第94話 谷塞ぎのバルピス。1/4


剣呑けんのんとした雰囲気のカジェッタ・ドンゴの店の中、度重ねて到来する予期せぬ来客に状況は更なる混迷を魅せる。


セティス・メラ・ディナーナ——覆面の魔女。


「セティ——『殿ではないですか‼ 何故ここに⁉』」


彼女の予期せぬ登場、或いは再会にリダの声をさえぎって驚愕の声を上げたのは、やはり聖騎士アディ・クライドだった。木製扉が開かれて、誰にも悟られぬままに店の埃は動きを変え、あたかも運命の歯車が回り始めた様相。


しかし、

「……旅の魔女が何処に似ても不思議ではないはず。何を驚くのか疑問」


「リダ。何も言わないで、ちょっと耳を貸して——からのを預かってる」


当のセティスは調であるかの如く、アディの驚きの余韻が残る中で床に静かな足音を鳴らさせて店内のちょうど真ん中あたりの端に居るリダに無感情な瞳を向ける。


まず彼女は、リダの口を塞ぐ必要があったのだ。


「え? ええ……はい、魔女様からですか?」


聖騎士たちに黒顔布の裏、を知られてはいけない——静かに始まっている覆面の魔女のに、リダの兎に似た耳がかたむく。花火か砲撃か——事情を知らぬ故に、平和にほうけて些かの厄介。



「——はどなたです、アディ。そのは知り合いですか」


 「あ、はい——以前ミュールズにて大変お世話になった方でして……」


コツコツと床を歩く中で、密やかな視線が肌に刺さる中で、セティスの耳にヒソヒソとした二人の男たちの会話が入る。


で……ですか。


。そんな事を想いつつ平静な顔を保ち続けるセティスは周囲に視線を動かしながら、セティスの背丈に合わせて屈んだリダの耳の高さにかかとを上げて背伸びをし、魔女は只の街案内であるリダの耳にを掛ける。


『——……』

『——そんな⁉ 本当になのですか⁉』



「ん。今はをしている——こっちの事は良いから早く行ってあげると良い」


、或いは。リダの口からデュエラの名がこぼれないようにする為に、彼女が選んだ戦法は文字にすれば脱兎だっと



「で、ですが——」


「良いから行って。私たちはしばらから安心して、万が一の事があるかもしれないから。心配そうな顔で案内されるのも気分が悪い」


この場からリダを急いで遠ざけさせる事で、当面の危険を避ける狙い。自らが足に大怪我を負わせたは伏せつつ、魔女はリダの手を引いて店の出入り口の木製扉に押しやって責任感の強いリダに選択を迫るのだ。


そして、


「……すみません、お願いします‼」


「ダナホ兄ちゃんがどうかしたの⁉ リダ姉……ずいぶん慌ててたけど……」


「——事故で足に大怪我を負った。アナタも知り合いなら見舞いに行くと良い」


「なんだって⁉ で、でも……」


 「オメェも行きな、トラコ。今日はもう商売する気もねぇ」


「う、うん……‼」


店員トラコは、であった。けれど意図していなかった収穫ではあって——察しの良いカジェッタの咄嗟の協力も功を奏し、この状況に本来は無関係であったリダとトラコの二人を店外へと避難させる事に成功するに至る。


やがて店内から慌ただしく二種類の足音が去って、にわかに不穏な静寂が際立つ。

そんな中で口火を切ったのは店の主人カジェッタであった。


「——人払いとは気が利くな、魔女の嬢ちゃん。そこの嬢ちゃんの連れかい?」


未だに何かを店の棚から探しつつ、独り言のように背後のセティスに尋ねるカジェッタ。


「聞かせたくない秘密の一つや二つ、女の子は持ってるもの」


「へっ、そりゃあ男も持ってるもんよ。玉袋をぶら下げてねぇ分、女の方が分かりつらくて厄介だがな」


それに対する静やかな返答にセティスを織り交ぜた会話が再び始まり、鼻で笑ったカジェッタはようやくと目当ての品を見つけたのか新たな古い小箱のふたを開けて納得した様子。


