取り出したのか暗器の小刀を空いていた片手で滑り投げるギルティアに、文学少女の風体のバジリスクは歯を噛みつつも革手袋に身を包む右手で直接と投げられた刃を掴み、防御とした。
「群れに
尚も続く攻防——バジリスクの左手の露になっている指が鳴り、地を踏みしめて追撃を試みるギルティアへの足止めの為に差し向けられる彼女の配下である大小様々な
しかし——
「——小蛇の
互いの間合いに割って入るバジリスクの少女にとっては盾代わりの意味合いもあった多量の蛇も、次々と剣一本で斬り裂かれ、猛烈に駆け回る剣撃の隙間を抜けられた小さな細蛇の牙も何故かギルティアの衣服や腕などの肌に対しての意味を成さない。
——気付き始めていた。
「弱者も多き人の生——だが、それでも尚と『人』を舐めるな化け物風情が‼」
魔術を用いぬ人風情、そうタカを括っていたギルティアの底知れぬ気迫の根源に気付き始めていたのだ。永きに渡る求道の末、その
そして、故に苛立つのだろう。
「ちっ、そんなに人が偉いか‼
無意識に舌を打ち、脳裏の勘を働かせているのだろう部分へと
剣と素手では分が悪い——そのような評価にまで昇り上がるギルティアの実力。
「誇りと身分上下に関わりなど無い‼ それを
「これでも喰ら——」
いよいよと拍車を掛けて二人の戦いは激しさを増そうとしていた。
だが、その時だ。
『逃げるなああああああ‼』
「「⁉」」
なおざりにしていた、せざるを得なかった気掛かりの要因が、いよいよとコチラにも津波の如く木々を根ごと薙ぎ倒しながら押し寄せ始めて。
その光景は、怒りに暴れ狂うような水流の大蛇が、小さき兎を追い詰めるが如く。
「——ギルティア叔父様⁉」
放流された水圧、まるで蛇に巻き付かれるように
そして少し距離のある互いの位置、すれ違う
「カトレ……「避けて下さい叔父様‼」」
突如として戦地に現れた女騎士の名を、突如として何者かに襲われる
呑気に会話を交わしている暇など無かったのだ。
「【
「メルメラ⁉」
兎の騎士を追う水流の蛇は一匹目に過ぎない。遅ればせながらか、これまでは死角となっていた森の樹木の合間を蛇行して八本の水流が地に降りる、堕ちたと言っていい兎の騎士を目掛けて歯牙を剥き出す。
加えて一方、その中心に激情に駆られた妹メルメラの姿もその場に躍り出て——我を忘れた様子のメルメラの操る水流の歯牙は、そこにあった姉の存在にすら気付かずに何を気にするでもなく周囲一帯を
「ここは一旦退却を、兵が巻き込まれぬように——ここは私が抑えます‼」
——
さて、そんな想いもあったのだろうか、幾つもの膨大な水流に狙われる女騎士。
地に着地するや踵を返し、何とか誰もが己を狙う歯牙に巻き込まれぬようにと水の滴る氷で創られた剣の柄を固く握り構えようとしたのだ。
「くっ——、下がるのは貴様だ‼ カトレア‼」
「なっ⁉」
しかし叔父であるギルティアは彼女よりも早く、彼女の言葉を待たぬまま、既に姪であるカトレアの前に躍り出て彼女の名を叱責の如く呼び捨てて、己が戦っていた敵の隙を突くよりも唐突に現れた姪御の危機を退ける事を優先させたようだった。
「破ぁぁあああああぁあああああ‼」
『いぃ⁉ 剣一本で全部弾く気ピョンか⁉ 水を⁉』
さて、そんな想いもあったのだろうか。少なくとも——知る由もないカトレアの心内で響くユカリという魔物の驚きを他所に、剣一本でメルメラが放った水流の蛇共を粉微塵に斬り凌げるとの自負はあったに違いない。
事実として前方と相成った方角から押し寄せる膨大な量の水流を腕をしならせ、或いは軋ませながら振る剣が生む剣風圧は、水流を弾き——あたかも中洲の如くギルティアらが立つ場への侵入の一切を許さない。
それは確かに、人智を超えた事象を目の当たりにするような驚くべき事であっただろう。
しかし——故に全開にして、それ以上が存在しえない限界であるとも言えるが道理でもあって。
「——とりあえず、死ね‼【
