第93話 幾度目かのお仕え。1/4


 一方、その衝撃的な男の登場に気付けるよしもなく、カジェッタの店から慌てて離れていた女騎士カトレアは花を摘むでもなく、人気ひとけのない路地裏の建物の壁に腕を組みながら背を預けていた。


「——それで。なのですよね、こちらも、安易にと離れたくないですし、あまりは避けるべきだと思うのですが」


誰かを待つような、きたる時を待ちびているような素知らぬ様子で、おもむろに彼女が語り掛けたのは背を預ける壁の隣に設置された建物の窓。風通しに僅かに開かれた窓の奧では、室内の暗闇とカーテンが少し踊る。


人の気配は、無いはずだった。


「それを問いたいのはだ。この街の魔女がで動いているように見受けられた。何が起きている」


だが、カトレアの語り掛けるような言葉に対し、返された男の声はその窓から訪れて。訝しげで冷徹な声色、知人友人のような親しさは一切存在せず、あくまでも職務上の応対——私情人情など、皆目ない様子の声である。



「……ですか。どうやらの一人が魔女界のの監視に抵触ていしょくしたようです。今は彼女自身で解決に動いて魔女たちの下に出向いている……心配は要りません、我々はを果たすのみです」


そんな声にたじろぐ様子もなく、カトレアもまた業務的に言葉を返す。瞼閉じられた平静な顔色をくずさぬままに、されど同じ杞憂を抱いた同志に共感を抱いて自嘲の吐息。


行動を共にしていたセティスとの離別の経緯と事情を端的に説明し、彼女は窓向こうに潜んでいる男に冷静さを保つように言い聞かせた。


すれば、


「——分かった。様子を伺っていたが万が一、が難しくなっては困るからな……予定を変更し、今の内に話を進めよう。を受け取れ」


ある程度の理解を示し、そちらの事情には深く踏み込まぬとでも言わんばかりに窓向こうの男は開かれたに紙に包まれたを置く。



「承りました。の中身については?」


「私は中身についても何も知らされていない。知る必要も無いだろう……我々が動かされるという事は、つまりは。知るべき事はそれのみ、やるべき事は、それがどんなにであろうと国の手足となって全霊を尽くす事——話は以上だ。街を出るまで影ながら我々も見守らせてもらう」


窓の奧の暗闇に潜むツアレスト王国の暗部、届けられた荷物は男の言葉と共に、どれ程の重荷であった事だろう。それでもカトレアは、軽々と荷を腰裏のポーチに納め、素朴にねぎらいの言葉を贈る。


「分かりました。


聞きようによれば、重い責任を無神経に受け流したような印象を受けるかもしれない。だがそれは、或いは責任を負う事を呼吸するのと同じように受け入れているとも言えて、



「——


見定め難いカトレアの感情の機微を、それでも見定めようと神妙に言葉を返す窓向こうの男。


窓は——としていた。


『話をさえぎるけど、少しいい?』


しかしその刹那、路地裏の入り口から歩み、姿を現す覆面の少女。



「⁉——……はぁ、セティス殿でしたか。少し驚きました」


 「……」


に突如として現れた少女の姿と声に、音速で過剰な反応を示す二つの存在。けれど思わずと腰に帯びた愛剣の柄に手を伸ばして腰を低くした女騎士は、唐突な気配なき魔女の存在に視覚によって遅ればせながらに気付くに至り、強張こわばり、緊張の走った体の力を徒労感に溶かしていく。



されども、安堵の息をカトレアが吐いた矢先、


「かなり面倒な事態が起きた。場合によっては相当に厄介」


 「——に何か?」


冷淡かつ平静を極めた声色で、カトレアの隣の窓向こうに視線を送りつつ会話を遮った理由があると暗に示し、身を引き締めるようなセティスの物言いにカトレアは並々なら兎自体を予感する。


