第57話 不倶戴天。2/4


その辿り着いた時から遡り、数刻前と言った所か。


後に先述の処刑執行人に当たるイミト・デュラニウスという男は、嵐の過ぎ去った朝焼けがまばゆい世界で、聞き慣れぬ鳥のいななきに耳を寄せつつ朝露あさつゆを通り抜ける陽光を燦爛さんらんと浴びながら背伸びをしていた。


「あー、慣れたもんだと思っても野宿は体がだるいったらないな。ミュールズの王族ベッドが懐かしい事この上ない」



「挨拶より先に愚痴ですか……すっかり嵐が去って心地いい日和ひよりの朝だと思うのですが」


寝違えた様子の仕草で首を片手で抑えながら洞窟の入り口から歩み出したイミトを出迎えたのは抜身の刃で剣の素振りをしていたのだろうカトレアで。寝ぼけでしかめた顔色のイミトの朝一番の悪態に、剣を降ろしながら肩に掛けていたタオルで少し呆れ気味の顔に滲む汗を拭う。



すると、その傍ら——カトレアの剣の素振りを漆黒の台座の上から観察していた女の頭部が振り返らぬまま声を上げた。



「その阿呆の言動をいちいち気にして手を止めるでないわ馬鹿者が。そやつは取るに足らぬ事しか言わぬのだから」


そして声を聴くだけで苛立ちの感情が聞き取れる声色で、唾を吐くようにクレアはカトレアに剣の素振りを再開するようにうながし、心を表すが如く美しい白黒の長髪を波立たせて。



「はっ、随分と不機嫌じゃねぇか。そんなに夜襲が来なかったのが御不満か?」


 「ふん……語っておれ阿呆め。貴様のげんなど最早もはや、何も聞く価値は無い」


目も合わせぬ辟易を茶化すイミトの言動を受けても尚、彼女は瞼を閉じて彼の言葉を切り捨てるのみに留める。



いつも通りに成りつつある、いつも通りの些細ささいいさかい。



「俺は可能性があるって言っただけで、昨日来るとは言ってないだろ。短気だな」


「はは……イミト殿の言葉は説得力がありますから、私も実は警戒して眠りを浅くしていましたし、まだ眠っているセティス殿も同様だったのでしょう」


昨夜の嵐から一転して穏やかに尽きる朝の一幕に、イミトは杞憂に首の骨を鳴らし、カトレアは仲裁に入って和をたっとぶが如く会話を重ねた。静かにそこに存在する未だ夜が閉じ込められているような暗がりの洞窟の奧に視線を送り、イミトより寝坊助ねぼすけな旅の仲間の様子を気に掛けて。



「まぁ普通に俺だったら嵐の夜に洞窟の入り口を吹っ飛ばして生き埋めにするくらいの奇襲は試すんだけどな……思っているより情報も暇も無いのかね、向こうさんらは」


「……イミト殿を越える非道な思考を持った敵も中々居ないとは思いますが。デュエラ殿は警戒と食料の探索に周囲を散策してくるとの事です」



そしてカトレアは、欠伸あくびを漏らしながら頭を掻いているイミトが知らぬだろうもう一人の仲間の行方について言葉を述べ、睨みを利かせ始めたクレアの手前、降ろしていた剣の柄を握り直す。



するとイミトは、洞窟の外にある森の木々の一柱から飛び立つ鳥に目を運び、凝り固まっている体を軽く柔軟させながらカトレアの言葉を興味なさげに気に留めた。



「——俺がだったら世界平和も今頃は骨董品こっとうひんでバーゲンセールの中だって話だ。んじゃあ、デュエラが帰って来る前に朝飯の支度でも始めるか。昨日の残りを使った奴と軽くサラダとスープで良いだろ?」



そして、彼は剣の素振りを再開したカトレアを尻目にきびすを返し洞窟の奧に気怠けだるそうに首を傾げて別れの挨拶代わりに片手をゆるく挙げる。



「貴殿と同郷のユカリならかく、私に貴殿の料理に注文を付けられる器量は無いですよ」


「リクエストは聞くぞ。肉か野菜か、多めか少なめか、重くか軽くか、濃いや薄いも何のそのってな」



再びと、洞窟の中の作業場に戻るべく歩みを始めるイミト。


「ふふ、迷わせてくれますね……ではクレア殿に朝の鍛錬を見てもらっておりますので私の分は少し多めにして頂けると嬉しいです」


 「ふん……飯を喰らう体力が残っておればよいがな」



「……にしても随分と珍しい組み合わせだな。今日こそ本当に天変地異が起きそうな確信が持てたな、こりゃ」



その最中、彼の背で飛び交う会話に足を止められて——言わぬべきか迷っていた事柄について淡を装いつつも彼は述べた。嵐が過ぎ去ったはずの平穏な朝の雰囲気に似合わぬ——後に現実となる不穏を口にするに至って。



「貴様のせいで退屈が極まった故の気まぐれよ。くだらぬ事ばかり申さず、さっさと飯を作りに去れ……このたわけが」


それでもこの時、この場では単なる皮肉と嫌味と世迷言と、信頼薄く流すクレアに再駆動したイミトの足を止める意思はなく——



「運動後はタンパク質か……パンは昨日の夜に余分に焼いたのがあるから、取り敢えずサラダチキンとスープは牛乳無しのコーンポタージュでも試してみるかな……ふあ、眠い。セティス用に、コーヒーも淹れとくか」



「——分かっておるとは思うが、あまり長居は無用ぞイミトよ。



ただく——、欠伸あくびを漏らす怠惰な事情に付き合う義理は無いと鋭い横目で釘を刺すばかり。



「ああ、飯を食ったら出発だ。きっと寝心地の良い馬車の中で昼寝でもするさ」



 「それから我はコーヒーより紅茶にせよ。そのような気分ぞ」


「——ははっ、そりゃ何とも贅沢な事だ……了解、仰せのままに喜んで前向きに善処しとくよ」



針が無くとも進む時間、やがて果たされる事が約束されている分針と秒針の邂逅かいこうは、もう間近。


——。

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