第99話 支流の嘶き。4/4


だがしかし、もうしばしと敢えて彼らの最後は先伸ばされる。


「へへ……レジータのババアよ。悪いがこっちにもメンツってもんがある。大人しくその客人をコッチに引き渡してくれるってんなら、ダナホの治療代くらいは払って退散するつもりだが」


未だ己らの未来を知る由もない傲慢な男バジェスは、威風堂々とふところから煙草の一本取り出して、取り巻きの仲間に火を付けさせる。初めの一吸いで生まれた煙は、彼の口からカトレアの仮面に向けておぞましく流れいく。


——まだ、耐えた。


「ここはだよ。それから、もう二度とダナホに関わるんじゃない——いい加減、こっちにもってもんがあるからね」


しらけた煙の揺らめきを横目に、やがて視線を動かしてバジェスに対して怪訝けげんな表情を向けるレジータは、取り敢えずとバジェスの悪態を見逃したカトレアを見かねつつ、煙草の火を消すように注意する構え。


この時、もう少し慌てて強く止めるべきであったのだろう——この後の事を強く後悔するような性分であるならば。



「おー怖い怖い、遊ぶ友達は選べってさ。おい、の——ちょいとを貸してくれねぇか。少してのひらを前に出してくれりゃいい」



「……良いですよ。これでいいですか」


しかし平静で理性的なカトレアの、ここまでの振る舞いに無意識下で油断していたのだろう。バジェスがカトレアへ向けて声を掛け、仕方なくと掌を素直に差し出す動作にも、彼女自身の今のこの状況を荒立てたくないという思惑も当然と感じていて。



やがて——真っ赤に燃える煙草の先端、バジェスの太い腕にカトレアの手首は唐突に掴まれる。



「助かるぜっ‼ ここは——らしくてなぁ‼」


 「バジェス‼」


彼女の掌をであるかのように扱うバジェスの凶行——人としてレジータは流石に怒声を張り上げた。だがその甲斐もなく、ジリジリと煙草をカトレアの掌にじり込み、またしてもバジェスは口に残る煙をカトレアの眼前で吹きかける悪態を続ける。



「「「「へへへ……」」」」


背後の仲間たちも、へらへらと笑っていた。

しかし——見え透いてもいた。



「——まぁ、は良くないですから。吸いがらは、私が捨てておきましょう」


「「……」」


——まだ、耐えられた。

まるで単に預かり物を預かっただけの如く掌に押し付けられた煙草を握り締め、バジェスの腕を払って仮面の女騎士は余りにも平静な声色でレジータへと改めて振り返る。



「話は済みましたか、レジータ殿。話し合いに戻りましょう、我々は見ての通り、この街で基本的に関知せず危害を加えるつもりは無い」


そしてバジェスや他の取り巻き立ちなど意にも介していない様子で話し合いに戻り、彼女は敢えての空気読まずで状況を進めようとした。




「我々には我々の事情があり、詳細ははぶかさせて頂きますが今一度——」


「この——っ‼」


無視されて怒る駄々子が感情に身を任せて拳を振り上げれば、いよいよと彼女が目を覚ます。


元々は蒼眼——カトレアの左眼が燃えるような赤へと煌き、意図せずに視線の向いていたレジータを威圧する。鳥肌が立つレジータに声を出す余裕などない。


どちらにせよ三度目は、無いのだ。

その事は——カトレア・バーニディッシュも、知っている。



‼ ‼』


故に咄嗟にカトレアは己の胸の内で眠っていた獣に対し、獣が用いる言葉を声とした。


「「「「「——‼」」」」」」


それはまるで——

一瞬にしてレジータの屋敷の室内を雪山の氷窟の如きいろどりに変えて、緑あふれていた植物たちを真白に近しい青へと染める。



「……発音が悪かったですかね。まったく」


吐く溜息は白く、終わりを感じれど闇は無い。


『ホントに日本語のしてるピョンか……ムカつく、思わず手を抜いちゃったピョン』


「ひっ……はっ、はっはっ、はぁ?」


同じ声質とはいえ、人格の違うように思えるカトレアは己の声と平穏に会話を交わした。一瞬にして場所を移動したような環境の激変——されども、彼女らの背後にあるのは見覚えのある格好の像が時を止められたが如くたたずみ、彼女たちでは無い男の声が漏れている。


その大して覚える必要もない男の名は、バジェスと言った。



「アンタ……その……も無しに、その精度の魔法……」


そして殴りかかろうとした姿のまま氷漬けとされてしまったバジェスを他所に、カトレアの前に佇む変わらぬ様子のレジータは悟るのだ。



彼女たちが——どのような存在であるかを。

人の道理や人情が通らないのも無理からぬ、と。


『でもムカつくから、は殺しとくピョン』


 「ば‼ やめなさいユカリ‼」



「あちぃ⁉ な……なんだ、なんだこりゃあああああ——あ、あ、あああ……⁉」


呼吸のみを許された氷の牢獄、氷結地獄のあるじであるような赤い瞳の看守は、周囲の驚愕や彼女の暴走を止めようと声を荒げたカトレアを尻目に、赤い瞳をたぎらせる。


単なる外気すらも燃えるように感じる低温——徐々に体の芯まで侵食し、やがては声すら呼吸すらもままならぬ氷結へと至る。


そして。ユカリと呼ばれた内なる獣はカトレアの声色で、静やかにを告げゆくのだ。


『砕け散れ、ピョン【氷鳴アイム・スクリーム】』


「「「ひぃぃぃぃ⁉」」」


まるでガラスが砕けるように軽々と、彫像がひとりでに砕け散ったようにゴロゴロと——よくよくと見てみれば砕けたバジェスの氷像の背後に居た仲間たちの身体もそこら中を氷に覆われて動けなくなっている様子。


