第107話 動乱の滝へ。1/4


 よどみない平原——夜を心許こころもとなく照らす焚火のまきが焚火台代わりにされている台座の上でパチリとなった。

雑多な骨付きのままに皮を剥がれてあぶられたのだろう獣の肉の皿と、黒き杯の縁に切り分けられた黄色の瑞々しい果実の一切れが添えられて静かに佇む黒いテーブル。


「ちっとも面白くねぇよ……ネットに居そうなクソガキのあおりみたいで吐き気がするレベルだ」


そのテーブルの上で頬杖を突き、何やらと告げられた言葉に対して悪態をつく青年が一人。男の名はイミト・デュラニウス——幾つかの暗躍の首謀者にしてデュエラ、カトレア、セティスら山橋の街バルピスで動く彼女らの仲間である。


そんな彼が、何処の誰と話しているかと言えば、


「クスクスks——そういう煽りもネットに居そうだ。居るかな?」


これもまたバルピスの街で暗躍していたスペヴィアと同じ顔と声を持つ少年であった。黒きテーブルの傍らで座りもせずに佇み、焚火の炎に照らされるのも相まって、やはり彼も怪しさを帯びる。



「さっさと本題に入りやがれ……忙しいんだよ、こちとら」


 「……その手は悪手だと思うよ。思うかな?」


そんな少年に対し、否——少年には目も暮れず、テーブルの脇に置いてあった果実の添えられた杯を片手ですすり飲み、向き合うのはテーブルの中央と向こう側に存在する駒の並ぶ盤面と美しき女の顔。


イミトと同じ白と黒の髪をなびかせてテーブル中央の盤面を見下げる首から上しかないその流麗な女性に目を配りつつ、彼は遊戯の駒を動かすに至る。



「勝敗に掛かったに水差しは御法度だろ。囲碁か将棋のどっちかだったら打ち首になっても文句は言えねぇぞ。どっちだったか忘れたがな」


補足とすれば、盤面を遠目で眺めイミトへと助言を贈ったスペヴィアへ、イミトが返した忠告の中身——対局中の邪魔や口出しで打ち首になるという逸話は囲碁と将棋、どちらにも存在する。


公式な大会で用いられる伝統的な碁盤や将棋盤の脚は概ね梔子くちなし(口無し)の実をかたどり、盤面を引っ繰り返した中央にあるくぼみは『血溜まり』と呼ばれ、勝負に水を差したものの首を刎ねて飾る場所とされるなど、横からの助言を戒めるべきという伝承が存在しているのだ。


「……クスクスks。僕は君達にに来たのさ、君の仲間たちと敵対する振る舞いを少し犯してしまったけれど、交渉材料としてどうしてもが必要だったからさ」


とりわけ、少年スペヴィアは味方でもない。山橋の街バルピスでも魅せていた嘲笑まじりの音を相も変わらず漏らす様を見れば、尚更にそういう事もあるのであろう。



夜闇の中でうごめく暗躍、密談。


「んで、それをに俺やクレアと手を組んで欲しいって話だろ。前置きが長いんだよ」


スペヴィアに対して忠言を放ったイミトは盤面に未だ平然と眼を配りながらも片手を動かし、黒い渦をてのひらに灯してテーブルの少し離れた場所に黒い椅子を創り、席をもうける。



「そう……今回のを巡る戦い——少々と僕には荷が重くてさ。現職だったルーゼンビフォアは勿論、ギリク様やディファエル様が派遣する候補者も一筋縄では行かないからね。この世界でのに君達を利用したいという側面もある」


少年はイミトらの下に訪れた理由を察せられた仕返しのようにその意図を汲み、大人しくその椅子に座りながら指摘された交渉の内容に異論が無いと言葉を並べた。


先日——秩序の神であったルーゼンビフォアが追放され、五人の神々によって始まった空席の埋める為の戦い。率直な感想を白々しく述べながら小首を傾げて困りげな顔を魅せる神候補の一人であるスペヴィアは、先の戦いでしたを代価として交渉を持ちかけようとしていたのだ。



「……次は貴様の手番ぞ、イミト」


「ああ……。確かに強そうな名前してるな——ちなみに、お前さんを送り込んだ神様の名前は教えられるのか?」


首のみの美しい流麗な女性の声がの存在を無視する最中、イミトは盤上の駒の位置を眺めながら顎に軽く手を当ててスペヴィアの応対をこなす。


考えていた。


「もちろん、情報の提供は惜しまないつもりさ。僕の尊敬する神の名は——面白い御方だよ、僕もあの方のような神様になりたいとを使わせて頂いてるんだ」


「へぇ——そいつは面白いな。それで? 肝心の魔王石は今どこにあるんだよ、現物が無い以上……アイツらから横取りしたって言うテメェの話に信憑性は無いだろ」


夜闇に複雑に渦巻くような陰謀の蠢き、揺れる焚火の炎——草原の風が僅かに撫でるようにざわめく中で、盤上を見据えるイミトの黒い瞳には業火の灯が宿っているようにも見える。


「当然、僕だってそんなに向こう見ずじゃないさ。ないかな? 君達と確かな協定関係を結べるまで、そう易々と渡すわけにも行かない——別の場所に置いてきているよ。その代わりにとはならないかもしれないけど、お節介がてら君の仲間の女騎士の罪を言い訳が効くように無かった事にしてきた。後で確認してみると良いさ」



神妙——その実は囲まれたテーブルの下、大地そのものを盤面と見立てているのではないかと見紛う程の不気味な静寂に、痺れを切らしたようにスペヴィアは余裕を気取りながらも余計に言葉を並べ紡いでいく。


「クスクス、僕らは確かに仲間としては相容れない部分があるけれど、協力はできる——君達が狙ってるバジリスクのマザーとの戦い、その後に控えてる数多くの戦いでもは有用だ。現状の戦力が爆増する事にこばむ理由があるのかな?」


何とか説得が出来ないものか、不気味な静寂が醸す濃厚な決裂の雰囲気とまでは行かずとも無関心は如実に伝わってきている様子で、いささかの焦りがスペヴィアにもあったのかもしれない。


「なんなら——クス……なんなりと僕の身体も捧げようじゃないか。僕は両性だからね、君のどんな性癖だって受け入れてあげられるよ。イミト・デュラニウス」



だが虚しい事に、妖しく笑ったスペヴィアが放った冗談を機に決断は下される。


否——スペヴィアの言葉や説得云々すらも介さず、下されていた。


「よし。——もうソイツ殺して」


 「もう……ほれ、まただ」



「——え?」


己の肩を音が出る程度に軽く叩き、駒の一つを動かして決断を仲間に告げたイミト。しかしながら言葉を言い終える前に、直ぐ様と対戦相手の駒は迷いなく動かされ、スペヴィアのは宙を舞った。


「俺が……お前の提案に乗れない理由がある。に聞いとけ」


「……」


「一つ目、の目の前でテメェの身体目当てに協力しますたぁ言えねぇ。こう見えて俺は嘘吐きな正直者だからな」


ゴトリ。落ちた少年の頭。地上の背の低い草原くさはらを踏み付ける頭の重さは少年の物とは言え、中々の物であったろう。


それでもイミト・デュラニウスは尚もスペヴィアの椅子から倒れゆく頭を失った体には目も暮れずに盤上を見下げ、やはり淡々と言葉を紡いでいくばかりであった。

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