第65話 護国の御旗。5/5


そうしている内に、エルフ族が解き放った逃走用の白煙を吹き飛ばした暴風を巻き起こした張本人がイミトらの下に現れる。



「イミト様、クレア様を連れてきたのです」


黒い顔布を揺らめかせるデュエラの胸の下に抱えられるクレアに、何やらと目を合わせるイミト。事前に示し合わせていた様子で目で語り合い、彼女を連れてきたデュエラに片手を軽く上げて言葉なき感謝を贈る。


そして——、

「——まず俺がゴブリンたちの様子で気になったのは装備だった」

「装備?」


黒いテーブルを囲む形で集まった一行にイミトが語り始めたのは最初の違和感についての話であった。しかしカトレアの疑問を他所に、また平然と悪びれる様子もなくスープをすする。



「干しキノコで大部分の出汁だしを取ってるからか懐かしい和風のおもむきはあるけど、全体として欧風の味付けになってるのは胡椒こしょうやらの、この国の香辛料とか、少し混ぜたっぽいトマトペーストの酸味が効いてるからかな。朝に焼いて固くなったパンに合うように気を利かせた後味の強いスープだ、良いね」



「……イミト殿」


流石にそれには堪忍袋の緒が切れそうだと最後通告のように悪態の男の名に意味を込めて呼ぶ皮肉。面倒げにカトレアの愛剣のつばも呆れて嘆くような音を響かせて。



「ああ、ゴブリンについて聞いてた話だと村や街、旅の行商人を狙って略奪しながら数や経験をたくわえて規模を増やしたりするんだろ?」


故に、これ以上は冗談を重ねないと約束するように皮肉笑いの鼻息で誤魔化したイミトが、自身の持っている認識に常識との齟齬そごが無いかと質問では無い前置きを重ね、黒い匙を一先ずとスープの器に置く。


そうして口直しに飲んだ水が、うらやましく思える程に美味しそうな一幕。



「実際、さっきまでそこに居た連中の話を信じるなら、この周辺で被害が出ている村や旅人が居て被害調査をしているらしい」


「——にもかかわらずって奴だな。ゴブリンが持っている武器にが見当たらなかった。剣を持っている奴が居ても使い古して廃棄はいき寸前の代物ばかりだ」


その後、彼は晴天に雲が揺蕩たゆた只中ただなかに改めて言葉を、理路整然と分かりやすく伝わるように出来る限り、点と点で存在する雲をつなげていくが如く並べ始めていくのである。



やがて見えてくる物は——蒼天か、或いはその先の無明か。


「……いや、こう言っては何ですが、この辺りは辺境の田舎です。マトモな武器がそもそも無かったという可能性も」


くわすきかまみたいな農機具、その他にも日常生活で使うような包丁なんかの調理器具の一つもないような田舎か? 練習用の木剣みたいな棍棒こんぼうを持っている奴は居たが、日常で武器になり得る道具を持っている奴は一匹たりとも居なかった」


明白である。その魔人には闇しか見えぬ。未だ雲に隠された事は多多あれど、その先を蒼だという者が居れば、黒だという者が居るのと同様に。



「おかしいじゃねぇか。付け加えるなら、お洒落しゃれな服の一つも着ている奴も居ない訳で」


「村や文明を襲った形跡がない。なのに、数だけが異常に居た——導き出される可能性は、そう多くは無いだろ」


「「「……」」」


カトレアの異論虚しく、イミトの見ている世界が口伝され、その場に居る他の者にも徐々に見えてくる景色。


悪の色合い、不吉な予感、己らのあずかり知りようもない場所でくすぶり始めている不穏、それらが自らの足に悪寒の走る低速で、ゆっくりと這いずって来ているように思い始めて。



