第49話 無自覚の犠牲。3/3


「はっ、英雄なんてガラでも無いさ……じゃあ行くぞ、セティス」


 そんなマリルデュアンジェの輝かしい言葉に対し、イミトは捨て台詞を吐くように強がって、セティスに声を掛け、窓に向かって歩き出す。それを聞くやセティスは、自身の腕輪の形をした魔道具を飛行できるほうきに変化させて。


「——了解。箒で軟着陸してから、イミトは城門まで走ってね」


「さっき、『まだ動かない方がいい』って言ってた口で……


そしてイミトより先んじてちゅうに横たわるほうきつかの前方にまたがるセティス。もう一人が何とかまたがれる隙間を作り上げられて。


するとそんな彼女へ、渋々と箒の柄に尻を乗せたイミトが軽口混じりの嫌味を一つ。



いよいよと、風雲急な別れの時が近づいて。



「どうか御無事で。それから——」


 「——王国騎士団長とお兄様に宜しくな。近い内に、会える日も来るって言っといてくれ。お話は、その時にって伝えといてくれ」


イミトらの旅の無事を祈るマリルティアンジュは、自身の半人半魔になってしまった臣下カトレアの事をイミトに頼もうとした。しかし、マリルデュアンジェの背後の扉から見える鎧の肩を気に掛け、イミトは姫の言葉をさえぎる。


——無論、そのさえぎる為に用いた言葉にも意味はあったに違いなく。


「……分かりました。お伝えしておきます」


 「イミト」


「そんな焦んなよ。多分もう急いでも、外堀は埋められてる頃だろ」



 「じゃあな、姫様。次に会う時には、約束通りに二人で美味い魚料理を食わせてやるから覚悟してマズい飯でも食って生きとけよ」



 そして、やがて来るのだろう再会の時を予感させる言動——浮かべた悪戯いたずらっ子の如き悪辣な笑みには悪辣であっても必ず約束を果たすという頼もしさもにじみ出ていたのかもしれない。


「——……はい。約束です、必ず——また皆で食事を」


ゆえにマリルデュアンジェは、彼が言い放った「二人」が誰なのかを噛みしめるように微笑み返す。



——地下水道の闇の中で歴史に刻まれることも無く平和の柱となった魔人は、こうして新たな旅路へとおもむく。誰に望まれ事もなく、何を望むことも無く、天高くそびえる城から落ちていく彼らを祝福する者は居ない。



ただ、荒々しい風を突き抜けるひと時を寂しげに見つめた姫だけが、彼らの事を知っている。決して語られる事の無い平和への一節。



——と、男は言った。


見送る姫の眼差しに広がる景色のが、或いはが夜を超えて世界をいろどり、かがやかしくきらめいて。


光もある、陰もまたある。


 太陽がそこにあり続ければ全ては枯れ果てると預言した男の言葉を思い出し、未来へのと、現在いまそこにある喜びの混ざり合う感情の中で、マリルデュアンジェは十本の指を絡み合わせて強く優しく包むように握り——祈る。


この安寧あんねい出来得できうる限り、続けばいいと。


そして、この日までに——この日の為に失われた命を想い、彼女は冥福めいふくも捧げて。


誰に祈るか、或いは誓いか。


それとも——男の忠告を、忘れぬ為のいましめか、弱き己を律する呪いか。



または、それらに類する全てであろう。



「——姫様。不躾ぶしつけながら、お止めにならなくて本当に宜しかったのですか?」


僅かばかりの時がわらい去り、イミトの居なくなった室内に若き騎士サムウェルは寂しげに尋ねた。するとマリルデュアンジェは、スッと祈りに閉じていた目を開く。



「ええ。あの方には、あの方の目的があるのです——私を助け、ここまで導いて頂きましたが、これ以上あの方の旅の邪魔をするのは恩をあだで返すに同じ」


 「それよりも、ありがとうサムウェル。私の我儘わがままを聞いて頂いて」


そこから振り返った彼女に憂いは無く、迷いも晴れた様子で背後に居た騎士に祝福の微笑みを贈る。彼もまた、イミトが語ったように平和を築いた英雄の一人なのだと。



「——いえ。どうせ私一人では彼を止められなかったでしょうから。それに、イミト殿が地下の崩落を防いだおかげで、街の者たちに被害も出ませんでした。もしかすれば私の知人や家族に被害が出ていたかもしれない」


