第134話 血の滲む惜別。4/4


そして——、


「——……悪いな、デートの誘いにしちゃ強引過ぎたか。手荒くはしたくなかったんだけどな、他に方法が思いつかなかった」


レネスが他の兵を残し、まだ拓かれていない森の深奥へと矛を殺意なきほこを交えながら踏み入って暫く、唐突に黒の獣の頭を守る黒き外殻の半分が煙へと変わると、レネスが思い描いていた男の顔が声と共に現れる。


「——いえ……その姿もコチラへのという理解で?」


森の木々を足場に跳ねながら、或いは蠢く白と黒の茨蔓いばらつるに運ばれながら移動しつつ一段落と交わし始めた会話。ただは尚も戦闘が続いていると偽装するように跳ねる足場の木々を砕き、黒き衝撃波を度々と放ち続けていた。



「ああ、適当に戦いながら移動しつつ話そう——とはいっても援軍が走ってくるかも知れねぇし時間がねぇ……預けてた、持ってるか? 少し事情が変わってな、返してくれると有難いんだが」


薙ぎ倒される木々の音が耳を突く中で、本題に入る獣だった男。彼を獣と評する根拠であった漆黒の外殻が次々と煙へと気化していく——すればあらわになる白と黒の入り混じっていた彼の髪は今や白の割合が多く、加えて血染めの赤も色濃く刻まれていて彼が身を置いていた戦場の熾烈しれつさを物語るようであった。



「魔通石を? 確かににありますが……」


「ちょいと派手に暴れちまってセティス達と別行動になったっ——‼ ガホ、ゴホっ⁉」


そして話の途中——唐突に激しい動悸どうきに見舞われたようにを吐き出し、移動しながらのせいもあって森に盛大に転がる男。明らかな異常——話を聞いたレネスが一瞬とふところから彼が欲している道具を取り出す僅かな間に、彼はレネスの視界から消えていて。


「イミト様⁉ まさか、何処かお怪我を、直ぐに治療を——‼」


慌てて茨蔓による移動を止めて森に飛び降りるレネス。治癒魔法を使えるレネスは急ぎ、倒れた体勢を震えながら起こそうとするに駆け寄った。



しかし——まるで近づくなと制止するようにレネスへ掲げられるすみの如く黒い血塗れの掌。


「いや……の俺の身体は、たぶん状態だ……魔力を無駄にするな」


「……」


彼が半人半魔である事は知っていた。

しかし、その吐かれた黒き血潮は明らかに人の物では最早無く。


明らかに人の領分など、とうに過ぎたるを魅せつけられた気さえして。

よくよくと見れば彼の左眼ひだりまなこも——失ったのかと思う程の黒で染まり、自らの知では最早——何一つと行き届かないと語り掛けてくるよう。



それでも——完全に魔に染まりつつある男イミト・デュラニウスは、まるで人のように傍らに膝を落としたレネスの肩にすがりつく。


「それよりもだ、さっきまでやってた戦いでも殆んどイカレちまってな……他の連中と連絡が取れない。だから近場のアンタの所に来たんだが」


力など——まるで感じない優しい手。自虐に嗤う顔は、それでもやはり彼の物。咄嗟に掴んでしまったのだろうレネスの肩から手を離し、仰向けに腰を落として血塗れの口を拭うイミト。


しかして一刻を争うような状況を匂わせながら、彼は満身創痍な風体で重い筈の腰を持ち上げるのだ。



そして、近場に迫る蛇に気付き、黒き魔力の衝撃波を遠慮も無く放ち、その反動で少しよろめいて。


「イミト様こそ無茶をなさらないでください‼ 戦闘を装い、我らに疑いの眼差しを向けさせたくないのは解りますが——ご自身の身体を犠牲にしてまでなど……」


思わずと抱きかかえた弱々しさに、声を荒げるレネス。彼が抱える悲痛に共感をもよおしたかのような泣き出しそうな困り顔で、彼の代わりに彼自身をいたわるよう。



で、あっても——きっと彼は、止まらないのだろう。


「関係ないアンタらを巻き込んじまったのは俺だからな……最後まで、責任は取るよ……出来る限り、危ない橋は渡らせない」


僅かに朦朧もうろう、貧血気味の立ちくらみ——しかして何がそこまで彼を支えるのか、レネスに抱かれながらも彼は倒れ伏そうとする体を踏み止まらせて己の身体を支えるレネスが手に持っていた黒き魔石をスルリと盗み取るまで行う始末。