「そっちは。今はの事」


 「⁉ まさか私が目を離した隙にデュエラ殿に何かが⁉」


負い目はあった、危惧もしていた——しかし少しぐらいならばとの油断。

本来ならば傍らに居るべきセティスからも任された少女の行方を真っ先に思い浮かべるカトレア。


任されたにも関わらず放置してしまった罪悪感も拍車を掛けて。



「……落ち着いて、耳を貸して。幾ら信用があっても


しかし、まぁ無論か——それについて、この時のセティスは、そのカトレアの失態を責めるつもりなど毛頭も無かった様子であった。ただ冷静に覆面の眼差しを再びカトレアの隣の窓に向けて、これ以上の警戒をうながすばかり。



——それもそうであろうか、


「ん……ああ、分かりました」


 『——……


「——なっ⁉ そんな、まさか‼」


セティスの背丈に合わせ、膝を曲げたカトレアの耳に届くように踵を持ち上げた少女が口にした男の名は、カトレアに取って旧知の名。


「……しっ。アナタが此処に居るのは、ある意味で



 「だが、どうしてそういう事に……」


思わずと声を張り上げてしまう程にその男の名に驚いたカトレアに、むしろ任せたデュエラから距離を取っていた判断が正しかったとばかりに宣うセティスである。


明らかに動揺するカトレア、


「分からない。でも今は静観する他ない……私は顔を知られているし、——分かると思うけど」


アディ・クライドはそれ程に、彼女らにとって見つかってはならない要注意人物であったのだ。出会ってしまえば、再会してしまえば、それだけで彼女らが抱える様々な懸案に影響を及ぼす程に、ある意味でとなっているのである。



「私は、アナタが間抜けな顔して歩かないように忠告に来ただけ。それじゃあ、私は向こうの建物の影に居るから話が終わったら慎重に合流して」


故に、何かしらの暗躍をカトレアが行っていると察していてもセティスは彼女の下へ真っ先に訪れて、今もまた冷静な表情でありながら歩む足を僅かに急かしているに違いなく。



「——いえ。はもう終わりました、とにかく状況が分からない。私も共に参ります、万が一にでも何かが起これば直ぐに対処できるようにせねば」


そしてカトレアもそのセティスの僅かな焦りを感じ取ったのか、釣られるように窓向こうの男に視線を動かし暗黙の挨拶を贈って、セティスを追い始める。



「……デュエラは読めないから難しい。正直、他の何よりも面倒」


「イミト殿へ連絡は?」


横並びに歩く街路——しかし束の間、セティスの足は路地裏を少し離れてから徐に止まる。被っていた覆面を外し、深い溜息を溢しながら、これから先の事態について如何に動くのが最善か思考を始めたのだろう。


少しセティスよりも歩みを進めてしまったカトレアもそうだった、そして互いに向かい合うように思い至るのは悪辣に全てを見据え、掌の上で人々を踊らせてきた悪魔の背中。


「——それもまだ。連絡自体は最小限にするつもりだったけど、状況によっては直ぐにでも報告はしなきゃならないかも」


「下手に動いてデュエラがイミトと繋がっている事が露見したら、アディ・クライドがどう動くと思う?」


口と性格が捻じ曲がっているに頼りたくはないと思う反面、今この時も切迫し続ける状況に置いて何かしらの光明を見い出してくれるかもしれないという期待もある。無論、想定していなかった異常事態に際し、既になかばまでえがかれているを想定してしらせておく事も必要と思いもしている。



葛藤、まさに葛藤だった。


「間違いなく情報を聞き出そうとするでしょう。性格上、あまり乱暴な手段を取るとは思えませんが……しかし何故、鎧聖女の直属の部下であるはずのアレがこの街に——」


渦巻き始めた様々な危険リスク、様々な今後の情勢を想像し、安易には判断しがたい状況に悩むセティスに共感するが如くカトレアも、何とか力になれないかと落ち着かぬ様子の腕を胸下で組んで抑えつつ、思案を始めた様子。



「……分かっている事は、居たという事。あっちの方は多分——」



何よりも、互いにがしていた。頬をつたう冷や汗にねばり気を感じるような。


まだカトレアが知らない事実——推察ではあるが、更に情勢をに動かしかねない別の懸念があると暗に示し始めるセティス。


カトレアも、は察していた。


繁栄と革新の最中にあるバルピスの街にうごめく陰謀の予感。

戦いの予兆が、彼女らの耳を何の事無く通り抜ける風すらも不吉な物に思えてならないでいた。

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