「それともゴブリンは、農機具や調理器具を武器にはしない格式高い誇りを持ってる連中だったか?」


「いや……私もツアレスト領土の村を襲ったゴブリン討伐に参加した事がありますが、確かに奪った農具や包丁などを使い方も分からぬまま武器にして暴れる者が大半でした」


異論の隙は既に埋められ、それぞれの胸の慟哭どうこくがイミトの語る言葉を、予測を、推察を、確定的な未来予知にも等しい真実ではないのかと疑わせて来るのである。



現に、カトレア・バーニディッシュの心には反論する気力がなくなる程の正論に思えて仕方なくなっていた。


そんな折——それでも人の善性を信じ、否定をする言葉を探しているようなカトレアを横目に、ここまで静観していたクレア・デュラニウスが会話に割って入る。



「ふむ……なるほど、しかしその先が分からんな。今の者共がゴブリンどもを『』、裏で手を引いておるとして、そこに何の意味がある、貴様は何を見ておる」


イミトが遠回しに語り匂わせた事柄を深く読み込み、乾いたばかりの美しい白黒の髪を風になびかせながら彼女はその場に居る他の者を代弁するが如く、先を問う。



魔物ゴブリンの王、ひいてはゴブリンの王が率いる軍勢の人為的な発生——または己らと接触を図ったエルフ族の目論見、思惑についての事。


すると、その問いを受けたイミトは再び黒い匙を手に取り、スープの器のふちさじで軽く叩いて匙のしずくを落とし、同じテーブルの上で転がる古びた羊皮紙の、セティスが持ち込んだ地図を指し示す。



「そこで出番になってくるのが、政治に興味津々のカトレアさんの知識とそこの地図な訳だ」


「まず現在地と周辺の地形を見て、ゴブリンがを予測する」


そして己に眼差しを向けるカトレアと目を合わせ、暗黙のまま地図を開くように指示を出すと、彼はつらつらと地図に絵でも描くかの如く言葉を並べ始めた。



答えを導くのは己では無い。

これ以上は己では出来ぬと暗に示し、協力をあおぐ。



「その上で——ゴブリンの目的地とがゴブリンの襲来を知って、を考えてみるとだ」


この周辺の地理——歴史観、民族史、国の情勢、特殊な出自と事情を持つ外様とざまのイミトには解からぬ部分を補完するに、カトレア・バーニディッシュという騎士は最適な人材である。



「——陽動ようどうか。あの数と相対する為に周辺の町から兵士を集める、と」


「ああ。その実、裏で動いてる奴の狙いはゴブリンの対処をする為に町の防衛の人員を減らして防衛の薄くなった他の町か施設だろう」


クレア共々、人の俗世に染まらぬが人を良く知る会話を重ね、彼らは待つ。



「どうだ、カトレアさん。奴らの本当の狙い——エルフ族や反リオネル聖教、反ツアレスト……思い当たる反社会分子が欲しがるような何かが、ここら辺の町の近くにあるか……心当たりがあるなら必死に思い出してみてくれ」




「アンタの大好きなツアレスト王国に——が来る前に、な」


——元ツアレスト王国の姫マリルティアンジュ・ブリタエール・ツアレストの護衛騎士筆頭カトレア・バーニディッシュ。

彼女はイミトの問いに対し、急ぎ地図を開きしめ、即座に地図上の地理を目線で追って絵を描く。



「捜索範囲は、そうだな……俺達を焦って誘導しようとした所を見ると——ここから半日か一日くらいで馬で移動できるくらいの距離かな」



「……街ではありません、イミト殿。奴らの狙いは明白です」



答えを出す時間はそう掛からなかった。

今でこそ事情がありて姫の任を離れた身とは言えど、心に掲げた護国の旗が風をす。


平和を望む姫と国を守る為に、より深く学ぶに至った世界の情勢が、悪魔のささやきをキッカケに彼女に最悪の可能性を気付かせるに至る。



それは——、


遺骸跡いがいせき・ダルディグジッタ……先代の魔王、ザディウスの魔王石が封印されているリオネル聖教の聖地です」



この世界の人類史に未だ深き爪痕つめあと残す災禍さいかの王の帰還であった。

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