第39話 騎士と兎。2/4


「魔物を産む瘴気しょうきが人々の憎悪や怨念でけがれた魔素であるという事は知っています。ですが改めて問いたい。魔物とは、いったい何者なのですか」


 真っ直ぐにクレアを見つめる眼差しに映る焚火のほむらが揺れる。闇の深淵を覗こうという覚悟ある瞳には確かに、未来を見据えた活力があって。



 クレアは暫くその瞳を見つめ返し、そして瞼を閉じる。


「——貴様の知っての通りであろう。そして魔物には極めてまれに我のような意思を持つ者が生まれる、それだけだ」


「人の子の中にも必ず罪人が生まれるように、この世界が意図せずに産み落としてしまう異端、歪んださがを持つ者」



「貴様がどのような答えを望んでおらぬか知らぬが、それ以上の答えを我は持たぬ」


 無い首を振るように彼女は言った。焚火のまきの中の微量の水分が熱に当てられふくらんで、薪木まきぎにバキリと亀裂きれつを入れる。


 ——或いは彼女が他者の為に吐いた虚言に薪木が驚いたのか。


「……そうなのですか」


 夜を幾度も掻き分けようと、夜である事は変わらず、心の不穏は晴れやしない。答えを逸らすクレアに対し、掴み所なく表情を暗く落とすカトレア。



 何とか停滞している状況を打開する糸口を求めていた彼女は伏し目がちに諦め、次なる方策を探し始めたようであった。


 しかし、その表情を横目にしたクレアはいささかとかえりみる。



「ただ——あの兎は少しとは違う。いや……ここはと言うべきか」


 「アレは、元は人間の記憶を持ったまま魔物となった魂だ。イミトと同郷のな」


 そして先ほどとは一転、仕方ないと言った風体で息を吐き、ユカリ・ササナミやイミトについて隠している事があると明らかにしたクレア。


 恐らく彼女は利があると見たのだろう、それどころかカトレアがこのままユカリの力を引き出せず気がかりを残しながら戦場におもむけば害もあるとの判断。



 故にクレアは、この現状は平穏な夜の闇の中でのリスクを取る事に決めたのだ。



 よって、事は起こる。


「——クレア様」


 たった今まで話に参加せずに星空を見ながら食事を楽しんでいたデュエラの手が突如としてピタリと止まり、緊張の声を走らせる。感じ取る危機、威圧。



 ——監視されている。


「うむ。デュエラ、貴様も位置が分かっておるなら『余計な詮索せんさくはさせん。くぎを刺しておいてやる』と今すぐ言伝をして来い」


「はい、なのです‼」



「……敵ですか。私は何の気配も感じませんが」


 常人——否、その監視している者が何者かを知らねば感じられぬ独特の気配。


 その気配を感じられないカトレアは、にわかに慌ただしくガラリと雰囲気を変えてクレアの指示で焚火のそばから跳び出していったデュエラの背に目を流し、近くに置いていた剣に手を伸ばしつついぶかしげに尋ねて。



「イミトを監視しておる連中だ。イミトの隠し事を知っておる我にも監視の目を向けておる。言伝の通り、余計な詮索はせぬ事だ。今は奴等とは停戦中なのでな」



「……了解、致しました」


 それから辟易と面倒げに苛立つクレアの言葉を聞き、疑心を抱きながらも素直に従い掴みかけていた剣から手を戻すカトレア。



 ——恐らく嘘では無いのだろう。


「それからユカリの記憶についても二度と他者には語るな。恐らく貴様も既に奴らの標的になっておる。秘密を聞いた者も含め、全てを始末しかねん連中だ」



 「……それほどの。いや、今はそれ以上の詮索は致しません」


 普段の天真爛漫なデュエラの様子が別人と思える程に緊張感を漂わせ、行動を迅速に行った所を見てもそうとしか思えず、更にはクレアの口ぶりからも相当な敵の実力をうかがわせられる。


 好奇の感情が無かった訳では無いが、今は不要。関わってはいけないと本能も告げているようであった。



「賢明だな。やがて分かる時も来るであろうさ」


「にしてもユカリが元は人間……ですか」


 そして話は元の話題、ユカリとは——魔物とは何者かという議題。

 氷を駆使して暴れ回る巨大な白兎としてのユカリしか知らないカトレアにとって、ユカリが元は人間と聞かされても受け入れがたい事実。


 しかしながら、彼女の感情をじかに感じた事のあるカトレアは、もっと深く彼女の事を改めてと考え始める。



 だが——、クレアはそんなカトレアへ、こうのたまうのである。



「しかし今は魔物ぞ。貴様が奴とどう接しようが知った事では無いが、人のおごりや同情で我らを同種に扱うなぞ侮辱ぶじょくの極みだという事を忘れるな、人間」


 「——……」


 カトレアのユカリに対する感情移入を吐き捨てるように言葉を紡ぐクレアの眉根にはシワが寄る。けたたましい程に感じてしまう人類に対する憎悪、侮蔑ぶべつ



 彼女は知っているのだろう。

 ——魔物の事も、人間の事も。

 明確な人類に対する嫌悪を前に、カトレアは想いける。



 ——何故このデュラハンは、あの男……人間と共に生きているのか。

 生きていられるのかと。


 ——逆もまたしかり。何故あの男は、この魔物を前に平然と生きて居られたのかと。



「……これを食べ終わったら、もう一度、挑戦してみようと思います」


 その答えが食べ掛けの弁当箱と、やがてユカリと再会するだろう黒い精神世界にあるような気がして。

 彼女はそっと歯型の付いたメンチカツサンドに意味深く目を落とす。



 今なら何かを掴めそうな気がする——そんな面持ち。


「まったく……何ゆえに我が子守など……」


「いっそ、何か向こうで事が起きて策を変える事になればよいが……セティスからの連絡が無い所を見るに、上手く事を運んでおるのだろう」



 そうして、人の子のわきまえぬ背伸びに付き合わされている己に辟易と呆れ果てながら嘆き、自身の性分である清々しい破壊衝動を言葉に漏らす世間話に際し——



「所でクレア殿、クレア殿の御身体の方に異常は無いのか? イミト殿と離れて相当の時間にはなるが」


「……我の方に問題は無い。我らのの大部分は我の方にあるのでな、問題が起きておるとすればあの阿呆の方であろうよ」



 彼女らもまた、彼らと同じ疑問や憂いの話へと突き当たるのであった。


 ***

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