第56話 たとえ雨が止めども。1/4


——その場所の時は、嵐とは程遠い動かざる静寂。


白い光が輝く程にみがかれた床に黒いきぬの布地がこすれる音すらも鮮明に響き、そのに来客を告げて。


白の壁区切りすら見え難い広い部屋の中央にて、素朴な木製の椅子に座っていた貴婦人は椅子の肘掛けから頬を離し、もう片方の手に持ってた黄金色の液体と白いあわが浮かぶ透明なグラスを近くに存在する脚の長い小さなテーブルへと置いた。



「あら。アナタが一番乗り? アナタの世界の事務処理は良いのかしら? 色々と溜まっているんじゃないの?」


そして傍らに控えている執事姿の女性が貴婦人の為に差している傘がわずかに揺れ、来客に向けて部屋の主人だろう貴婦人はいくつもの疑問を振り返る事無く投げかける。



「うふふ……私の世界が、どんな世界か知っているみたいな口振りね、ミリス」


すると答えではない言葉を返す来客は、漆黒の妖艶ようえんいろどりを魅せるトンガリ帽を外し、美しい長い黒髪と泣き黒子ぼくろを世にさらして、妖しげ笑みをミリスと呼ばれた貴婦人の金色に波打つきらめきの髪へと押し返す。



来客の風体は金銀宝石と装飾のおびただしい黒のローブ。トンガリ帽と合わせて連想するのは御伽話おとぎばなしに現れそうな魔女であろうか。



「知らなくてもアナタの世界は有名ですもの、ラムレット。噂なら幾つも飽きる程に聞いているわ」


その者の名を、ミリスはラムレットと言った。

ルーゼンビフォアの失墜しっついで一つだけ空席となった神の座を巡る戦いにおいて、名が浮かんだ神の名前。そして部屋の中央で何を見つめ続ける貴婦人のようなドレスを纏うミリスこそが、神の座を巡る戦いが起こる世界の管理者にして、戦いを見届ける神の一人である。



「——私の天使たちは優秀なのよ。神の不在で慌てふためく人形では無いの」


「ふふ、男遊びで見学には来ない者だと思っていたわ。それとも、今の玩具おもちゃはアナタに男遊びを止めさせるぐらいに良い男なのかしら」


そんな彼女らの邂逅かいこうは、穏やかとは言えぬ神妙。されどミリスが指を鳴らし、突如として白い光を放って現れる椅子は語るでもなくラムレットの為の席。


血生臭ちなまぐさい争いの始まる気配は皆目かいもくとなく、ラムレットと呼ばれた魔女姿の神は何を躊躇ためらうことも無く神ミリスと横並びになるように歩み、用意された椅子へと座る。



「それはコチラの台詞ね、ミリス。普段は神のイザコザに干渉しないアナタが、自分の世界をルーゼンの後釜あとがま争いに使わせてくれるなんて、どういう風の吹き回しなのか聞きたいのだけれど」


その最中さなかにも会話は続き、長旅の観光旅行でもし終えてきたが如く徒労とろうの息を吐き、思い出話でもつむぎ合おうかと言った風体でミリスに尋ねるラムレット。


瞬間——、今一度とならされるミリスの指二本。


すると次は、彼女の椅子の前にあるのと同じ脚の長い小さなテーブル。



「……神は気まぐれなものなのよ。それにルーゼンとは……それなりに長い付き合いだもの」


やがてミリスは仕事を終えた様子で、再び椅子の背もたれに背を任せてラムレットの問いに感慨深く言葉を返すと、傍らの執事服の女性に気を遣われて差し出された飲み物の入ったグラスを受け取って。



「飲み物はにごり酒で良い? 残念ながら精液の用意はしていないの」


そして何かを思い出した様子で彼女に訊いた。その表情は、ほくそ笑み——まるでラムレットをあざけるように軽く首を後方にって見下げる構え。



「あら、それは気が利かないわね。アナタが飲んでいるソレ、とても小便に似ているのに思いつかなかったのかしら」


対してそんなミリスの嫌味に対し、ラムレットは何も気にしてない顔色で意趣返しにニコリと笑う。魔女のローブからスルリと顔を出したつややかな足を組み、豊満な胸を殊更に強調しようかとう腕組みをミリスに魅せつけて。



「ふふ……麦酒ビールがソレに見えているなら、そろそろ眼球を変えた方が良いのでは無くて? それとも、そういう趣味の賜物たまもの?」



「うふふ……どうかしら。アナタは肝臓を変えるべきね。アナタと恋仲になるくらい、とても哀れで仕方ないわ」


人如きでは得難えがたい神聖さすら感じるほこりの一つもない白の世界に、金と黒は相反するが如く際立ち——されど白と同様に静寂を極めている。そんな神々を尻目に、サラリと動き出す執事服の女性に何のおそれも無いように見える事もまた、神々の救いなのだろう。



「——それでアナタの天使は……もう送り込んだの、ラムレット?」


「白々しい事……まだもう少し先ね。でもかぎは渡しておいたから、そのうち着くと思うわよ」



けがれてしまった口直しに白い泡の浮かぶ黄金色の飲料を口に運ぶミリス。一方のラムレットは彼女の問いに呆れた様子の鼻息を漏らし、時を待つ頬杖を肘掛けに肘を掛けて突く。



「到着地点は嵐よ。傘ではなく洒落しゃれ雨合羽あまがっぱでも差し入れしてあげたら?」


「……必要ないわ、私の天使は雨が似合うの。アナタのその何でも見通して余裕ぶっている顔が驚きで歪むのが楽しみね」



だが度重なるセティスの嫌味とも意味深げとも取れる口調に辟易と、その表情は安息とは遠い不機嫌に染まっていくのである。



「ふふっ、とても素敵な自信だけれど、では無いのよ……お見通しで余裕なの。かわいい絵本よりも読みやすいもの、アナタって」


「でも私は、とても寛大で慈悲深い神だから——多少の事は目をつむってあげてるのよラムレット。ほんの些細なもしてね」


「……」


そして——その表情は更に変化を及ぼされる。

かたむけられたミリスのグラスの中の液体は、上下を表すように斜めグラスに平面を映して。



妖艶な女神は、穏やかな神の笑みに何を想うか。



「さぁ……濁り酒の用意が出来たわ。お飲みなさいな、いつもみたいに狂い舐めてむさぼりなさい」


「安心して良いわよ。その酒にも、この戦い自体にも……私は何の手も出してないのだから」



やがて素知らぬ顔の執事服を着た女性が白濁の液体で満たされた器を捧げた頃合い、何一つ不純の無い白の世界にて、



「では見守りましょうか。神らしく、子らの健やかな日々の営みを」


 「……ええ。生も死も抱いてあげましょう……そして新たな神々の門出を祝って」



彼女らは互いの表面に偽りの笑みを貼り付け、



「「乾杯」」


互いのさかずきを掲げて陰謀深き神々の饗宴きょうえんを先んじて始めるのであった。



——。

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