故に彼らは、己の未来を見たかの如く恐れおののくのであろう。



「——まったく、最悪です。と言い……最近は特に制御が効かない」



 「半人半魔——しかもを使うレベルの魔物……魔族どころの騒ぎじゃないね、アンタら……を」


一つの身体に二つの魂——否、人と魔の融合と共生、

明確に禁忌きんきとされて常人が目の当たりにする事すら、本来無い筈のその存在の脅威にさらされ、屈強な体格に恵まれた魔女レジータは冷え切った室内で冷や汗を流すに至った。



「それをを知る貴方が語りますか……仕方ない。不本意ですが、予定を変更して手順を早める事にします」


そんな彼女の不吉と悲劇を嫌悪するような眼差しを跳ね返すカトレアの二色の双眸そうぼう侮蔑辟易ぶべつへきえきと己の姿が見えないかと呆れ果てる息を漏らし、それでも目を瞑って話を進めいく。


とはいえ、もはや——床にバジェスとやらの破片が転がった時点で結論は出ている。



「レジータ殿、実は私が仲間と別れて此処に辿り着いた時点で、状況は可能性がある。


 敵が我々の動きを監視できている場合、戦力が分断されている今がと考えるでしょうから」



 今やさかのぼれぬ時の向こう側、はなはだと不本意な結末——だが仕方なしとの諦観に声は淡白で無機質で事務的な印象を増し、うんざりと面倒げな響きさえ滲み始めていた。



「よって再三と言います……我々に関わったリダ殿とカジェッタ殿のを——そして、これからアナタ方には明日の昼まで私を追ってもらえると助かる。


 まぁ、このままだとアナタ方も罪を被る事になりかねませんから、我々——ひいてはセティス殿を捕まえたいソチラ側としても都合が良いのではないかと思います」



「なん……だって……?」


もはや話し合う余地は無い、既に選択する時間は過ぎ去り、運命の流れは無情にも彼女らが共に過ごす未来を別つ。つらつらと一方的に言葉を告げて氷漬けの玄関扉にきびすを返す——魔と共に歩む女騎士。


その背に迷いは無いに違いなく、


「本来であれば、私もリダ殿に付き添って直接と護衛するつもりでしたが——こうなっては、どのみち騒ぎは免れなかったでしょう。申し訳ないが、そこに居る残りのゴロツキ殿たちにもに上がってもらう事にしますか。で、さして悪影響も無いでしょうし」



ただ——惜しむらく事柄は多いと過去を想う郷愁の如き呟きばかり。


「「「ひぃぃぃぃ⁉」」」


人の世の——些細な分かれ道、握り締めていたバジェスの煙草の吸殻は彼女の涙を吸っていたかのように濡れていた。


代わりに掴むは己の信条——一本の剣の柄。


魔力が滾り、漆黒の仮面の裏から伸び始める白い兎の耳。

半人半魔——その歯牙が剥きだされる少し前に、彼女が呟く。



『……さっき手加減とか言っといて、今は満々ピョンじゃん』


「ふ……言葉は兎も角、相変わらずあきれられているのだけは分かります。確かに、私のが彼の信頼を得られない理由なのでしょうね。それでも酷く——変わらずに冷静だ」



「全ては——とあれば致し方ない‼」


『……



「待ち——な‼」


まるで独り言の如き自問自答の格好——その不穏に何かを察したレジータが女騎士の動きを止めようとするも束の間、鞘から飛び出す水流の如き魔力と白刃の輝きを踊らせる刀身。


「クライド流剣術……【水派ノール流華リュフエル・ド芽吹・ステュラエスき】」


『【飢饉氷華ドライ・フラワー】……血で汚れるのは嫌ピョン。気色悪い』


レジータの掌は、一歩——届かなかった。

一瞬にして集まっていた氷漬けにされていた他のならず者集団の隙間を縫った様相で玄関扉の真ん前に踊り抜けたカトレア。


すれば後にユカリという獣が言葉にしたように、凍らされて世に留まるは刹那の瞬間——柔軟に振り回された剣の軌道を追うように空を舞っていた水流は彼らの首をも通り抜け、首と胴を美しくわかったままに氷固まる。



——惨劇を芸術にしたと言えば狂気の沙汰さた。されどもそのような光景。


「——では、レジータ殿。部屋を荒らしてしまった非礼を詫びつつ、度重ねて申し訳ありませんが——これはでもでもでもなく、通り掛かりの旅人のとしてリダ殿たちの事をお頼み申します」


こうして国が為に剣を振るうはずの女騎士カトレアは振り返り、白い息を吐きながら酷く冷酷に魔女レジータへと別れを告げた。



赤い瞳と蒼い瞳で、静まり返る世界をただ——眺めながら。

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