第130話 意味も無き爪痕。4/4

***


 時を同じく、ツアレスト王国軍が行う軍事作戦における別の戦地でも新たな動きが巻き起ころうとしていた。


広大な森の深奥にそびえるジャダの滝、アディらが率いる奇襲先行部隊が建築を行っている中継地点に向けて飛行船団と共に進軍を進める本陣営。


その筆頭——軍事作戦の総責任者にして最高戦力である鎧聖女と呼ばれるメイティクス・バーティガルの耳にも、耳の不調を疑ってしまうような報告が入っていた。


『緊急報告‼ ジャダの大滝に異変が発生——これまでに目撃例のない大蛇を目測‼ 魔力の計測器も異常を感知‼ 進行方向は我ら空挺部隊の本陣と思われます‼』


「ええ、見えています。人型では無い……バジリスクの隠していた切り札、もしくは最近になって完成した兵士……兵器でしょうか」


飛行船のプロペラを回し、隊列を組みながら地上の森から様々な攻撃を仕掛けてくる巨大な蛇の群れに対し負けじと砲撃の雨を降らす航空大隊よりも前——


先んじて敵側の陣地の空に仁王立つ白き大剣を携えた白き鎧の聖女は耳に付いた通信機の着け心地を整えながら遥か遠方でも既に巨大というにはばかりの無い滝のある方角を見据えて静かに考えを巡らせていた。



——さもすれば滝の落下幅よりも全長は大きいのではないか。


あまりにも巨大な滝の膨大な水圧をものともせずに滝の流れを二つに別ちながら現れる巨大な大蛇の姿に、蹂躙の二文字を思い描いたのか鎧聖女メイティクスは冷静さを装いながら頬に一筋の雫を流していたのである。


そして——それを裏付けるかの如く、彼女は現れた。



「——そんなではありんせんよ、鎧聖女様。アレは——の可愛い、次女のメデメタン……わっちらのを務めとるものです」


 「——‼」


コチラもまた、あまりにも唐突に——まるで初めからソコに居たような、あまりにも自然な風体で不自然な異質を放ちながらメイティクスへと話し掛けてきて。


思わずと瞳孔を開き、メイティクスが声のした方向に急ぎ振り返れば、そこに居たのは彼女にとって異国情緒に溢れた着格好で身を包むが無数の蛇で創られた一畳ほどの椅子に寝そべりながら細いキセルの煙草を吹かす佇まい。



「しかし、なんせ根っからの出不精でぶしょうでしてなぁ。滅多に外に出ない引き籠りでありんして……身内と顔も合わせた事も数少なく……外様のあんさんらが驚かはれるのもむりはありんせんよ」


驚くメイティクスを尻目に尚も話を続けるその妖女は、些かと気だるげに——そして悩ましげに白い煙を吐き出した後に、椅子にしている蛇たちの肘置き部分を務める白蛇の口に熱いキセルの飲み込ませ、ゆたりと身を起こしながらサラリと着物を撫でるように身なりを整える。


「……」


そんな彼女が吐露する悩みをメイティクスは黙って聞いていた。否、聞かざるを得なかったというのが正直な所であったのだ。何のもなく、ただ広い上空の遮蔽しゃへいの無い環境下で、警戒する自身の間近に悟られる事も無く唐突に現れた——そして認識した後も敵意も悪意も感じる事が出来ない現状。


そうした謎の妖女に対し、メイティクスの警戒感は最大限に跳ね上げられている。


ただ——その妖女を、、と評する事だけは否定しようの無い事実である事に疑いは無く。


「というのも——あの子は元よりな性分やのに大きく育ち過ぎたという事もありましてなぁ、周りの目を引いてしまうから増々と内気に拍車が掛かっておりますし、気質が元よりで己が動いて森の自然や姉妹たちが壊れていくのも忍びないと言った事情が原因では無いかと」


物腰柔らかな口振り、透き通るような声、温和に道端であった知人と他愛も無い世間話をするように妖女は言葉を紡いでいく。


背景に存在する航空船団が放つ大砲の轟音さえなければ、街中の平穏に毒気を抜かれるような雰囲気をかもし、さもすれば牙を抜かれていたかもしれない程に。



「鎧聖女様……、どないすれば宜しいと思われます?」


されども妖女は、そのような雰囲気を自ら作り出しておきながら最後は妖しく笑み、他者を見下ろすように嗤うのだ。


この難問を、貴様程度が解けるものかとあざける嫌みたらしさが存分に溢れ、家族が居て充足するが故の悩みがある自分を羨ましいだろうと宣っているのかと見紛う程に妖女は妖しく嗤うのだ。


