第60話 意味の亡き日。4/4

——。


そして——バンデット・ラックという男だった肉塊にくかいは、黒きひつぎに抱かれて顔の血を拭う罪人の椅子の傍らに眠りゆく。感傷かんしょうの夕焼けが世界を満たし、首から上の無い馬のいななきが草原の風に流されて何処かへと向かう旅情。



「……てっきり貴様の事だ。見逃してやるなどと、甘い事をのたまうと思っておったがな」


罪人の傍らに黒い台座を創り、騎士の篭手こてから降り立った頭部のみのデュラハン——クレア・デュラニウスが静やかに感想を述べる。


魂の片割れの選び取った選択——というよりは罪人の顔に降りる影のような雰囲気にいぶかしげに見てられぬと眉を寄せて瞼を閉じつつ、彼女は空気を読むが如く言った。



すると、そんな手厳しくも不器用な彼女を罪人はわらう。



「はっ、素晴らしいなぐさめ方をしてくれるなよ、クレア様ったら。れちまうだろ」


 「くだらぬ。まぁ、そのように軽口を叩けるならば問題は無かろう」



刺してくるような赤い光と、光の鋭さを誤魔化すような無明むみょうの影が織りなす情景の中において決して光に染まらぬ黒の冗長じょうちょう仄暗ほのぐらく夜に落ちる水面の波紋のように世界へと広がる静かな空気感で放たれる言葉のはらわたには、いったい幾つの感情と交錯があった事だろう。



「ガチのなぐさめじゃねぇか……問題は無くても課題はあるもんだ。いつだってな」



やがて放られる溜息に似た疲労の言葉が突拍子も無いように罪人の口からでて。軽々と小気味よく冗談を受けて落胆するが如く呆れた様子で彼に肩を落とさせる。



そんな彼に対し、次に声を掛けたのは——罪人の所までクレアの頭部を運んできた騎士の鎧姿の女性であった。



「——……は覚えてるものピョン。その内、何人殺しても気にならなくなって最初の一人も忘れてくるピョン。そもそも人間なんて死に絶えるべきなんだピョンし、何人死んでもゴキブリみたいに増えるピョンよ」



しかしながらその口振りは、ツアレスト王国の騎士であるカトレア・バーニディッシュと同一人物とは到底思えぬ我儘わがままな口調。本来はカトレアの身体に埋め込まれている魔石の中に眠っているはずのうさぎの魔物ハイリ・クプ・ラピニカ——ユカリである。




「元人間とは思えない発言だな。さっきはお前も前世の体に戻ってたんだろ、おぞましいったら。一人は一人しか居ないってのによ」


そんなカトレアの表情で蒼い瞳とは違う魔物特有の赤く光る瞳に、平然と罪人は言葉を返し、呆れた皮肉笑いを浮かべて止めどない息を吐く。



「知り合いならかく、知りもしない自分を殺しに来る異世界人に同情なんてしてたらコッチが殺されるピョン。くだらない意地とか良心とか、他人の食い物にされるなんて——もう二度とゴメンピョンよ」


白い煙が立ち上る魔力で創られた兎耳をピクツリと動かしながら罪人が先程まで食していたポップコーンを軽く一粒、口に放り投げて言葉を続けるユカリ。



「……ま、道理ではあるな。美味いか、ポップコーン」


自身の経験談のような物を語りながら思想を語るユカリを横目に、理解と納得を示しつつ血に濡れた顔を拭いた湿しめったタオルを首に掛ける罪人は、鼻に突く油と鉄の臭いに、彼女が愉しむポップコーンを羨みつつ力ない皮肉を返すに至りて——