しかし城塞都市ミュールズの若き騎士団員は、礼などもらう資格は無いと首を小さく振り、民衆が決して知ることは無い歴史——彼の功績を語り始める。



「見ず知らずの誰かを守る為に、命の危険もかえりみず膨大な魔力を使ったイミト殿を、これ以上、疑う事など私には出来ません」


有事に際し、何も出来なかった己の未熟さを悔やみ、握り締めた拳。そしてそのサムウェルの拳は、己の剣はきと腰のかたわらに差している剣の柄に軽く触れて。


生まれでる新たな騎士のこころざし



そんな折——、

「——もしや、もう彼は行ってしまったのか」



遅ればせて部屋に静かな足音で押し入る男が一人。


「クジャリアース様……」


敵に囚われ、イミトらに救出された隣国アルバランの王子クジャリアース。


 マリルデュアンジェと同様に式典を終えたばかりのような礼服の格好で襟元えりもとゆるめながら室内を見渡し、イミトが飛び出してしまったのだろう事を開かれた窓と残された二人の人物の表情で知る。



「まだ彼らに礼も謝罪もしていないというのに……」


漏らしたイミトの旅立ちを惜しむ声。僅かに落ちる肩ではあれど、それでも諦めきれずにクジャリアースは去りゆく背だけでも見えないものかと窓へと歩みを進めて。



すると、

「……恐らく、素直には礼を受け取って頂けないと思われますよ。クジャリアース王子」


その気持ちは分かるとマリルデュアンジェは微笑んだ。



「彼とは、もう少し話をしてみたかった……残念でならんな」


羽ばたく水鳥のにごらなかった水面の如き静寂に、同じ想いを抱く二人。騎士サムウェルは二人の雰囲気をおもんばかり、一礼を捧げつつ部屋の外へと戻っていって。



「私が知る限りの事であれば、お話しできるかも知れませんが……」


「……うむ。だが、しかし——私は昔から少々、独占欲が強いと言われていてだな」


「?」



「あまりその……姫の口から他の男の英雄譚えいゆうたんを聞くのは……」


そうして始まったツアレストの姫とアルバラン王子の初々しいつたない会話。



「——……くすっ。そのようなお気持ちを向けられる事を嬉しく思いますが、クジャリアース王子は、今回の婚儀を今日初めてお会いした私と結ぶ事に不満はないのですか?」


「初めてでは無い‼ 私は昔、から姫の事を——」


「え?」

「え、あ……いや、すまぬ。今の話は忘れてくれ……」



因果は巡り、積み重なり、ごうを産む。

魔人が砕いた業深ごうふかき未来は変わり果て、死していたかもしれない——つながらなかったかもしれない物語は始まっていく。



「いや……後で話そう。今、姫を目の前にしては醜態を晒しかねん」


 「イミトの提案の通り——ふみを交わし、互いを知る事から始めて行くとする」


「……はい。楽しみにしております。心より」



和平の調しらべが固くつむがれていくような両国王族の会話は、あまりにも微笑ましく。


意図してか、せずか——これこそが、今回の戦いでイミト・デュラニウスが確かに守り抜いたものであるのだろう。



***



一方その頃、当のイミト・デュラニウスが、その時に何をしているかと言えば——、



「ああ、畜生ちくしょう‼ 屋台のかおりと道具屋のきらめききが心を誘うぜ、クソッタレ‼」


 「……観光なら手早くやって。捕まったら牢屋飯ろうやめし


「それはそれで興味もあるけどな‼ 城門前で落ち合うぞ、そこから城壁を登って脱出だ」


城塞都市ミュールズの街並みを屋根伝いに駆け、炭焼きの焦げたようなこうばしいような薫りに誘われながら、傍らで悠々ゆうゆうと飛行する箒からの声に八当たり気味に声を荒げている。



