第92話 橋の下の出会い。4/4


「職人としちゃ喜ぶべき事を言ってくれるが、人としちゃ聞き捨てならねぇ事を言われたもんだ。俺が嘘を吐いたって言うんだい、じょうちゃん」


包丁の刃を品定めるデュエラが何気なく放った一言により、ピリリと張り詰めた店内。酒瓶の中身を再び傾けたカジェッタは、喉をうるおして酷く落ち着いた声でデュエラへと問う。


すれば、素知らぬ顔で見つめていた包丁を商品棚に戻し、次なる商品に手を伸ばすデュエラは何の事無く淡々と答え始めた。


など飲んでは居ないですよね。アナタ様からはと鉄をみがいている時にかおってくる研ぎ石などのがするので御座います。


 お酒の匂いがしませんし、瓶を持ってる手が濡れてる……恐らく、をしていたのではないですますか?」


茶透明の硝子がらす製の酒瓶の中で波打つ中身——瓶が茶透明故に中身の色は分からない。瓶に貼られたラベルで中身を判断する他ないその状況の中で、少女は黒い顔布越しに見聞きした様々な情景から推察を語るに至るのだ。



まるで——を眺め、学び取った生き方であるように。



「——へぇ。顔を隠している割にゃ、相手の事は良く見てやがる……やっぱり、とんでもねぇ嬢ちゃんのようだ」


けれど、カジェッタはの事など知らない。単純にデュエラの観察眼に感心の面持ちで酒瓶の中身の水を再び飲んでククリと笑う様は、世の滑稽こっけい嘲笑あざわらう同じ詐欺師の仲間にでも出会った様相。


「ワタクシサマのなのです。イミト様は、料理の次に道具の手入れを大切にする方で御座いますから。そして、この包丁様の輝きは——まるでイミト様が研いだ後のように綺麗にみがかれているので御座いますよ」


「ふっふ……面白れぇ。このかい——そのイミトって奴の手入れした道具を見てみたいもんだ。この酒瓶は、いまだに俺にを作ってくれって頼んで来る馬鹿を追い返す為の道具でね……すまなかったな、に態度を悪くしちまった」


「カジェッタさん……」


けれども当然の事ながら彼らは詐欺師ではない。気の合いそうな客の到来に、態度を翻すカジェッタは肩の力を抜いて剛毛の髭面の裏で不器用な笑みを浮かべる。すればリダも一安心したのか、彼女も緊張で強張こわばっていた肩の力を解き——それでもカジェッタの抱えている事情を知るが故か少し複雑な表情で状況を見守るばかり。



「ワタクシサマ、この店が気に入ったので御座いますよ。良さそうな品が多くて悩んでしまいそうで御座いますね……


 ふふっ、イミト様も『敵を殺す武器はそこらでで良いが、人に飯を食わせる道具は一番良い物を使うべき』とおっしゃっていましたので、ここの店の商品なら気に入ってくれるかもしれませんのです」


しかしながらやはりと、そのような他人の事情になど良くも悪くも特に興味を持たないデュエラは、カジェッタの作ったのだろう商品である包丁の品定めに戻り、土産として商品を贈る予定の男の顔を思い浮かべているように楽しげに微笑み、嬉々として言葉を漏らすばかり。



そんなが、彼ら——特にカジェッタの心をくすぐる事を無垢であるがゆえに自覚せぬまま。


「だっはっは‼ 武器はで十分かい、違いねぇやな‼ 本気で酒を飲んでみたくなる事を言いやがる豪胆さだ……そいつが作る料理はのかい? 嬢ちゃん」



「——はい‼ イミト様の料理はなのですよ‼」


自覚なき救済。或いは、そう評する事が出来るのかもしれない——知らないが故に、損得や打算の無い無垢な者の無垢なる言葉であるからこそ、或いは落としてしまっていた心を拾い、背中を押す事もあるのだろう。



「そうかい……そいつぁ。じゃあ最高の包丁を贈ってやんなきゃな」


些かと鬱屈うっくつとした迷いが晴れたようなたくましい顔つきに浮かび上がる儚げな遠くを見るような眼差しのカジェッタ、今度は細やかな祝杯の如く水の入った酒瓶をかたむける。



