第135話 祈りの樹海。1/4


 吹き荒ぶ風は、それでも尚と寂しさだけを削らない。


遥か上空にて嵐が過ぎ去りても依然、寒々しい夜の近付く秋の風。斜陽も随分と傾き、もうじきに夕の黄昏たそがれも近しいのだろう。


「……だな。貴様はどう思う、メイティクス」


ふと空に立つ白銀の騎士に抱えられた漆黒の鎧兜は、戦の最中に共に戦う者に見識を問う。地均じならしをするように森をき潰しながら重い肢体をズルリと地上で蠢かせる山の如き蛇を尻目に尋ねた声は、とても静かでありながら不思議と風に負けぬ強い響き。


「——申し訳ないです、私には質問の意味が分かりかねます、が‼」


しかして問われた者は、その声に気を取られながらも首を動かす事も無く片手に持つ白き大剣の柄を逆手に持って斜め上へと振り上げるのだ。



「お喋りしたいんなら、他所でやってくれると有難いんやけどなぁ‼」


 「それに——あまり考えて居られる余裕もなく‼」


未だ戦いの最中、花魁道中衣服を脱ぎ捨て——蛇のうろこと胸を包むサラシ布一枚の格好で巨大な扇子を振り下ろしてくる妖女と互いの武器を交えさせ、片腕を漆黒の鎧兜で塞がれている白銀の騎士は威勢とは反し、些か防戦の様相を強いられてしまっていたのである。


「片手で剣も扱えんのか。まったく……‼」


されどそんな彼女の弱さを嘆くが如く、赤い瞳が漆黒の兜の隙間から煌けば——たちまちと攻勢の反転。白銀の鎧に黒いほむらのようなすみが走り、逆手に持たれていた白き剣を差し置いて彼女らの身体はその場にてきびすを回す。



「また——動きが‼ 噂のデュラハン、厄介な事この上ありんせんね‼」


 「腕ばかりに頼るから、体のなまりがかたよるのであろうが‼」


黒が血管の如く浮き彫りになる白き大剣を置き去り、回る白き騎士の肢体。目にも止まらぬ速さで一回転する内に鎧を纏う脚は振り上げられて白き大剣と相対していた蛇の妖女アドレラの扇子を弾き、二回転目には置き去りにしていた白き大剣の柄も彼女の手に戻り回転の勢いと共に猛烈な速度で振り抜かれる。


「これが——伝説のデュラハンの動き……」


「早計‼ この程度、我の全盛には程遠い‼」


そこからの追撃は、アドレラを切り裂く事こそ無いものの。妖女を防戦一方にまくし立てて背後に距離を取らせるには充分過ぎるものであった。


乱回転に振り回される大剣も厄介ではあったが、

何よりも鎧を纏う騎士の肉体が持つ膂力りょりょくは触れるだけでこの世の全てを砕き去る様な勢いと気配があり、何よりも強靭に思え——



「ッ⁉ 嵐んように——ホンマよう回る独楽やわ‼」


実際に相対するアドレラが持っていた巨大な扇子が弾き飛ばされた後で回転を続ける鎧に包まれた騎士の身体から放たれた足蹴を咄嗟に防いだアドレラの腕も、体ごと些か弾き飛ばされて中身の骨が砕け散った様相、


連撃追撃を嫌って背後へと退いたアドレラの動きに追随できぬままにブラリと風にはためく軍旗の如く体に繋がっているだけのような状態に成り下がる。



——治癒再生には時間が掛かるのかもしれない。



「——……にしてもいびつや。どない事情があるんか知りやしませんが、察するに噂の鎧聖女様のこそがなんかいな——聞いてた話やと、先の旦那はんもとの事らしいんやけど。興味深いわ」


上空の戦い、一転して形勢不利の暗黙の後、背後へと跳び退き距離を取ったアドレラはダラリと言う事を訊かなくなった柔軟な腕から蒸気の煙を揺蕩たゆたわせながら、徐に——或いは白々しく苦慮の顔色、苦笑い気味の妖艶で言葉を紡ぐ。



