第56話 たとえ雨が止めども。2/4


 一方、時が動きを再開したが如く——挨拶がてらの雨粒が金細工でふちを装飾された窓を叩き、嵐の到来を告げる別の場所に場面を移す。絢爛豪華けんらんごうかは、まばゆいばかりの潤沢じゅんたくな魔光石の光に照らされて、白の世界に似て非なるきらびやかさを人々の眼に映すのだろう。



「……やはり……私の分身……体は……完全に消滅したようだ……」


されど机上に置かれた鑑賞魚かんしょうぎょの泳ぐ水槽すいそうから放たれた穏やかな客室におどろおどろしい不気味な声は、かすよどんだ色合いで世界を揺らがせる。



 沸々ふつふつと水槽の水底みなそこから湧きだす小粒の泡を観賞魚は避けて泳げど——ようやくは自身が泳ぐ水槽が事を知る慌てぶり。


「ふむ——拘束を維持できないが起きたと見るべきだな……それが外部の要因か、内部の要因かの問題だ」



「しかし、これで奴等のが分からなくなったという事ですか……」


そして外の嵐を気にも留めずに静寂に澄ます客室には、二つの人の形をした【】の影があった。或いは、と——今はそう語ろう。



「状況によっては連中に報復をする機会となり得るが……こちらも疲弊が激しい。アーティーよ、完全修復までどのくらいの時間を要しそうか」



椅子に深く座っていた初老の男——レザリクス・バーティガルは背もたれから荘厳そうごん儀礼服ぎれいふくまとう背を取り返し、目の前の机の上で腕を組む。


最中さなかに続々と絡み合う両指が、それぞれに意志を持ち思考議論を深めていっているような様相で。



「……戦闘が……出来るまでの増殖……は……相当の時間が必要。擬態の方は……残り一人か二人程度なら可能だ……」


そのレザリクスの言葉に、途切れ途切れに声を放つ透明の存在——アーティー・ブランドが水槽の中で共に住む観賞魚に泡を噴かせ、無自覚の嗜虐しぎゃくを意にも介さずにレザリクスの問いに対する答えを並べて。



水槽は僅かの時、赤くにごり、しかして直ぐに水槽へと擬態する。



「そうか……そのまま、回復と現状の維持に努めてくれ。バルドッサ、君はどうかね」


「はっ。レザリクス様の御命令とあれば私は何時でも」


だが何の余韻も無く進む会話、椅子に座るレザリクスが次に目を向けたのは彼の前で佇む敬虔けいけんな宗教家のような服装の見るからに屈強そうな男で。


バルドッサと呼ばれた彼は、レザリクスの机の上にある水槽とは違い明確な主従をレザリクスに捧げているようである。



「無理を押していく必要は無い……奴等の行方は、私の目的に支障はあれど——我らの次の計画に直接的に邪魔な訳でも無いからな。人員をくは不合理かもしれない」



それでも穏やかに彼の忠誠を棚に置くように軽く手を掲げ、レザリクスは思考する。



「いや……は優先して処理をすべき……だ。大まかな居場所が……分かっている内に監視や刺客を送り込むべき……」


否、その場に居た誰もが思考していた。

かつて彼らの一つの計画を灰燼かいじんした男の今後の処遇と対応を。



「——そうたかぶるな、アーティー。君の擬態まで維持できなくなれば計画は全て瓦解がかいしかねん。それに先の反省をもう忘れたか……生半可な戦力や計略、見込みでくずせる相手ではない」


「——……」


首から下を失ったとはいえ、膨大な魔力を持つ伝説の魔物でも無く、

目を合わせただけで耐性の無い他人を石に変える呪いを持つ魔族でも無く、

鋭い魔力感知で全てを察知し多種多様な性質を持つ魔法武器を用いる魔女でもなく、



無論——ツアレスト王国の姫君の護衛騎士を務める程の実力の騎士でも無い。



何処からともなく現れた——出自の全く掴めぬ

思い出すだけで沸騰ふっとうする程に他者をあざけわらう男について、彼らは考えていたのである。


「だが、確かにアーティーの分身体が消滅した以上……偵察を送り、調査討伐に賭ける価値はあろうな」



今後、己らが世にもたらす災禍を練る際に常に浮かび上がるであろう懸念に彼らは杞憂する。


しかし彼ら——特には、その男だけでは無論ない。



「——レザリクス様、アーティー。恐れながら、あのという女の件ですが」


その疑義は以前のいさかいで、クレア・デュラニウスを討つべくルーゼンビフォア・アルマーレンという存在と直接と共闘したバルドッサから放たれる。



「正直に申しますと私は、と手を組み続けるという事に疑義を持っております」


イミト・デュラニウス——ひいてはクレア・デュラニウスという共通の敵を打破すべく手を組んだ二つの勢力。その本来は共に戦うはずでは無かった戦場でバルドッサのみが見たが、レザリクスたちに真剣な声色として伝聞でんぶんされていく。



「ふむ……おおむねは察しよう。しかし、利害が一致している以上、使える駒ではある——それに、こちらの弱みも多少なりとも握られてもいる。そちらも早計に断じて良い問題では無いな」


考えども考えども解消される所か増えてゆく悩みの種に、眉根に親指を押し当て顔をしかめるレザリクス。彼の脳裏に描かれる今後の展望が幾つの景色か知る者は無く、その場に居る他の二人は彼の決断を待ち、静かに尚も窓を叩く雨音に耳を寄せていて。


されど、その時——彼らは気付いた。



『その通り……それに私は、アナタ方が欲している物を提供できますよ』


「「「……」」」



来訪。絢爛豪華な客室の隅の空間が波打つが如く歪み、唐突に現れる女の声の揺らぎと眼鏡硝子めがねがらすの煌きと銀髪の麗人のヒールの足音に、彼らは気付き、それまで如何いかんなく話していた言葉を殺したのである。



「勿論、対価として幾つかの物と働きを期待させて頂きますけれどね」


噂を聞きつけたが如く現れたるルーゼンビフォアは、酷く挑発的に眼鏡のふちを片手の指で整えて微笑ましく脅しをかける。かしげた小首にサラリと前髪が降りて——彼女の思惑を、もしくは今後の陰謀にとばり暗幕あんまくが降りていくようでもあって。



「ふふ……貴殿はいささか勝手が過ぎるな。今後の信頼の為に、あまり図に乗らない事を忠告させてもらおう」


様々な立場、それぞれの思惑、野心、野望、計略、謀略。

乱雲がおおい隠す星々の自転が、それら一切を巻き込んで世界の中心での出来事であるが如く、いずれ紡がれる未来を織り成していく。


——命を運ぶ魂らの声のままに。

或いはそれら全ても——神の御業か。



敢えて言葉を一つ、残すなら——やがて運命は必ず一つの終着へと至るのだろう。

それが、誰の何かを、語ろうとする者は未だ居ない。



「して、今回の用向きは何かな……ルーゼンビフォア殿。もうじき私は礼拝に向かわねばばならない。話なら早急に頼みたいのだが」



少なくともルーゼンビフォアの登場に微動だにすることなく、敬虔けいけんな神の信徒の如き友愛の微笑みを浮かべる老獪ろうかいな男は、偽りの誠実と信仰心を彼女へと魅せつけ、何にすがるでもなく腰を落としていた椅子から自らの意志と力で立ち上がるのであった。


——。

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