「——魔石の数は残り少ない、大丈夫?」


「無理って言ったら優しくしてくれんのかね、解散‼」


イミトとセティスを追い掛ける数名の騎士。貴族街を越えて見えてきた城下町の建物は多く、屋根伝いとは言えど高低差に入り組み始めた街並み。


 それを踏まえてイミトは、心配などして居なさそうな声で心配する言葉を漏らすガスマスクをかぶる魔女に、別行動の指示をして。



それに有無を言わずに予定調和の如く箒が飛ぶ方向を転換させ、魔女セティスは人々のいとなみにあわただしい街路の上を飛び去り始めた。



その彼女を——三人の騎士が彼女を追った。

味方の分断は、敵の分断。



イミトの背を追い、残ったのは騎士二人。



「そこの貴様、止まれ‼ 止まらぬとコチラも手荒な手段を取らねばならん‼」


恐らくセティスの方に騎士たちが数を多く割ったのは、セティスが飛行能力に優れている事もあるが、間近に迫るイミトが走っている方向の先にも理由にあったのだろう。



——地の利は無論、このミュールズの騎士団にある。


この先にあるのは——大きな橋が架かる河岸。



しかしそれは、見れば分かる事でもあった。


「殺すなとの命令だ、間違えるなよ‼」

「——そうだそうだ、間違えるなよ——ったら」


故に妙案に施行が迫る河岸に近付き、そして背後に迫る騎士が剣の鍔を鳴らした瞬間——イミトの両手に黒い渦が灯って。



 そして彼は、背後へと素早く振り返って動きが止まるリスクを犯してでも——細長い槍を屋根へと深々く盛大に突き刺すのである。




「「なに——⁉」」


すると揺らぐ黒いモヤを纏う槍は、騎士たちの目の前で凄まじい勢いを以って瞬時に伸び——イミトを斜め上に真っすぐ宙へとさらって。



その思わぬ光景に驚愕し、思わず足を止めてしまう騎士二人。



しかし、河岸を超えて河の中央へと差し掛かった——その時だった。



黒い槍は何かに耐えきれなかった様子で突如としてイミトを宙に残したまま、黒い薄霧うすぎりとなって消える。



「ちっ——槍の一本もマトモに保てないな、こりゃ【龍歩メデュラッサ】」


使い過ぎた魔力、ここまでの疲労——彼の特技であるを存分に披露ひろうする事は出来ない。



舌打ちを打ち鳴らすその口で河に落ちてしまいそうになったイミトは咄嗟に空中で透明な薄い足場を次々に作り、何とか落ちないよう不格好に河向こうまで駆けていく。



「逃がすな、追えー‼」



そうしている内に二人だった騎士も増援を受けて再び数名に増え、河向こうにも騎士の影が集まりつつあった。



——絶対的窮地ぜったいてききゅうち


だが、危なっかしく河の向こう岸に辿り着いたイミトが、それを感じた刹那せつなの事——肌を突くような静電気が走ったが如く気配。



もはや嫌な予感と言ってもいい、ほんの僅かな戦慄。



そして——稲光いなびかりと共に打ち鳴らされる雷鳴らいめいが、イミトの眼前に



「——なっ⁉」

「……」


驚きの光景に集まってきたミュールズの騎士たちが足を止める中で、イミトは不調に加えて、ここまで全力で走ってきた疲労から河に落ちたのかと思う程の汗を流す。



或いはそれは全て——を予想していたがゆえの、冷や汗だったのかもしれない。


「……あー、クソッタレ。敵に回ってたら最悪のパターンだな」



「——イミト。少し、手合わせを願おうか」



「うわぁ……最悪のパターンだよ」


やがて確実に来たる死別の未来——それを知らぬ未だ無自覚な犠牲者アディ・クライドは塩分を欲するイミトへ塩を送るが如く、雷閃に輝くつるぎの笑みを魅せつける。

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