——世界の人々が全て、こうであればいいと願うようでもあった。


「そうなのですよ……あ、そうでしたのです。良い鍛冶職人の店を見つけたら、に書かれた物を参考にしろと言われていたのでした」


「ん——そうなのか、どれ嬢ちゃん、そのとやらを俺にも見せちゃくれんか。似たようなもんがありゃ、店に出してない品でも何でも出してやろう」


やがて時は移ろい、度し難い世の中に対する不満をデュエラに悟らせた所で何にもならぬとデュエラが腰裏のポーチのようなかばんから取り出した数枚の紙切れに目を付け、カジェッタは己の心向きと話題を変える。



「え……あ、はいなのです。お任せするのですよ‼」


 「——⁉ ……」


差し出した太い指の武骨な掌、知識ある店員に訊いた方が良いかと手渡されるメモ。或いはそれも、途方もない衝撃のあると評する事も出来るかもしれない。


「どうしたの? カジェッタさん、この店にありそう?」


彼の太い掌と比べれば、とても小さく見える数枚のメモ紙に釘付けになるカジェッタの視線——その開かれた瞳孔に、メモ紙の中身を知らぬリダと店員のトラコは不審に首を傾げた。


けれど、そんなリダやトラコの疑問など蚊帳の外、眼中にない様子でフサフサの己の白髭を撫でながらメモ書きに夢中で視線を流し続けるカジェッタ。



「……嬢ちゃん。旅用の包丁って言ってたな。もしかしてアンタの言ってたイミトって奴は狩りでもするのかい?」


そしてひとしきりの内容に目を流した後、カジェッタはメモ書きを手渡した何も知らなそうな少女に徐に問いを放つ。


「ん? あ、はいなのですよ? イミト様の解体は、とても早いのに綺麗で丁寧なので御座いますよ」


「とんでもねぇな……この紙に書かれた、いや大まかに分けりゃ大中小の三つだが多分こりゃ、肉の部位や骨……それどころか魚や野菜、果物、いろんな食材の種類や解体の仕方によって包丁を使い分けようとしてやがる、


 なんだぁ、このは……旅で使うような扱いやすい万能な物って感じじゃねぇだろ、こりゃ」



「なにより——それぞれの包丁の特徴をしてやがる。こいつぁ……全て使いこなせるってと、それに見合った勤勉さと探究心が無きゃ出来ない芸当よ」



とても自慢げに、我が事のように誇る少女。きっと恐らく、彼女が見届けて来たものの片鱗へんりんがそのメモ紙には書かれていたのだろう。


「こりゃか? こんなんじゃ真っすぐ切れりゃしねぇだろ、何を考えてんだ」



 「カジェッタ爺が興奮してら……」


「凄い……こんなカジェッタさん初めて見た……」



デュエラから問いの答えを引き出した後も、改めて目を光らせるが如くメモ紙に描かれた包丁の絵や注釈などを細かく見つめるカジェッタ。


職人としての——己の知らない技術や発想の片鱗との邂逅に際し、そう彼は後に評するの



だが——表題に記された橋の下の出会いは、それとはのだ。


この時、この瞬間、この話の折り合い——カジェッタが受け取ったメモ紙を機に、始めかねなかった包丁談義をさえぎるように、は唐突に現れた。



ほこりっぽい木製扉が軽く叩かれる音が挨拶代わりに軽快に店内に響き、


『——失礼します、コチラに【技】の賢人……カジェッタ・ドンゴ殿が居るとうかがって参ったのですが』


精悍せいかんな若い——明らかな好青年だろう男の声が透き通るように店内にいた者の耳に均等に届く。


「「「「……」」」」



「ああ、申し遅れました。私はリオネル聖教聖騎士団に所属しております、アディ・クライドと申します……コチラは同僚のラフィス・カリズ。【技】の賢人の名を見込み、少々とが御座いまして」


皮肉な事に——人々が、それぞれの想いを抱いて命を運ぶが故の出会い。

こうして懇切丁寧こんせつていねいに礼を捧げ、腰にたずさえた剣と共に黄色と黒の髪色を僅かに揺らし、彼女の仲間とは因縁深きは初めて——デュエラ・マール・メデュニカに出会うのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る