「酷い下ネタ。女を口説く時には使わない事をすすめる」


「ふっふ……女の怖さは長生きしてよく知ってるさ。今さら口説こうなんて夢は見てねぇから安心しな。顔を隠した嬢ちゃん、まずは……この包丁なんかどうだい?」


そしてセティスとの会話にも満悦気味にカウンターに見つけたばかりの小箱を置いて、フサフサの白髭を片手で撫でながらデュエラへと顔を向ける。



「あ、見るので御座いますよ‼ セティス様、ワタクシサマ……この店の包丁をお土産に買って行きたいのですよ‼」


「——ん。好きなだけ好きなように包丁を選ぶと良い、それはアナタが任された仕事。こっちの話は私一人でするから」


「了解なのです。お任せするのですよ‼」


カジェッタが探していたのはデュエラの所望していた包丁であった。


それを伝えられたデュエラの問い掛けに、まるで玩具をせがまれているような気分になったセティスは仕方ないと瞼を閉じる所作で頷き、子供が玩具に夢中になっている内に家事でもこなそうかと肩で息を吐く。


本来であれば、包丁など放っておいてデュエラの正体を悟られる恐れのあるを直ぐにでも離れたい所。


けれども——それは余りにもなのだろう。


『——……。そろそろ話に戻っても宜しいでしょうか? どうやら、あらぬ疑いを掛けられている気がするのですが』


店内にある監視の目。まるで後ろめたいを暴かれるのを恐れているのでは無いかと勘繰かんぐられるのは悪手極まる——


特に、咳払せきばらいで店内の意識を己へと向けさせたラフィスがセティスらと同様にツアレストという王国で暗躍する別勢力の敵であり、既にデュエラの名をあばき彼女らを追い詰める為の思考を回しているかもしれぬならば尚更の事。



ゆえにセティスは、


「——私は、何処に居るかも分からない神様は兎も角、を信用していない。この店の前にずらずらと兵士を並べさせて他人の商売を平気で邪魔しているのも


「ふん。ズカズカと話に割って入り、そのような状況を遅延させている事は理解していますか? 我々とて忙しい身の上、話が円滑に進めさえすれば直ぐにこのような店から離れますよ」


「思い通りに行かないからみたいに駄々だだこねて、そのふくらませているように見えたけど?」


「「……」」


冷たい無感情な眼差しでラフィスと相対し、明確な敵意を突きつける。

相手の矜持や自尊心を踏みにじり、デュエラから己へと意識をを得ない


となれば——あわれなのはセティスやラフィス両名の知り合いで、二人の間に挟まれるアディ・クライドであろう。


「せ、セティス殿、我々は決して誰かの非を追求する為や責めを負わせる為に此処ここおもむいた訳では……出来る限り穏便に事を進めたいだけでして」


相変わらず反り返る程に伸ばされている背筋の長身からセティスを見下ろすラフィスと、そんなラフィスに冷たくも鋭い眼差しを突きつけ続けるセティス。あたかも中間管理職かの如く二人の間に割って入り、険悪な雰囲気をなだめようとするアディ。


すれば状況は一旦と落ち着きを見せて、敵意を互いに突き合わせていた二人ともに、間に入ったアディから顔を逸らして抜身の刃のような息を吐く。



「そ、それよりも——アナタが此処に居るという事は、もしや彼も——イミト殿もバルピスに来ておられるのですか?」


そしてアディも一時的にでも収まった険悪に安堵と徒労を漏らしつつ、隙を見つけて息を整えつつ会話の話題を変える事を試みる。それが予期されていた話題であったのは、やはり彼自身が真っ先に気に掛けていたであろう直近の疑問だったからに違いない。


「……どんな些細な情報でも与えるつもりは無い。ミュールズでの一件での事、忘れたとは言わせない。剣を抜いたのはアナタ達」


しかし、未だ敵対の口振りでアディの問いの答えに拒絶を示すセティスである。

嫌味を一匙ひとさじほど混ぜ込んで素直に振る舞わない、あくまでも自然を装う振る舞い。



「——それを言われると少し耳が痛い。その後、国からの手配がされてはりませんし、明確な違反行為も認められて居りませんので我々としても、神に誓って今現在は、イミト殿のはありません。その所は、安心して頂けると」



……まぁ、アナタはそうかもね」


特に隠す必要も無い事も、気分次第で隠す事がある気まぐれなを——彼女はえんじ、暗に示しているのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る