——負ける訳にはいかない。



「……それでも今は、森の樹木をものともせずに遠方より此方こちらへと向かって来ているのが現状——そう思い悩む必要も無いのでは無いのでしょうか」


自身の背後にもまた、悩ましく愛おしい仲間たちが控えている。例えありとあらゆる、如何な戦場であろうとも退く訳にはいかない。負けじと妖女の一挙手一投足を注視しながら、妖女の吐露する嫌味たらしい口振りの悩み相談に乗るメイティクスである。


「そんなん泣く泣くやってるに決まっとりましょう? ちゃんと母様ははさまのいう事は訊くようにしつけとりますし、皆の想いを汲む優しい子や。ぎょうさん連れて来はりました、あんさんの連れさんかて好き好んで戦ってる者の方が少ないんとちゃいますか?」


「……」


分かっていたのだ。例え敵意や悪意や禍々しい気配を彼女が隠していようとも。


『メイティクス様‼ 指示を願います‼』


 「……状況を注視しつつ、既存の作戦を遂行。私はこれより、バジリスク姉妹のとの戦闘に入ります、要警戒——全体の指揮権を副師団長へ」


目の前に座す絢爛けんらんな戦には似つかわしくない装束を身に纏おうと眼前に佇み、余裕綽々よゆうしゃくしゃくと蛇の群れで創り上げられる椅子に不遜に寝そべっている時点で、妖女はを持つ


そして何より、ツアレスト王国の最高戦力である己の前に堂々と現れるような自信を匂わせる理解不能な行動。それらの点を思考の線で結び——未だ正体を明かさない妖女こそが、敵側の最高戦力バジリスク姉妹がであると確信めいて察していた。



『りょ、了解致しました‼』


 「ほんとうに……戦争なんて嫌になりますなぁ、お互い」


耳に付いている通信機から聞こえてきた慌てた声を宥めるように撫でて遠ざける情緒あふれる一幕に、あでやかな溜息が一つ。心にも無い、そのような印象が滲む軽薄な声で語る妖女に多くの兵を率いる鎧聖女の感情が本当の意味で理解出来ているのだろうか。


「あんさんらが、ささと道を譲ってくれはりましたなら——あの子も毎日、今日みたいな穏やかな日和の広い空の下で日向ぼっこでもするんでしょうかねぇ……ねぇ? 鎧聖女様」


同調を求めながらに批判的で回りくどいいあやらしさを紡ぎ、ふふりと和風装束の大きな袖で口元を隠す淫靡いんびな振る舞い。つれぬ殿方に意地悪をするが如く、我がままに妖女は手下の蛇の頭を撫でて椅子の形を変えさせていく。



「……メイティクス・バーティカルと申します。貴殿の名を聞かせて頂きたく」


 「——ふふ、バジリスク十二姉妹が長女、アドレラと申します。仲良うしたってくださいね」


こうしてメイティクスの白き大剣の刃は、覚悟を以てアドレラと名乗るバジリスクへと向けられて——扇子が開く、アドレラの椅子となった蛇たちの肢体が扇のかなめを咥えて唸り動き、彼女の尾のように背後で躍り始めた。



「ふふ、ほんに……わっちは、争いごとが嫌いな性分で御座いますからねぇ。されども、忌む程の事もありんせんから遠慮はなさらず。ね?」


多くの蛇が、多くの兵が、悲鳴を上げる現況で口から紡がれる言葉——

尚も妖艶ようえんにほくそ笑むアドレラの、嘘臭い天真爛漫な笑顔に鎧聖女は頬に一筋の汗を流す。


——その頃、曇りなき晴天の蒼に煌き、一度は多くの者の目を惹いた白き彗星も今や誰に看取られるでもなく勢いを衰えさせながら堕ちていく。


止めようもなく既に始まってしまった争いに、虚空の虚しさも塗り替えられて。

星に願いを唱える者など今更、この戦場の何処にも居ない。


森の何処ぞへと堕ちゆく白き彗星は結果として、知らぬ者には——ただ意味も無き爪痕ばかりを世に刻んでいくばかり。


世の愚鈍は——尚も、続いていくばかり。

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