第114話 不安、震えて。4/4

***


一方、彼女らを置き去りにした一人旅にでて話の流れを知ってか知らずか、


「——まだ……ったく、制御が難しいわ。とはいえ、デカい滝だったから大丈夫だと思ってたけど、ここらの生態系を変えちまったか。アイツらも巻き込みかねないから場所は変えるとして——せめて、川の流れだけは元に戻しとかねぇとな」


その青年は水浸しとなって水滴を溜め込む頭を軽く振り、己の罪を自覚して贖罪を模索する。


身なりを乱すしずくを払い、目の前に改めて視線を流せば、そこにあるのは巨大な丸底のアイスクリームディッシャーで業務用の箱アイスを繰り抜いたように綺麗に抉られた崖の姿と——猛烈に引き戻ろうとする水の流れと振動の余韻で転がりゆく恨めしげのある岩の小言。


それがイミトいわく、があった場所だとは——にわかに信じ難い空白の光景ではあった。



「破壊力だけなら、この方針で良いとして……にはどうもな。こっちに被害を及ぼしかねない。俺も正直、危なかった訳で」


元の川の流れが乱れに乱れ、上流の勾配が大きい高台から絶え間なく流れる水流は長い年月で培われていた道筋を失い、ビシャビシャと迷いうごめいて、行先を模索するように積み重なる岩々や土塊つちくれの隙間を縫うように地面を這いずる。



「ま、監視してる奴らへの脅しには丁度いいか……」


それでもやがて抉られた地面を再び水が埋め尽くし、彼の罪を許さずとも流れは続き黙する世界の理が彼の罪を覆い隠してゆく皮肉。僅かばかりの居心地の悪さに目を逸らし、イミトは濡れた頭を少し掻く。


片手に灯る魔力の黒い渦が次に創り出すのは黒い布、恐らく濡れた頭を拭くためのものなのだろう。


そんな折り合い、


『イミト。そちらには本当に問題ないのだな』


遠き場に居るはずのクレアの声色で脳裏に直接と意思が響く。二人で一つの半人半魔、各々の魂や魔力に不可思議なつながりのあるクレアとイミトはと呼ばれる方法を用いて会話を交わそうとしていた。


「——ああ。問題ない、滝壺に住んでた川魚の住処が広くなっただけだ。軽く試してみただけだったんだけど」


未だ湿って水の滴る前髪を作り上げたばかりの黒い布越しに掻き上げて、口頭も交えて言葉を返すイミト。


周辺の獣や生き物は今しがたの騒動で逃げ去ったのだろう寂しげな風景——逃げられなかった木々は、せめてもと未だに木の葉を撒き散らし、重力に逆らえぬ滝壺だったのだろう荒ぶる水溜まりにて翻弄される魚は悲鳴の如き水飛沫をピチャリ。


『なにをしたのだ……よもや貴様、とうとうを習得したか』


「まぁ使と言えば、なんだろうけどな。別に小粋な術式やら小難しい法則やらを利用した訳じゃねぇよ、相変わらずお前が教えてくれねぇから」


魚の住めぬ滝に向けて放ったとて、衝撃の余波で水底の泥や或いは滝の上に吹き飛ばされていた大地が川の流れに戻されてくるがゆえ、滝壺の内情がにごりを極めている様を見れば生命に被害は無いとも断ぜれぬ話。


しかしそれでも飛散した滝の残骸に押し潰されることも無く、き止められてしまっている幾つものの中の一つでも幾つかの魚は未だ存命に震えていて。



『ともかく一度、戻って来い——コヤツ等にジャダの滝でバジリスクと何故に我らが戦うかを尋ねられておる……面倒だ、貴様が相手をせよ』


「何の為に予定早めて一人なったと思ってるんだよ。空気を気まずくしたのはお前だし……自業自得ってな、たまには俺以外の仲間と率先して談笑するのも一興だろ」


クレアとの会話を交わしつつ水に濡れた頭部を一応と拭き終えたイミトは一息を吐き、役目を終えた黒い布を黒い煙に回帰させて新たな黒い魔力の渦を創り出す。



『貴様……そもそもジャダの滝の一件は、で課せられたものであろうが』


川原の砂利を踏みしめて鳴らす音は、或いは幸運者の運の尽きをしらせる死の宣告か。幾つもの水溜りの中の一つの、その魚が生き残る場へと歩み寄り——イミトがその手に掴むのは虫取り網か——いいや、窮地きゅうちの魚をすくわずすく


