第42話 その特別な一日の始まりに。1/6


 林をざわめかせる風の渦中かちゅう

 森や山の入り口に近い草原野原に風が逃げゆく世界の片隅。


「イミト様が居なくても‼」

「……何とか美味しい朝食を」


「「えいえい、おー」」


 彼女らは威勢を吐いて、こぶしをそれぞれに軽くかかげた。微笑ましくハツラツとした少女は黒い顔布で隠し、かたわらの白銀の鎧を纏うつのの生えた美しい騎士の女性は少し頬を赤く染めて照れた様子を隠せない。



「デュエラ……なんぞ、それは」


 その様子をかたわらで見守って——見せつけられていたクレア・デュラニウスは顔布の少女デュエラに、個性的とも異常とも取れる頭部のみの身体からしらけた眼差しを送る。


「いつもイミト様がやっている号令なのですよ、ワタクシサマも一度やってみたかったのでカトレア様に協力してもらったのです、ます‼」


 けれど異なる彼女の姿に驚く事も無く、顔布越しからも分かる程に、にこやかにデュエラが笑えば事も無く。デュエラは未だに羞恥しゅうちの顔色に染まるかたわらの女騎士カトレアを再び会話に巻き込むのであって。



「いえ……その私は……はい」


 天真爛漫てんしんらんまんなデュエラの純無垢じゅんむくに押され、嫌とは言えぬ人のじょう。されどひたいに生える白角しらづのが朝の陽光に煌けば、彼女も最早、人でなく。


「全く……昨晩は敵襲が無かったとはいえ、気を抜かしおってからに」


 体の無いデュラハンと、つのの生えた半人半魔の死霊騎士、そして風に揺らぐ顔布の隙間から零れる呪われた金の眼を持つメデューサ族の少女。


 それぞれの事情を抱えた異端なる組み合わせの三人の特別な一日の始まりは、こうして訪れたのである。


「それで——貴様ら料理など出来るのか、これまでイミトに任せっきりであったろうが」


「はいなのです、ですので昨日イミト様に教えてもらった簡単な朝食を作るので御座いますよ」


 訳あって、今は別行動を取っている旅の仲間の名前を出しつつ、クレアのいぶかしげにデュエラは女騎士カトレアの前に置いてあったざるの中から一個の芋を掴み、掲げる。



「その名も——、ジャガイモのなのです‼」


「……ガレット。ふむ、聞き馴染みの無い料理であるな」



「私も初めて聞く料理なのですが、大丈夫なのでしょうか……来る戦いに備え、食事を採るのは大事かと思いますが、あまり冒険をした料理は良くないのではないかと」



 意気揚々と手に持ったジャガイモを撫で愛でるデュエラを他所に、クレアとカトレアの二人は聞き馴染みの無い言葉の響きに、顎を撫でるように眉をひそめた。


 特にカトレア・バーニディッシュに至っては、不安な顔色で今にも無邪気に蛮行を働きそうなデュエラをなだめすかそうという腹づもり。



「言っても始まらん。デュエラの好きにさせよ、カトレア」


「それに貴様はいささか慎重が過ぎる……体の調子は、もう良いのであろうが」


 そんなカトレアを見かねて、人の振り見て我が振り直せと同じくデュエラに対し、いぶかしげだったクレアは溜息を吐きつつ言葉も漏らす。



 しかし、それに対する返答は——


「……はい。根拠はありませんが、次の戦いこそ役に立てると思われます」


 何かしらの覚悟に満ち満ちた、確かな自信に根付いた答え。根拠がないと答弁しつつも、自らの掌にジッと視線を落とし、手に残っている感触を今一度と実感するように握り締める。


 それはクレアにも伝わったようだった。カトレアの左眼ひだりまなこが赤く染まっている様を一瞥いちべつし、きたる戦いに想いをせるようにまぶたを閉じる。今は頭部のみの存在であるクレアの感情表現は、それ故に微々たるものであるが如実にょじつ


 歴戦の佇まいに風がざわめくようだった。


「あの……お二方様、そろそろ始めても宜しいで御座いますですか?」



 そんな不穏に、デュエラがジャガイモを両手で包みながら恐る恐ると尋ねる。


「なんぞ、我らの事は気にせずに始めれば良かろう」


 空腹に腹の虫をキュウと鳴らすデュエラの問いに、怪訝けげんな目線。

 するとデュエラは、言いがたい事を躊躇ためらうように顔布をチラチラと揺らし始める。



「えっと……その、なのです。実は、ジャガイモの皮剥かわむきをカトレア様にやって欲しいのですよ……ワタクシサマ、刃物は扱い慣れていなくて……イミト様にもそうしろと言われているのです」


 両手で包むジャガイモと指をもてあそばしながら、彼女は更にチラチラとカトレアにも視線を送る。


 人間社会と隔絶かくぜつされた環境で孤独に生きてきた少女はイミトやクレアと出会い、多くの事を学んできたとて未だに知らぬ事や出来ぬ事が多くある。料理という加工もまた、そうであり、刃物という文明の利器を扱う事にも少なからずの億劫おっくうがあったのだろう。



「ぇ……ああ、はい。了解いたしました。では——」


 そんな少女の思わぬ懇願こんがんに、事情を知っているカトレアは僅かに戸惑ったが、デュエラからジャガイモを手渡され、そして黒い作業台に置いてあった刃物のつかをそっと拾った。


「「……」」


 息を飲むようにカトレアの手裁てさばきに視線が集まる空気感。包丁の鈍銀どんぎん色の刃が朝の日差しに照らされて鋭利に光り、カトレア自身も緊張感を持って息を飲む。



「——……」


 しかし、いつまで経ってのカトレアの刃は動かない。ジャガイモが、時を待ちかねて欠伸あくびさえ漏らしてしまっているようであった。


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