「己が頭で考えよ、敵に問う事ではあるまい」


時間が必要だったのだろう、完全に砕けた腕の修復にも、目の前の敵を倒す策を巡らせるためにも。たとえ話題を切って捨てられようと、妖女は妖しく体裁を整える。


やな……化粧直しのいとまも与えてくれませんとは、同じ女の風上にも置けんと思うんやけど」


「ふん。生憎、化粧など無くとも己を恥じる顔など持っておらんのでな」


鎧聖女メイティクスに左腕に抱えられる漆黒の兜の奧に存在するクレア・デュラニウスと言う名の怪物。


戦えば死はまぬがれぬという名高き首無し騎士が、今や頭を二つ持つ——。

何をすれば、何を語れば時を稼げるか——既に治りつつある腕の先の手を握り開き、腕の感覚、状態の確認をしながらにアドレラは苦笑を装い続ける。


「イカツイ御兜を被りなさってよう仰いますわ……よほど褒められてスクスク生きて来られたんやろなぁ。ふぅ……デュラハンのは、流石に手にした事があらしまへんから、よう分からへんわ」


そして自ら腕の肉をひねり、砕かれた骨のを絞り出すアドレラは——再びと意図的な傷を負った腕を修復させながら僅かな賭けにおどり出た。



「だからこそ、封印を解こうとアレやコレやと苦心しとった訳やし。最後の最後で掠め取られた訳なんやけども」


彼女の知らぬ彼女の過去を存分に匂わせて語る言葉は、白々しく悩ましげな艶やかな吐息。。その話題にクレアが食い付いて来る勝算がアドレラにはあったのだ。



「——ひとつ、聞いておこう。我が封印された時……貴様らは



 「? はて、質問の意味が分かりかねますねぇ」


そこに吹き抜けるのは、彼女にとっても懐かしき狂風か。この森深き血の深奥の洞穴にて無理矢理と眠りにつかされていた怪物。その由縁、経緯の一欠けらを復讐憎悪に染められて妄執に憑りつかれた魂が求めぬ筈も無い。


同じ魔物であるが故に、妖女はそう考えた。


そして同じ魔物であるが故に、勿体ぶって美味しい餌だと思わせようとするのだろう。果たすべき復讐が、まだあるやもと。



「我が封印されておった洞窟は、外からでは中が見えぬ構造であった。だが貴様らは、その洞窟の中にデュラハンが封印されておると知っておったような口振りではないか。何故、知っていると聞いておる」



 「「……」」


それは——かつて、クレアと名乗る災禍の魔物、首と胴が別たれて生まれ出でて尚と生きるデュラハンから——デュラハンと共に当時の魔王を打ち倒し、娘の為にと体を奪い去った人世の英雄の、語られていない一節。


一人の人間の物語の、破り捨てられたようないちページ。


身体を与えられた娘の名は、メイティクス・バーティガル。



「慈悲を乞うように答えよ。答え如何いかんで、貴様らの死に様を決めてやる」


己を封印した復讐相手の当時の様子を、まるで淡々と他人事の尋問でもするかの如く問うクレアの様子に、彼女の怒りの琴線が——或いは堪忍袋の緒が今にも切れてしまいやしないかと火薬庫で繊細な作業でもするかの如き緊張で息を飲むような雰囲気が漂う。


否、興味があったのかもしれない。まるで子供の火遊びのように


少なからず、己の知らない父の過去に関する会話に娘であるメイティクスが黙って様子をうかがっていたのは、体を奪われたクレアの憎しみの度合いや己に生きて欲しいと願った父の葛藤が推し量れそうな気配があったからなのは間違い無いのだろう。



「——ああ、別に隠す程の事やあらしまへんね。うふふ……しかしなぁ、それも敵に問う事やあらへんと思いますわ、デュラハンはん」


しかし、どちらにせよと様々な胸中——話は進む。

餌に食い付いた魚に、ほくそ笑むように滲む勝ち誇り。



更に喉奥に針を飲ませるが如く嫌味たらしく蛇の妖女は話題をぶら下げた。



「ま、別に我としてはどちらでも構わんがな。が気にしておっただけの——いつもの、くだらぬ与太話よ」


「——……ええで。少しお話しましょか、その代わりと言ってはなんやけど、あんさんらのも今後の参考に教えて下さると言い張りますなら」


周辺に散って居たアドレラの部下の蛇が空を這うように集まり、創り上げる蛇の椅子。その中で一際と大きな蛇とその蛇に絡みつく小さな蛇が口を開き、妖女に巨大な扇子と煙管を夫々それぞれに手渡す。


そうして椅子に座り煙を吐く妖女は、一層と艶々しく遠い過去を回顧するような語りを始めるのだ。

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