「そんなに悩むくらいなら見逃すか、いつもみたいに言いくるめて仲間にでもすれば良かったピョン。魔法を封じられなきゃ、ただの雑魚だったピョンでしょ」



 「まさか、男だから仲間にしなかったとか言うピョンか?」


侮蔑ぶべつを含めた言葉責めの兎の説教を受けざる得ない状況に彼にしては珍しくとおちいるのである。



「そうだって言いたくなるような事を言いやがるもんだ。だが、まぁ……無理だったろうよ——、仮に仲間になったとしてからな」



その、ある意味で的を得た指摘してき自嘲じちょうの笑みをこぼし、嗜虐しぎゃく的な自虐じぎゃくで心を満たす。



視線の行き先は、黒い棺。


「背後からケツ刺されんのは御免だし、それに——もう良いじゃねぇか。ありゃ充分、生き抜いてきたみたいだからよ」



「殺される事が救済なんて、人権派が発狂しそうな言い分だがな……もう良いじゃねぇか。ありゃあもう……魂一個が運び続けるのに荷が重すぎる人生だったよ」



我ながら言い訳がましいと言葉を垂れつつ、まるで贖罪しょくざいを求めるように黒いひつぎへと今更と葬送曲をかなでるように瞳孔を沈めさせる。



「ふん、達観しおってからに。よく貴様ののたまう独善的という奴では無いのか……まぁ、どのみち皆が己の事しか考えられないのが道理という物ではあろうよ」



「だから他人の事を考える化け物になりてぇと常々滑稽つねづねこっけいに想いせるのさ。それで人を殺してりゃ世話ねぇが……ま、復活してくる可能性もあるし、だからも植えといた訳だし」



横からクレアの反吐の如き冷徹なげきが飛ぼうと、静やかに被害者を後悔にまみれながらとむらう加害者。

夕空の赤が、増々と色を濃い物にする景色の下——白日はくじつが犯した罪を裁くべく紺碧こんぺきが向こう側から迫りくる時は、やはり止まる事もなく人々の死など意にも介さない。



ただ、夕暮れの静かさ、冷え始める風が彼らの肩を撫で花の香りを代わりに運んだような気配がした。それが——である事を知っていても尚、そうであれば良いなと彼は微笑みを魅せつけるのだ。


しかしながら、彼女らの語るように。



「さてと——感傷はここまで。今回の戦利品と諸々について考える事にしますかね」



その一つの断絶に、心囚こころとらわれているばかりでは居られない。故に罪人は、気分を無理やりと急かすように膝にパンとてのひらを打ち立て、心を急かす。



そして彼が手にしたのは——バンデット・ラックというよりは、彼と同伴していたトンガリ帽を被る少女の。一冊の金銀宝石で装飾が施された厚みある



「今回のは、燃やしたらマジでキレるからな、クレア」



 「……分かっておるが、そう言われると燃やしたくなるものよ」


前科者ぜんかもののクレアから遠ざけるように白い目を向けながら本を持ち上げた罪人に、言い掛かりを不快に思う怪訝けげんな眼差しを返した後に美しい白黒髪を波立たせるクレア。



過去のほむらが引き起こしたが再燃し、くすぶる険悪。



「——……その本を使えるようになれば、こんな体から出てまた人間に戻れるピョンよね」



けれど、その二人の関わり合いになりたくないような言い合いが始まる雰囲気に際し、それでも尚と思惑を持ち——、息を飲みながら会話を遮ってでもユカリが話に割って入ったのは、


その本が自らの人生において多大なる影響がある事を身を以て証明されていたからなのであろう。



兎に転生した元人間ユカリ・ササナミ。そこから更に憎悪に囚われ、今や魔物と変り果てた少女は、死に掛けだった騎士カトレアの体に封印された見る角度によれば哀れなけものである。


しかして、現在は罪人が持つその本がもたらした力は彼女の人間だった頃の肉体を僅かの間だけ取り戻させた。



故に、彼女は興味の無い振りや湧き上がる欲望を抑えながら、その視線を罪人が持つ本へと釘付けにするのである。



だが——、

「どうだかな。飛び散って消えたページ分の厚みも元に戻ってるし、物質って言うよりはクレアや俺の物体創生で創った魔力のかたまりって感じなのかね」



その兎の問いに、罪人は答えを持たない。両手に持ち直した本の表紙や裏表紙の材質を改めて確かめながら思考を進め、分析を始める。



——されど本のページは開かなかった。



「そこの所、実際どうなのか教えてくれると有難いね。の天使さんよ」


何故ならば、世界のことわりと神が定めた法に従順な神からの使いが——中身の無い卵のからのような気配でそこに存在し、来訪している事を知っていたからである。



「——……その前に、我らが神はソチラのポップコーンを御所望です。罪人つみびと様」



執事服の天使は敬愛する神を慮り、天使たる由縁ゆえnのような翼を大いに広げて片腕を胸に当てて礼節丁寧にこうべを垂れた。彼女の名は、アルキラル。



神ミリスより拝命した命令を忠実に遂行する天使アルキラル。



そんな彼女へ、罪人のイミトは任意同行を求められた際のような声色で問いかける。



 「塩だけの奴とハーブソルト、どっちが良いか聞いてきたか?」


——ひとつの可能性、ひとつの生きる意味が亡くなった日。

それでも——尚、彼らは生き続け、意味を探り、可能性を模索していく。



とても面倒げに、情緒じょうちょが無いと吐いた息で明日へと繋がれた命を気怠く重そうに掲げながら。

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