第44話 怒れる兎と泣く女。3/4


「ああああああああああああああああああ——‼」


「——水⁉ いけない‼」


 頂点にたっした怒りや苛立ちに雄叫おたけびを上げると共に、膨大ぼうだいな魔力の気配をあふれさせるイミナ。その魔力は美しいエメラルドグリーンのような色合いで、湧き上がる泉の水の如く溢れ、或いは荒ぶる津波のが如く押し寄せて。



「……一緒に死んでもくれなかった。死んでくれるって約束したのに‼」



「なんで、なんで私は生まれ変わっても全部を奪われて滅茶苦茶にされてるのに——なんで、なんでなんでなんでなんでお兄ちゃんだけ、いつもいつも普通に恵まれて、人に恵まれて、幸せになろうとしてるの‼」



 は狂ったように泣きわめき吠え続けるイミナの感情に呼応こおうし、距離を取ったカトレアを飲み込もうと林の木々や地面など目に入らぬようにえぐりながら暴走し、襲い掛かってくる。



「これが——……バンシーの水の力……ん、ユカリ?」


 「——……」


 カトレアは、バンシーの魔力と呼ぶべき水流を無論、回避しようとした。


 しかし動かない体、原因は明白。


 共に同じ体に宿るたましいが、それを望まないからである。



「おい、どうしたユカリ‼ 体を動かさせろ‼」


 見る見ると押し寄せてくる魔力の水流に危機感をつのらせ、呆然と黙ったままのようなたましいに叫ぶカトレア。



「全部、壊れて死んでしまえぇぇぇぇぇ‼」


 その瞬間——、怒りの濁流だくりゅうに手応えを感じたイミナもまた、声の全てをのどからしぼり出し尽くし叫んだ。



 しかし、

「……わかりみが深い、ピョン」


 「「——⁉」」


 フゥと吐かれた息が一瞬にして水流の魔力の表面を凍らせ、押し寄せてきていた水流を受け流すとなる。


 ——氷結大兎ひょうけつたいう——ハイリ・クプ・ラピニカ。

 それが彼女が呼ばれていた魔物の名。



 夏に近い春の日差しの只中ただなかに、降り注ぐしもゆきの結晶。吐く息は白く——時をるごとに足下の地面から薄青い冷気を広げ、凍えさせていく。



「私と同じで、よほど前世にひどい罪を犯したピョンね」


 やがて水流から身を守った壁が砕け、剣を握る女騎士は赤い瞳に寂しげな色合いをにじませて。



 そのひと時の静寂は、永遠に続くのではないかと思える程に静かであった。



 「そんな氷なんかで‼」


 だが、戦いは続く。第一波の波を防がれ、になったイミナの叫びが再開の合図。またしても止めどなく水の魔力が溢れ、砕け散っていた氷を飲み込み流れ出し始めたのだ。



 それでもは動かなかった。否、この時はもう——と言うべきなのだろう。



「——……でも私とアナタの違う所は——私は前の世界で誰かを道連れにして死にたいなんて思った事は、全く無かったって事ピョン‼」



 激流げきりゅうの迫りに対して微動だにせず、前に突き出す左掌ひだりてのひら


 刹那せつな——てのひらから放出された膨大な魔力はせまってきていた水流を一瞬にして凍り付かせると、かつてはだった荘厳そいごんな全盛期のままに時を止められてしまったかのように荒々しい氷のモニュメントに成り果てて。


 そして——自重の圧で無為むいくだけてくずれいき、おとずれたのは話のつなぎに、物の哀れを世界が雄弁に説く前の如き、静寂。



 「……ユカリ」


「ちょっとムカついたピョンから、本気で力を貸してやるピョン……カトレア」


 氷の魔力と共に溢れ出てくるユカリの感情。

 ——それは怒りか、いきどおりか。



「——なんでお前みたいなキモイ女が人間のままで、私が兎なんだピョン‼」



 「……言葉が分からないので詳しくは分かりかねるが、この剣に宿やどる氷の力から貴殿きでんの想いは伝わる」


 どちらにせよ、その感情に触発されて高鳴る胸の鼓動——義憤ぎふんに駆られたカトレアは再び意気揚々いきようようと剣をかまえ、敬意をって魔物がいだく人並みの感情を小さく笑った。



「共に行こうか、ユカリ・ササナミ‼」


 「——……暑苦しい感じがするピョン」


 故にか、これまでの如何いかなる時よりも言わんばかりに心と体が軽く、晴れやかに氷結の世界の中心でカトレアは昂った様子であったが——しかしそれに反比例するように、彼女の心は気怠けだるさを感じても居る。



 にもかくにも、つのが生えるうさぎヒトの半人半魔。


「お前らが、みんな死んじゃえぇぇぇぇぇぇえ‼」


 第三波の波しぶきが押し寄せる中で彼女らは走り出し、



「我らの氷で——その理不尽をくだき斬る‼」


 ユカリに負けてなるものかとばかりに冷気をまとう剣で、カトレアは水流を次々と切り裂き氷の道を切り拓いていく。



「死ね‼ 流れろ‼ 苦しめ‼ 泣け‼」


 「近づくなぁぁぁあ‼」




 互いに怒涛どとうの攻め、一歩も引かずに攻撃を繰り広げる水と氷のせめぎ合い。



「【氷柱楽々つらら、らら‼】」


 「——……っ⁉」



 しかしその実——、今は二対一の様相。突如として剣技と並行して施行される魔法。

 氷柱つららが無数にカトレアの周囲に現れ、イミナへと襲い掛かる。



 それは命中こそしなかったが、イミナに僅かの隙を産まさせた。



「クライド流剣技歩法——【水派ノール・氷地滑り《ロヒューラル》】」



 その隙を突き、カトレアの剣技が炸裂さくれつする。



 特殊な歩法ですべるように相手の背後に回り込む技は、カトレアの水の魔力とユカリの冷気が相まって一瞬にして彼女らの身体をイミナの背後へ彼女らの双眸を回し送り——



 そして剣は、鋭い突きを放つ構えへと至る。



「イミト殿に恩義はあれど——」


 「【刺突氷柱イグズィ・ロヒューリアス‼】」




「——姫の願い、和平の邪魔に遠慮は無い」



 背後からの一閃いっせんまたたの出来事。


 イミナの腹を赤い血を纏いながら突き抜ける剣の切っ先。

 その先は——まるで氷の華が咲いたように。


 不意を突かれたイミナは刺突しとつの勢いに釣られ、宙へと浮いた。



 けれど、この世界のちまたでは——こんな伝承でんしょうがある事を忘れてはならないのだ。




 ——戦場ではデュラハンにおびえよ、街ではバンシーを恐れよ、と。

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