第137話 魔女の虚空。1/4


彼の者の願いが、虚しいか否かを未だ知る者は無い。


何故ならば今を、現在を先んじて語ってしまうと——彼女たちは未だ、彼女たちも未だ烈火の如き戦の只中に身を浸しているからに相違なく。


「ちょこまかと——どこに逃げると言うのです‼」


 「……逃げ先を教える逃亡者が居ると思う?」


広大な森の鋭い針葉樹の木の葉や樹木が風のような流線に見える速度で覆面のガラスは木漏こもに煌き、空を飛ぶ箒を追う青蛇の女の背後からの声掛けに覆面から洩れ出でる独特の呼吸音の後で独り言のように魔女セティスは追い掛けてくる彼女への返答とした。



「まぁ——ご自慢の力不足で捕まえられない事を、コチラ側の卑怯非道と言い捨てるのが楽な気持ちは理解、する‼」


時折と見晴らし良く通り過ぎる滝の湿気の音が耳を掠める中で、速度を落とさずにまたがる空飛ぶ箒の柄を握り捻り、精一杯の腕力で箒の進む方向を変えて目の前に迫っていた樹木との正面衝突をスレスレで避けていく。


「——いい加減、コチラもお遊びに付き合ってる暇は無いのですがねっ‼ すぅ——【酸蛇牙イシャリュウヤ‼】」


一方で木々の腹を蹴り跳ねながら逃げの一手を繰り広げ続ける覆面の魔女セティスに対し、若干の苛立ち混じりに言葉を紡ぎ、


青蛇の女——毒蛇のレシフォタンは魔女の足である空飛ぶ箒の動きを止めようと盛大に息を吸って紫色の霧を吹き、その中から紫の蛇をセティスの進行方向に追い付くように猛烈な速度で散弾の如く駆けさせた。


「強力な酸性……喰らったらひとたまりもない。蒸発する気体を吸い込んだだけで終わり‼」


直接と魔女の体を狙わず、いや狙ってはいたが振り返りもせずに背後へ魔女の武器である銃口を向けて放たれる弾丸と、上下に回り反転する魔女の箒捌ほうきさばきで避けられていたで、そう容易くは魔女の命を狩れないと判断しているレシフォタンは、先回りで樹木を溶かし障害物を増やす事で魔女の足を止める手段を選んでいて。



「ええ。だから遊びは終わりですよ、人間‼」


故に、彼女は追い付く。酸の毒で瞬時に溶ける樹木が自重で斜めに倒れ往く中でセティスの空飛ぶ箒は地面にこすりつくかと見紛う程の低空飛行で迂回するように速度を落としつつ滑り込み、それ故に遅れていたレシフォタンが倒れる樹木の上に乗り上げて先回るのだ。


しかして——樹木の上からレシフォタンが進み、空飛ぶ箒が樹木の下を滑りこんだが故に、も生まれでて。


「まぁ、まぁ——もう少し【粘着偽弾スライム・ブレット】」


 「——くっ‼ こんなもので‼」


樹木を乗り越えて真下に居るセティスの姿をレシフォタンが視認したその瞬間、既に銃口は敵の現れる場所へと向けられ、半透明の弾丸が発射された直後に空中分解して膜網まくあみのように広がってレシフォタンの肢体を空中へ通し飛ばす。


されどそれも森の天井を越える程の威力は無く、容易くレシフォタンの膂力りょりょくで引き剥がされる程度の時間稼ぎに過ぎない。


「殺すつもりは無いから、それは


それでも低位空飛行で崩れた姿勢を取り戻すには充分な時間が稼げた事に反論の余地は無く、再びと森の空中へと舞い戻りながら踵を返すように再びとレシフォタンを置き去りに飛び立つセティス。



その行き先は、


「今度はのですか? 迷走する程、この森は入り組んでいない筈ですが‼」


これまで彼女らが猛烈な攻防を交わし合い駆けてきた、と言っても過言では無い森の道。すかさずと粘着性のある魔力の弾丸の残滓を拭い捨て、セティスの背を負けじと追い掛け始めたレシフォタンではあるが、そのとも言える感性によって違和を心に生じさせる。


