熱狂編
第120話 静の思惑。1/4
その激動の一日の始まりは、朝焼けの光景と見聞きして
「カトレアさん、体の調子はどうだよ」
湿原の
「……体調自体は問題ありません。問題があったとしても、アナタに私を止める資格はありませんが」
美しき銀髪が後頭部で馬の尾の如く纏められる裏で漆黒の仮面が朝の先兵の如き光の粒子を
閉じられていた仮面の裏の蒼い瞳は、確固たる決意で朝焼けより一足早く燃えているようで。
「へっ、そいつぁ上々——置いてけぼりにされてゴール手前で情けなさに涙する運動会の小学生にならない事を祈るばかりだよ」
それでも比喩と、燃えぬ瞳に熱など感じる訳も無いと青年は相も変わらずといった佇まいで女騎士カトレアの皮肉を鼻で笑い飛ばしながら嫌な味のする言葉をひとつまみと世に溢すばかり。
——まだ、時ではない。
「言っている意味が分かりません」
待ち切れぬのか、或いは時が来る事を恐れているのか女騎士の腰に帯びられる剣の鍔が音を立てる。振り返る
「エリート貴族のメダカの学校にゃ、マラソン大会が嫌過ぎて情けなさに泣き喚くデブは居なかったかい。才能に恵まれた頑張り屋が勢ぞろいって自慢かね、世の中この先、明るいったらない」
「……まだ私は、納得していないんですが」
或いは——、長き旅を振り返り辿ってきた足跡の違和感。のらりくらりと、あわや転ぶかとフラリふらふらと動く玉乗り道化の如き
彼女には不信があったのだ。
「ツアレストとの交渉決裂の事か? それともアンタが弱ってる間に他の女にかまけて添い寝してやらなかった事か? 納得が行ってない部分ってのは具体的に何処だよ」
彼女が病に伏して
されども当の会談の行く末を左右した男は、さも当たり前の結果であったように彼女に
まるで何を疑問に思い、何を
「決して、バディオス王子の提案はアナタ方にとって悪い物では無かったはずだ。ジャダの滝での戦い以降もツアレストと
「別に何の異議も脈絡もねぇよ。それに関しては気分の問題で、何となくアイツが嫌いだなぁって思ったから提案を蹴っただけで」
過ぎ去った会談を結果論で
「そんな子供みたいな理屈で——いえ、アナタの事だ。何かしら深い思慮を隠していると願いたいのですが」
されど割かしと短気との通説がある彼女がイミトの一国の王子に対する不敬に激昂しなかったのは、道化の
例えば、相手を怒らせて話題を逸らし、有耶無耶に本題の本質を流してしまおうなどという策謀など、これまで彼女が容易く引っ掛かってきた経験が今、辟易と彼女の喉に怒りと共に込み上がる息を抑えさせてユルリと重く溢させたに相違ない。
「深い思慮ねぇ……オーケイ、じゃあ考えてみますか」
現に、胸ぐらを掴みかかられなかった自他ともに認める程に悪辣な性格を持つイミトが、そんなカトレアの対応に面倒げな息を吐き、小首を傾げながら朝に焼かれ始める
そしてイミトは、今後も詳細な出来事を語る事は無い数日前の会談の結末について想いを馳せて語りゆく。
「まず今日から始まるジャダの滝での戦い以降、ツアレストと手を結ぶ事で俺達が得るだろうメリットってのは何だろう」
まず初めに取り掛かるのは、会談の前提について。南の途方もない森の向こうから流れる冷たい風を感じつつ、岩の上から立ち上がりつつ彼は説くように、或いは解かせる為に問う口調。
「……国の後ろ盾を得る事で、今後の動きが容易くなり、得られる情報の質もそれなりの物になる。金銭面や生活面では言わずもがなです」
「つまりそれは、今後の俺達の行動を
黒い布地越しとはいえ尻に敷いた岩の復讐か細やかな抵抗か、この時の為と積んだ
——男は、悪魔のようであった。
「……ツアレストと我々が争う事は不毛です。口裏を合わせる事で、不要な誤解や争いを避ける事が出来る。連携が取れれば、優先すべき敵を追い詰めるのも容易いはずだ」
「——例えば、国防上で大きな抑止力的な意味を持つ鎧聖女との戦いを避けられたり、リオネル聖教とツアレストの内部の何処に潜んでいるかも分からない内通者に誤解を与える事も無くなる訳だ。素晴らしいメリットだな」
「……」
邪知でありながら暴虐に甘んじ、何者をも容易に信じず、朝の光が薄らと満ち始めて世界の姿が露になる最中に浮かべる薄ら笑いは、常に人世の光通らぬ影の暗がりを想起させてくる。
「これまでの実績、世間様に名が売れているのは鎧聖女メイティクス・バーティガル。それを失う意味をツアレストの姫君の護衛騎士だったカトレア・バーニディッシュ殿は国防上どう考える?」
「実は鎧聖女は半人半魔の怪物で、ツアレストの国家転覆を狙う勢力の一員でした。そう民衆に説明する意味と、それに対する反応を……どう考える?」
青年真っ盛りの若さながらに人に飽きたと言わんばかりのウンザリとした面立ちで、国に仕えるカトレアに対して現状の己らを含めた世の流れを説こうとするイミト。
彼は相も変わらず——、ひとつひとつと希望を摘んでいく悪魔にとても、よく似ていた。
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