やがて——突き放すようにレネスの身体から離れゆくイミトの肢体。


「いいか……はぁ……が一段落着いたら、適当な理由を付けて仲間を連れて余計なことはせずに里に帰ってくれ。アンタらはもう——随分と役に立ってくれた。充分、アンタらが俺に感じてる恩だとかには報いてる」


「イミト様……」


後方によろめきながら脇腹を抑え、背後にあった樹木に背を預ける。目の前のレネスに、これ以上の心配をさせまいと向ける表情はやはり、とても優しく強がった笑みばかり。


「——……幸せになって良い。魔王石の事も、他の事も、約束はキッチリ守る……もう平穏に当たり前に暮らしてて良い、自分たちの生活を守る為に生きてて良い」


格好つけているのは明白で、しかし語る言葉は酒に酔う酩酊めいていの中で溜息交じりに溢す本音のようでもある。彼が諦めた全てを——せめて他の誰かが享受する事を願うような物言い。


未だ終わりの見えない戦の騒音に震える森が怖れで木の葉を舞い散らせ、その一枚を穏やかに抓み取り、葉脈に微笑みかけるイミトは——まるで己の死期を悟っているかの如く過去を振り返るような雰囲気をかもし出し続けている。



「またいつか——全部が終わったら、遊びに行くからよ。その時はもう一回……今度はちゃんとエルフの里を色々と案内してくれよ。また一緒に、皆で飯でも食おう」


「……」


返せる言葉などあったのだろうか、陽気に頷けば彼は再びと躊躇いも無く戦場に戻るだろう。けれど首を振れば、己も望む約束が結ばれず——彼が本当に去っていくばかりに思えて。


迷っていた。



「いや……アンタは旅に出てるかな。目の前で、こんな美人が心配してくれてんのに、他の女の所へ走ろうとしてる女好きのロクデナシなんて待つわけないか」


「アンタは——年上の世話好きのが好みそうだし」


 「——……」


何処か晴れやかに開き直った自虐を漏らすイミトを他所に、彼の願いが叶う事を願うのか——或いは己の願いを叶えてくれと縋りつくのか、死の臭いが漂うばかりの鉄臭い男を前にレネスの胸中は不安と焦燥しょうそう混濁こんだくに満たされていく。


されど無情に、やはりと時は——彼女の選択を悠長には待たないのだ。



「そろそろ行くわ……服、汚しちまって悪かった。次に会ったら、弁償するからさ」


 「あ……」


そんなレネスの葛藤に目を瞑り、一休みを終えたイミトが背を預けていた樹木から自力で体を奪い返して抓んでいた木の葉を放り捨てる。落ちた木の葉の葉脈に黒い雫が僅かに伝って重く地に堕ちて——その音が去り際、レネスの掌を、指先を、彼女の身体をピクリと動かした。


だが——届かない。


「じゃあな。死なないでくれよ、レネスさん」


時、既に遅しと視界に入ってしまうイミトの背中。手を伸ばせども、駆け出そうとも、もはや遠く、届かぬ距離にあるとすら思えてしまった背中。


跳躍の為に屈む背に飛び掛かれば良かったのだろうか。或いは言葉の詰まる喉を自らの手で引き裂くように声を飛ばせばよかったのか。


レネスは考える。


力なく、ぶらりと元の位置に戻って揺れる水から掌のに打ちひしがれながら。


「——……本当に、ずるい人。まるで自分は死んでもいいみたいに……それでは——やはり私は……アナタを追えないじゃありませんか」


レネスは考えていた。


彼が消えて行った森の隙間の蒼を見上げて呆然と、肩に残る彼の血で湿った暖かい感覚が熱を失っていくのを掌越しに寂しく感じながら。己の生を祈る彼と共に死地を乗り越える事すら出来ぬ自身の弱さを呪いながら。


その惜別は、むせ返る様な森の腐葉土と同じ程にむせ返りそうな鉄血の薫りばかりが物悲しげに漂っている。

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