第132話 知の毒。2/4


***


放られた樹木が空を舞い、重量と比例した衝撃で地を揺らして降り降りた雪を再びと舞い上げたと同じ頃合い——二人の人影のみが森をにぎわす別の戦場でも新たな動きがある。


「始まったね。お姉ちゃんは心配さ、妹たちは体の具合が良くないみたいだし」


ジャダの滝と呼ばれる広大な森の領域を支配する魔物バジリスクの最高戦力の一角、バジリスク姉妹三女のウルルカは組手の如く眼前の敵と肉弾戦を幾つか重ねた後、小休止の如く激しく音を立て始めた森の方角へと視線を流し言葉を紡ぐ。



「御二方サマは、負けないので御座いますよウルルカ。そして——ワタクシサマも‼」


対して、その声に呼応するメデューサ族の少女デュエラはウルルカから目を離す事は無かった。己の役目を自覚し、全うするべくウルルカとの初撃幾つかの交錯で砕かれた石の鎧の破片を溢しながらも確固たる覚悟を以て拳を構え続けていて。



「——ずいぶん仲間を信頼してるんだね。、って奴かな」


そんな少女の直向ひたむきさに、ウルルカは寂しげに微笑む。眉根を下げて小首を傾げながらに見据えた未来、目の前の少女の背にし掛かる物の重さに同情するようであり、嘆かわしく想うようにも見える。


ただ、飄々ひょうひょうと——そして穏やかであった事に疑いの余地は無い。


「じゃあ、こうしようか。君の仲間——友達は助けてあげる。代わりに大人しく僕らに君が捕まってくれるならさ。どうかな、デュエラ」


警戒の睨みを効かせるデュエラを尻目に目の前で屈伸やらと準備運動をする動作を魅せしめて、まるで少女を相手にしていない格好。



「……何を言っているのです、ます」


告げられた提案に、身に付けた硝子製のゴーグルで金色の眼を覆う少女がゴーグル越しに怪訝な表情を険しく浮かべるもは変わらず、あまつさえ到底飲めはしないだろう提案までを、ここに至って掲げる始末。


だが、この時の彼女の表情には穏やかな微笑みに反して瞳の奧に僅かな真剣みが灯っているようにも見えた。


「僕らの目的は君だけだからね、本当は僕だって君に乱暴したくないんだ……分かって欲しい所さ。嘘は吐いてないよ、吐いてない」


複雑な感情があったのだろう。様々な物を飲み込んで、敵対しているはずの相手に差し伸べる手には言葉の通り嘘は無いように思えて。


此処までの飄々さが密やかに一転し、切実に——切実に、何かを訴えかけるような情感が滲んでいる。


「このままじゃ、君の友達は僕らの家族に殺される。その後で君も捕まる……でも今なら、君以外の二人の友達——それから、あのデュラハンや、まだ顔は見ていないけどとも誰も戦わずに済む。死ななくて済むのさ、どうかな」


それが何故か、差し伸べられた手の優しさをゴーグル越しに眺めた少女は、次に——こう解釈するに至るのだ。


「——何を焦っているので御座いますか、ウルルカ」


 「なに……?」


焦っている。甘言に揺れ動かないデュエラの、思いもよらない一言に差し出されていた掌がピクリと動く。彼女の方が舌戦にて会心の一撃を受けた様相であった。


続け様に、少女は語る。


「イミト様が仰っていました。戦いの最中に、お喋りをするのは時——何かを提案してくる時は、密かにが起きて考えが追い付かずに余裕が無くなって焦っている時と」


生まれ故郷である今この場に立つ森から始まり、この森に戻って来るまでに学んだ事——教えられた事、全てを構えたままの拳で雄弁に語るように少女は謳うのだ。


すればその迷い無き瞳に押し退けられ、差し伸べられた手はダラリと堕ちゆく。



「——……に、出会ったね……、噂の魔人の名前かな」


そしてウルルカはうつむいた。行き場を失った掌は彼女の腰に戻されて、深い溜息が失望を禁じ得ない彼女の——面倒を背負いこんでしまったと匂わせる感情を苦い嗤いとして表情に浮かび上がらせた。


的を射ていたのだ。彼女は確かに、


だが、その焦りはデュエラに——敵に敗北を喫する事を危惧しての物では無かったのだろう。


きっと彼女は、嘘を吐いて居なかったのだから。


「良いよ、正直に言おう。僕は焦っている……正直、程度で済むと思ってたんだ」


「でも、君は確かに……僕とが出来るくらい。嬉しい悲鳴さ、にとってはね」


思惑はある。当然と思惑はあるのだ——出来得る限り、目の前の少女を傷つけずに手中に収める理由がウルルカには多々あった。


こうしているあいだにも周辺から響いて来る戦闘の振動で次々と周りの樹木から積雪が堕ちる中で、戦い合うはずの二人は互いに気配で相手の動きを牽制しつつ沈黙に似た緊迫の雰囲気を作り続けている。


ただ——話すべきでは無いと思いながらも何かしらの思惑を正直に語れば、敵意を剥き出しにするデュエラも考えを改めてくれるかもしれない——そんな淡い希望を表情に抱えたウルルカの表情を嘲笑うようには、酷く少女の漂わせる気配にこびりついているようであった。



「——で御座いますか」



 「……驚いたよ、知ってたのか」


何度となく驚かされる——己が知っているデュエラの成長、思わぬ一言にウルルカの瞳孔が僅かに開き、俯いていた顔が持ち上がる程の驚き。今さらと無意味であったのだ——思惑を語り、彼女の知らぬと思っていた真実を語り、考えを改めて欲しいと淡く願ったウルルカの言動は。



「イミト様が……考えてくれたので御座います、です。ワタクシサマが、この森で生きて来れたとオマエサマガタのを」


「——じゃあ、君が母親だと思ってるの正体もかな」


 「……」


彼女は既に、全ての心構えを敷き詰められて——この場に立っているのだから。

揺らがぬまなこは、沈黙を貫いて居ても雄弁に心を語る。


その視線の矛先の鋭さだけで、思わずとウルルカが天を仰いでしまう程に雄弁に語っていた。



「本当はね、僕らは君に恨まれるのが心苦しいのさ……僕らは奪い返しただけだ。が……が奪い取っていった——を」


少女の覚悟の全てを悟り、確固たる意志の硬さに息を吐くウルルカ。

どうしようもない運命の悪戯いたずら、或いは度重なる嫌がらせに辟易と、彼女は前髪を少し掻き上げて頭を抱えるに至る。



心から、心から、彼女は少女を傷つけたくなかった。

きっと——そこに嘘は無いのかもしれない。


それでも——

「それでも——ハハサマは、ハハサマだけが、あの頃のワタクシサマの家族だったのですよ、大切で、お優しかった—ワタクシサマを守ってくれていたハハサマだったのですよ、‼」



「……。そう——アド姉の母さんの呼び方を真似て、僕の腕の中で君が初めて喋った言葉だ……困ったね、困ってるさ」


少女の胸の内にあった溢れんばかりの想い、解き放たれる激昂に返せる言葉も無く、彼女は戻る事は無い遠き過去を回顧していたのだろう。


前髪を掻き上げていた掌を力なく定位置に戻す最中に見つめたその眼は、確かな優しさと幸福を想う心があるが如くうるみゆく。



まるで——遠くへ去りゆく娘を想う人世の母と同じように。

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