第127話 白魔。2/4


「……そうか。或いは人の渇望かつぼうとは、さもすればこのような物であろうか。うむ」


そんな意固地な魔人の対応に、王たる者は孤独に頷く。

衆愚しゅうぐよりも高い位置に座して見渡す景色に遮蔽しゃへいは無く、視野は広いが、しかしてゆえに対等は無い。


故に今、目の前に立つ魔人へと彼の王は手を差し伸べた。目の前に立つが故に今、手を差し伸べる。


「イミトよ——余は貴様を高く評価しておる。魔の奔流ほんりゅうに飲まれても尚、今のそのような状況にあっても尚、力を制御し、感情を律し、自我を保てている貴様をな」


「さもすれば貴様の胸に秘められたが成し得ているものなのやもしれぬ……しかし余にそうは思わせぬを貴様は持っている。単なる人では、そうは行くまい」


とやらは——そこまで貴様にを与えるか」


王は知っていた。死骸が積み上がって創られた王座に座する事を定められて生まれ出でて、自らもまた死の集約——衆愚の愚たる所以ゆえんに背を押され前へと出された尖兵、単なる凝縮された結露に過ぎないと。


並び立つ者もなく高台から見下ろせた景色の全てを知っていた。



けれど今、目の前に立つ——自分の知らぬ景色を見る男が居る。


「……ああ——だろ。アンタのにもあるんだろうから」


風すらも認知できぬままに無自覚に歪み曲がるような白みがかる背景に立つ魔人は、それでも非情にを見ているとのたまった。実際の所は、同じなのかもしれぬ、比喩ひゆとしてならば。


ならば、な……何処の誰のものかも知らぬ者どもの些末でけがれた


それでも魔王は己の生を卑下し続ける、他より全て与えられて歩む事の無かった眼前の魔人が歩んできたのであろう砂利道に些かの羨望せんぼう


ふと己の生を振り返り、王はを問い詰める。


「なら、じゃねぇか……そりゃねぇよ、俺と同じで。その価値がある素晴らしいものとは、口が裂けても言えねぇが」


「——なれば、相馬意味人。貴様が考え悩み、しかして歩む、そのを」



「三度と《みたび》問おう……これが最後の機会、余の——魔王ザディウスのと成れ。貴様には、その器がある……が憎悪を受け入れられる器がな」


王は知りたかったのだ。王では無く、個として、我としての己を。


「貴様が余の手を取るならば神世や人世へのも捨てても良い。貴様と共に、暫し改めて——どうだ、これなら破格の譲歩であろう」


故に差し伸べる。再三と差し伸べる。


「……あのはどうする。アンタが始める戦いを望んでる」


「捨て置けばよかろう。貴様も争いなど下らぬと宣っておったであろうが、余が戦の果てで望む物は、貴様の中にあるからな。今や戦いを起こす必要など無い」


眼前の魔人と幾許いくばくか接触していく内に、芽生え、強まってくる感情。まるで鍵の掛かっていない鳥籠とりかごの外で飛ぶからすいななきに、鳥籠の外がある事を知らされた無知な大鷲おおわしの如く。


しかして大鷲おおわしからすは群れを別つが自然の道理。


「余と貴様、そしてクレア・デュラニウスが手を組めば。貴様らが首を狙うバジリスクとて容易たやすかろうよ、これ以上の良策は無いと断言しても良い……もはや意地を張るな」


大空への悠々とした飛び方を知らぬ鳥籠育ちのわしの鳴き声はからすに届けど響かない。


からすは知っている。



「……駄目だな。信頼ってのはで、この場合の結果ってのはの印象だ」


捕食者たる大鷲の嘶きにおびやかされる烏の如く、魔人は鷲の鳴き声に死を予感してまぶたを閉じて。杖代わりの白へと完全に染まりつつある槍を持ち上げ、よろめく足を踏ん張り抜いてうつむき気味に息も吐く。


は、俺に信用されなかった事だよ——魔王ザディウス。そしては、臆病な事だ」


身を殊更に染める赤がもたらす寒気に震えつつも、精悍せいかんな眼差しで槍の矛先の鋭さを敵へと示して断ずる。


罪状は送られて、残りは判決の結びを待つばかり。


互いに、罪人つみびとであるのだ。


「——……そうか。では、せめて聞かせよ。あのデュラハンの処断にて決したと察するが、我らを殺そうというとの差異は何ぞ」


「己か、他かの違いか」


差し伸べられた手が降りて、問われ、そして共に口ずさまれる反省の弁。

背景は白く、互いに姿だけは明瞭に見えていた。



「それもあるよ、当然だ……ただ、俺が殺すと決めてるのはアンタだけだ。愛しい女が、他の男にうつつを抜かしてるのは正直、嫉妬もんなんだけどよ」


あたかも心象風景であるかの如く、心穏やかに二人——会話を交わし、そしてやがて、


「なるほど……。そうか……


懐かしき闇が張り付くまぶたを閉じた。

颯爽と改めて握り、試し振る骨の剣と白黒の槍。


音は無い。音は必要なかったのだ。

世界に知らしめる必要も、互いに気付かせる必要も最早なく。



ただ、それでも彼らはその時——些かと時を惜しんだ。


「——なぁ魔王、いや……ザディウス。それでも俺は、アディと同じくらいアンタとなら酒を飲んでゆっくり話してみたいと本当に思ってるよ。税制やら政策やら、街で見かけた美人の話やら、喧嘩売ってきた馬鹿の話やら、あーだこーだと……くだらねぇ世の中の愚痴でも溢しながら」


「酒は二十歳になってから、そう自分で決めた事が憎らしいくらいには」



「……そうか。確かに、得難えがたいものだな」



 「これが——という物ならば」


どちらかが死す他は無いと決めても尚と、うれう。だが、互いの表情には切なさは無く、ただ——ただ度し難いの滑稽をわらうばかり。


出会った事に後悔は無い。そう宣うようであった。

楽しげに、愉しげに。


「向こうも始まるようだ、余らも終わらせようか。イミト・デュラニウス」

「ああ……もうそんな時間か、名残惜しいな魔王ザディウス」


彼らはに別れを告げた。

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