第53話 誰が為に燃ゆる。4/4


バーベキューソース諸々もろもろに思い悩むイミトの視線が流れ着く黒い盆の上には、存在感を生々しく光らせる白い脂を纏う赤い塊があった。その肉から染み出してくる薄赤い透明な肉汁が盆の表面を満たしている事に気付いたイミトは、盆を肉ごと持ち上げ、肉汁を黒いバケツへと捨て始めて。


「——その肉、放置して居て良いの? まだ向こうで冷やしておいた方が良いんじゃ」


「ん。冷凍じゃなく冷蔵してたのはユカリに感謝だが、肉ってのは焼く前に常温に戻しといた方が良いんだ。火が均等に通りやすくなるし、程度や環境によるけど敢えて酸化させれば色味が良くなったりするからな」


「因みに、この汁にも旨味は含まれてるから勿体ないと思いがちだけど、臭みの元になる成分が多かったりするから、薄いタオルなんかで水分を取っていくのも意外と大事だな」


「勿論、長時間の放置は絶対ダメだぞ」


「——へぇ」


その肉の後を追う視線に、懇切丁寧に説明を続けながら作業を進め、肉の質感と鮮度を目で確かめ、両手を布巾で拭きつつ別の作業へと移るイミト。


最中、説明を聞き終えて棒立ちになったセティスの存在を唐突に今の今に思い出したかの如く気付き、


「ああ、セティス。ひまなら石でかこったそこの土台の中に積んである火の魔石にを頼む、それから洞窟の入り口のかまの中のまきも燃やし始めといてくれ」


右手に取った包丁の動きを止めながら、左手でセティス達が集めていたのだろう水にひたされている器から野菜の入ったざるを取り出し、まな板の上に大根のような根菜を一つ置く。



「了解。ずっと気になってたけど、入り口の窯の方では何を作るの?」


ぞんざいな扱いに不満を募らせる一方、見事とも言える流れ作業の邪魔をしたくないという敬意にも似た複雑な感情。イミトの指示に素直に従いつつ、作業に対する理解を深めようとするセティスである。



すると、またも彼は彼女に理解出来ない言葉を平然と述べ捨てるイミト。


「うーん、ピザだな。まぁ、丸く薄い生地きじに色んな具材を乗せたパンみたいなもんだ」


「……難解」


「そりゃそうだよな……バーベキューにピザと。カロリー厨が発狂しそうなメニューだけど、まぁピザの方はトマトソースとチーズがあるから普通に上手いとは思うぞ」



ザクリと首を斬り落とすが如く、根菜の葉の元に漆黒の包丁をすべり降ろし、掌に納める程度に切り分けて皮剥きを行いつつ駆動する思考回路。片手間で心のこもらぬ声が、普段よりも殊更に話題より思考が数里を先んじているよう。


「……とにかく、楽しみにしてる」


故に、早々に会話を諦めたセティスは、自身に与えられた仕事をこなすべくイミトからきびすを返して歩みを始めた。向かう先には岩の板が積み重なっている土台、そこには赤い水晶のような半透明の石が数個ほど納められていて。



「おう。俺は後、ピザの生地を作って、肉を切って……っと」


そしてイミトは、次の野菜の皮剥きにいそしみつつ背後で作業を開始したセティスを尻目に己の作業の工程を整理する様相である。



「——せわしない事よ。我は何も手伝わんからな」


「はっ、姫様はそこで俺の格好いい所でも見といてくれよ」


「くだらぬ。戦場で剣を握ってから、そのような台詞を吐き直せ、たわけが」


そこに横槍を入れるクレア。僅かに慌ただしくなった作業場の空気に、冷や水を浴びせるが如く言いがかるものの、どうやら彼女も退屈を持て余しているようであった。



「料理人にしたら包丁と火と食材がありゃ、そこが戦場だよ」


戯言ざれごとばかりよ……口が減らぬ」


「はは、口は減らねぇさ。声と違って消耗品じゃねぇからな」



に笑みながら、まな板の上で食材を切り分けていくイミトの軽口に苛々としつつも、自身の頭部を乗せている台座の上で居心地悪そうに彼女の髪がソワリと波を打つ。


その時だった——。


「あっ、口が減らねぇで思い出した、セティス。ミュールズの買い物の時に頼んでた奴、魔道具から出せるか?」



ふとクレアの言動で、五日前の寝る前の記憶を呼び起こされたイミトは、作業の手を止めて振り返る。それは彼が眠る以前、別行動をしていたクレアが知る由もない城塞都市ミュールズでの語られて居なかった一幕についての話題である。


そして——



「……ああ。? 思い出しても割高だった。私のお金じゃないから別に良いけど」


「なんぞ、文字の勉強でもするのか」


土台の空洞の中で息を潜めていた赤い水晶石に触れて魔力を注ぎ込み、赤い光を灯らせ終えたセティスもイミトの言動に触発されて忘れていた記憶を呼び起こし、クレアが怪訝に何の話かを問う間に、彼女は無意識に腕輪の形をした右手の魔道具へ左手が動く。


ザワリと洞窟の外から流れ込む風、熱を帯び始めた火の魔石は明滅めいめつを始め、僅かに炎を噴き出した。


「いや、石に熱を溜めるのに時間が掛かるからな……俺もそろそろ魔法の勉強でもしようかとセティスに良い感じの魔法の参考書を見繕ってもらったんだよ」


「——……ほう」


その理屈を知らぬ小僧の向上心に、あごを撫でるような声を漏らすクレアだけが魔石に炎が灯った事に気付き、チラリと視線をそこへと向けた。



「俺が色々と出来るようになれば、お手をわずらわす事も無くなるからな。折角だし、感覚だけじゃなくて理屈から勉強しようかと思ってよ」


「……幾つか見繕みつくろってみたけど、時間も無かったし中身も確認してないから参考になるかどうかは怪しい」


そんなクレアを他所に進む会話、セティスが腕輪の形をした魔道具から空間を捻じ曲げて開く向こう側から数冊の本を取り出す光景を圧巻の様相で眺めるイミト。しかしその時、クレアの視線もまた——セティスが取り出そうとする本へと動いている事に気付けた者は居なかったのである。



故に——、


「いいさ。暇潰しになるしな、この国の言葉の復習にもなる」


「……分からない部分は知識として私が補填しても良い。はい、こ『焦がれよ、【業炎バスティーバ‼】』」



イミトが手を伸ばし、セティスが差し出そうとした数冊の本が一瞬にして噴き出したクレアの魔法により弾き飛ばされ、炎が燻り始めている土台の中の魔石の頭上に重なり落ちる事に対応する事が出来た者も居なかったのである。



「「——……」」


想定していた段階を飛び越え、一挙に轟々と燃え始めた土台の中の炎。もはや一目しただけで消化は不可能と思える程の火力と、唐突な出来事に言葉を失うセティスとイミト。



「え。お前何してんの」


「——ふん。気を利かせて薪木まきぎに火をくべてやったのよ、感謝するが良い」


しかし、その実行犯のクレアは、ようやくと絞り出したイミトの唖然としたままの言葉を切って捨てるが如く瞼を閉じての大胆な



「貴様に魔法など使わせてなるものか。魔力の無駄よ」


「ええ……別の世界で生まれ変わるより意味の分かんない事が目の前で起きたんですけど」


「しかも薪を燃やすのはピザ窯の方なんだが」



轟々と、業々と。


その炎、クレアの唐突な行為はが為であろうか。真偽を知るは、クレア・デュラニウスのみである。

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