「——……何を企んで居るのか。時間稼ぎ、いや……賭けられる程の希望など無いはず。しかし何かを企んで居る、目論んでいるのは間違いない。何を……——」


或いはそれも時間の稼ぎ方。事実としてセティスの理解しがたい行動に、レシフォタンは思考に脳の駆動の比重を割いて、未だ本気でセティスを追い詰める一手を決めきれずに居て。



「何故ソチラへ……私が放った毒がまだ残って——あの速度ならば危険をおかさずとも避けて道を迂回させれば済む話。わざわざ毒地帯を選んでいる?」


そんな中で、彼女はするに至るのだ。

様々な毒の残滓が蒸気として残る木々に敢えて近づき、度々と死角に姿を消しながら森をうように蛇行する空飛ぶ箒と、死角から姿を現した際に僅かの間——箒から片手を離し、風に荒ぶるマントの懐に腕を押し入れる魔女の挙動を。



「——、事ですか‼」


木々を蹴り、跳ねるレシフォタンは。その瞬間、僅かに目線を横に流し、迷いが晴れたかのように足に込める力を強めていく。


それが——迷いを生じさせられた暗き闇の中に浸る思考の中で、あたかものように与えられ、だと彼女は気付いているのだろうか。



「……コチラの準備は整った。問題は、がどういう状況か」


表情の見えぬ覆面の裏で、後方の気配に注視する魔女の呟きは密やかに紡がれて。


「——イミトからの連絡。繋げる暇は無かったけど、は伝わった。教えなきゃ」


まるで一世一代の賭けに興じたような清々しさで、しかして——それまでの人生の後悔を回顧するように、ふと魔女は空を見上げる。


近いようで遠く——その一瞥が、永遠に思える程の情感。


けれども空飛ぶ箒の柄を強く握り直したその掌は、帰郷の面立ちとは反して新たな強き覚悟を魅せしめていた。



***


その頃合い、彼女が些かの危惧を寄せるもう一つの戦場でも激しい激戦は繰り広げられ続けている。まだ初秋の色合いが始まったばかりの森で、不可思議な吹雪が世界を白銀に染めゆく吹雪の情景。


静やかな白銀が跳ね返す赤い焔の光が、まだ昼だというのに森の影の黒を際立たせ、森で起こる騒ぎの不穏を慌ただしく煙燻けむりくゆらせ、匂わせていた。


「いい加減、しつこい‼」


 「——っ、氷も水も相殺されて現状維持が精一杯。どうにか打開のすべを‼」


蛇の如く唸る髪も燃え盛る怒髪天、空中で轟炎を纏い宙に立つヌイグルミを両腕で握り締める蛇の少女エルメラの放つ炎の攻撃を、水を纏う剣から放つ水流の刃で相殺し、発生した白い蒸気の中から走り抜ける兎耳を生やした白銀の鎧騎士カトレアは活路見い出せぬ現況に歯を噛み、そして足下の雪原を滑らぬように踏みしめていて。



「ユカリ‼ 氷の道を——ユカリ‼」


次々と近づきがたい熱量となっている周囲から炎の蛇を生み出して飛ばしてくる赤蛇のエルメラの猛撃に、彼女は回避以外の選択肢を選べずに居たのだ。



だが——ここに至り、逃げ続ける事にもが近づいていた。


『分かって……るピョン、ただでさえ耳障りなのに……叫ぶんじゃないピョンよ』


周囲の森が慈悲も無く燃え続け、逃げ場がせばまっている事もさる事ながら白銀の光沢を燃やす鎧の裏で彼女が秘める怪物にも異変が起き始めている。



「⁉ これではが——どうしたのです‼」


カトレアの指示で、炎の追撃から逃れる為の氷の魔法は放たれたものの——それを道を言うには余りにも勾配こうばいが高く、むしろ逃げ場を殊更に奪ってしまう氷壁と相成る。


それを見れば、様子のは一目と瞭然で。



「そこ‼【炎蛇霧エルデュラ・ポギュリ】」


されどその機を敵が逃すはずもなく、何が起きているかを確かめる間も与えない追撃が盤面を炎の津波の如く埋め尽くすのだろう。



「くっ——【水流剣イリューリエクセリア横転舞踊エルパセッタ‼】」



背後には逃げられない——なればと咄嗟に水を纏う剣から水を噴き出させ女騎士カトレアは凄まじい横転で宙を舞った。

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