「ジャダの滝の件については、そだな……に行くとか言っとけば納得するだろ。デュエラあたりが話に乗ってくれば誤魔化せると思うぞ」


クレアとの会話に思考と注意を向けつつ、淡々と感情も無く水溜りに戸惑う川の魚の何匹かを黒いタモ網で掬い上げ、網の中で己だけでもと撥ねる魚の様子を伺い、やがて彼は網の付いた柄を持つ右手ではない左手で不要にすくった数匹を滝壺の下へと掴んでは流し始めた。


網の中に残るは——されど


「どのみち俺はも含めて、他にも準備とか色々と試したい事があるからな……近くで忙しなく動いて、休ませたい奴等の邪魔をする訳にも行かねぇ」


黒い魔力の渦は再びとイミトの掌から握る柄、そして魚を捕らえるタモ網へと伝ってゆく。


そして——網だった物質は見る見ると中身の見えぬ黒い箱へと変化していって。



「寂しい気持ちも分かるけど仕事と私、どっちが大事とか言ってくれるなよ。私の為にも自分の為にも仕事をしてるんだから」


川のほとり、漸くと喧騒が静まり透明に戻りつつある水溜りに近付いたイミトはかがみこみ、その黒い箱となったタモ網に囚われた魚を逃がさぬように水を汲み上げる。


やがて彼の魚がこれからどうなるかは闇の内、自由で開放的に思える蒼天のおりの景色を奪い取り——己もまただと彼は嗤う。



『……デュエラが気落ちしておる。セティスもな』


「——は落ち込んでないのか?」


更に一段落と一仕事終えて、自由に魅せかけた素晴らしき太陽が去る世界の天井に息を吐き、惨憺さんたんたる足下で広がる破壊の痕跡を嘲笑うが如く、しかして心配を掛けまいと彼女にお道化て普段通りの皮肉を溢すイミトではあったが、



『……我もだ。と言えば戻ってくるか?』


「いや、悪い。欲張っただけだ……以外では言わないでくれると助かる」


ピチリと地で力なく跳ねる、哀れな魚の生き残りを見つけて彼は己を省みた。道化の化粧は水が滴り溶け落ちて——今は素顔な狂人装う凡夫の面立ち。


些か慌てて弱る魚に歩み寄り、救済の手立て無く掴み上げては魔力で包む他は無い。



『寸前で腰を抜かしおる……だから貴様は、ここまで得られて居らぬのだ』


 「はっ——痛い所を突くなよ。とにかく、のんびり考える時間はくれ……待たせて呆れられる事も踏まえて、ちゃんと考えてくるから」


手品の一つも使えない——奇跡を望んだ奇術師は、自らも似非な夜の帳を身に纏いて一瞬にして濡れた服を新しい服へと着替えた。そして、まるで正装整えて食の祭典に赴くかのように、徐々に焼け始めている空の方角へと手土産の黒い箱を二つ、肩に担いで歩み出していく。



「何万の他人を殺すより、たった数人を愛する方の下ごしらえが難しい」



『いつまでも時がある訳ではない事を——誰よりも知っておろうに。』



 「……神様よりは知らねぇよ。いつも通り……臆病者と罵っておくれ、クレア様」


迷いは無いという口振りで、その実と不安に震えて歩く背に——遅れてやってくる崩壊の岩音が待てと言わんばかりに滝壺を叩いた。


彼がその音に驚く事も振り返ることも無かったが、前を見据え続ける眼差しは僅かにクレアへ嗤い掛けた後で、己の過去を見直しているような光を吸い取るが如く黒き静寂が映り込んでいるようであった。



——まさしく罪から逃げるような、そんな背中でもあったのだ。

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