だからこそギルティアと戦っていた眼鏡を掛ける文学少女の風体をしたバジリスクは先ほど創り上げた蛇が連なる硬質化された棒を両手で握り、過ぎ去ったメルメラの水流の中から跳び出して凶刃を振るうに至るのだ。
やがて急襲の様相で襲い来る蛇の棒、殊更に信じ難い事にメルメラの水流を防ぎ切った直後のギルティアの剣に防がれてしまうソレではあったが、もはやその時のバジリスクの少女に容易く相手を討てるという慢心は無く——
「叔父様‼」
「【——
自身を守って窮地に立たされたギルティアを案ずる声を女騎士カトレアが放った直後、攻撃を受け止めた剣に棒となっていた蛇が巻き付いて急激に膨れ上がり、赤き
一瞬にして熱風が走り、鼻を掠める硝煙の薫り。
燃え散る肉の気配、蒸気へと変わった血の臭い。
だが——それが何であろうか。
「……‼ なっ——⁉」
まだ視界の景色に存在する残り火と生じた白濁と不完全燃焼な黒が入り混じる煙の中から棒撃を命中させて僅かに気が緩んだバジリスクの少女の首に向けて伸びる男の鍛え上げられた腕。
そして——
「……小賢しいわ小娘‼」
ギルティア・バーニディッシュ。人でありながら凄まじき鬼の気迫を感じさせる彼の鋭く厳格な眼光が跳び出して。
「ちっ‼」
そのギルティアの気迫には、さしものバジリスクの少女も威圧されたのか、咄嗟にと首を曲げて首根を掴もうとする彼の腕から逃れた後で、不本意な表情に染まる顔色のままではあったが後方へと距離を取る判断を
——そうして彼の手が掠めた首筋に、一筋の血が冷や汗の如く滲む顛末。
「お、叔父様……」
棒撃の爆発で生じた残り火も途絶え、白と黒の入り混じる煙も晴れて——それでも尚とギルティアは立っていた。バジリスクの首を掴もうとした腕からは血が垂れて顔こそ苦痛に耐えているのか俯いているものの、決して軽傷とは言えぬ火傷の症状が一目で分かる様相であっても立っていた。
赤々と腫れた肌は片腕の半分にまで広がり、そして腕だけではなく、爆発の範囲であった頭部の右額もまた焼けたように未だ
しかし致命の難自体は確かに逃れたようだった。
「——……父と母より賜りし血肉、辿れば更に祖父母、曾祖父母——生という苦楽の中で延面と受け継がれ、育まれた肉体‼ その歴史の重みを、繋がれし想いを、恥や失態と謗られる為に健全と生き、鍛え上げ、次代へと継ぐ‼」
僅かによろめく直後、刮目し朦朧とするかと思えた意識を踏み止まらせて力強く自らの血が滴る木ノ葉の大地を踏みしめたギルティア。己が胸に宿り続ける、
それは、誰に向けての言葉だったか。無論と、傷を受けた苦痛に弱り掛けてしまった己を奮わせる為の言葉であったことは間違いではない。
ただ——それだけでも無い事は言わずもがな事でもあって。
「神の恩恵もありて人として生まれた事を感謝し、恩義に報いるべく——後悔せぬ為に、周囲に後悔をさせぬ為に生きる‼」
「他や己、人——己が種族で生まれ出でた事の尊厳を向上の心を以て守り生き抜く——それが誇らしく生きるという生き方だ‼」
体勢を整えるべく、ギルティアから距離を取ったバジリスク——兎の騎士を激情のままに追い掛けてきた水蛇のメルメラでさえ、衰えを知らぬどころか増々と威圧を強めていくギルティアの気迫に、易々とは動けずに居た。
敵に向けられる剣に揺らぎはない——己を庇って攻撃を喰らわせてしまった叔父の背に後悔はない。
「何故に血肉に魂が一つ宿るか、考えもせず他や己を卑下してばかりの堕落者に遅れを取ってたまるものか‼」
「恥を知れ‼」
紛れもなく【人の砦】——ギルティア・バーニディッシュ。
『な……何なんだピョン、この化け物……』
その背は威風堂々と述べるに相応しく、あまりにも硬く、人の身でありながらも分厚い巨壁と見上げてしまう程に壮大に思え——そして自然が産み堕とした異形の怪物たちにすら、怪物と評させる程の【人】の異常と意地を痛烈に感じさせている。
さて——誰が為に、彼の者の言葉は放たれたのか。
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