第39話 騎士と兎。1/4


 一方その頃、余計な疑いやいさかいを避ける為——また、明日にひかえる和平調印式に向けてイミト達と別れ、暗躍している者たちは夜のとばりが降りきった頃合い、岩々も所々と突き出る野原にて焚火たきびを囲み静寂の闇の中で食事を進めている。



「もみゅー、イミト様の作ってくれたお弁当、凄く美味しいのですよー」


 焚火が生み出す灯りの揺らぎに照らされた黒い布で顔を隠すデュエラは、口元まで布をたくし上げ、イミトが事前に作っておいた作り置きの食事を銀のさじを握り締めながら口の中に運ぶ。


 弁当箱の中にはカツサンド等々のサンドイッチと、唐揚げ、ポテトサラダ、昼に作っていたニョッキも見える。


「まったく……腑抜ふぬけめ。腹ごなしが終わったら準備に戻るのだぞ、気を引き締めぬか」


「はい‼ 元気イッパイ働くのですよ‼」


 それらを次々と平らげていくデュエラ。悩まし気に頭部のみのデュラハンのクレアが呆れ果てた様子で息を吐くも、夜の闇に緊張感は無く、彼女はゴキゲンに返事をするばかり。


「……」


 一方、天真爛漫てんしんらんまんなデュエラとは違い、弁当のふたを開きながら指先の一つも動かさず中身を見つめうつむいている者も居た。


「コチラは一切、手を付けておらぬし……姫の事を考えるなら、さっさと喰わぬか愚か者」


「申し訳ない……分かっては居るのですが」


 ツアレスト王国第四位継承者マリルティアンジュ姫に仕える忠臣、女騎士カトレアは憂いの中にその心を沈めていて。本来ならば姫のかたわら、今も姫の身を守っていたはずだった己の不甲斐ふがいない現状に居たたまれない想いを抱いているのだろう。



「イミト様の料理はお嫌いなのですますか、カトレア様」


「ああ、いや……そうではない。本当に、こんな策で奴らの陰謀を止める事が出来るのかと考えていまして」


 しかし、その憂いの表情を別の感情と誤解したデュエラの純朴な一言に、心配を掛けまいと別の話題に話をすり替え、弁当箱のサンドイッチに手を伸ばすカトレア。



「あの阿呆の考えた陳腐ちんぷな策とはいえ、話に聞けば理にかなった方策よ。気に入らぬなら貴様一人で城に乗り込み、死罪にでもなるが良い」


「……」


 そんなカトレアを励まそうとしたのか、想いを正確に察しているクレアは彼女らしく辛辣しんらつな口振りでカトレアに言葉を突き出し、カトレアの淡い期待や希望をけずり取っていって。


 ——半人半魔。


 宗教、或いは彼女が身を捧げるツアレスト王国の法において、禁忌とされる魔物との結合を果たした人間。


 姫を守る為にその罪を犯す事になってしまった騎士は、それ故に姫を守ることが出来ない矛盾を抱えてしまっているのである。



 それが現実、非情なる現状。


 けれど、

「大丈夫なのですよ、お姫様は御無事なのです。それに向こうにはイミト様もセティス様もおられるので奴らの作戦も今頃ズタボロになっているので御座います」


「……信頼しておられるのだな」


 純粋無垢な声色は、そんな彼女に手を差し伸べるように微笑んでいて。

 ほんのささやかななぐさめが、カトレアの心を撫でて笑みを浮かばせる。


「——その実、本腰を入れねばならんのは我らの方かも知れぬ。今は鋭気をやしない、気を引き締めよカトレア。そのゆるみは戦場では命取りぞ」


「生きて姫に再び会いたいと思うなら尚更だ」



「はい……分かっております」


 打算ありきではあるがクレアの厳しい態度が、自分を気遣ってくれている物だという事も分かっている。



 故に彼女は利害の一致と、手に取っていたカツサンドの一切れを口に運ぶ。


「——これは、美味しい……」


 口の中に溢れる様々な味わい——自分が何を食べたのかとパンをかじった後に視線を落とすカトレアは、まるで初めて食事をしたのではないかと錯覚するほどに目を見開く。



 すると、彼女のそんな様を見て——彼の代わりにデュエラが言った。


「ふひゅひゅ、それは鳥メンチカツサンドと仰っていたので御座います、です。粗みじん切りにして潰した鳥さんの挽肉ひきにくを他の野菜と混ぜて味を付けてから乾いたパンの粉と卵を付けて衣にしてから油で揚げた料理なのですよー」



 とても得意げに、とても楽しげに。


「メンチカツとパンの裏に染み込んでるソースは色々な野菜を煮込んだウスターソースで、ピリリと辛いのはセティス様が持っていた植物のたねを潰して作ったマスタードというものなのだそうです、ます」


「ポテトサラダに使った特製マヨネーズにも少し入っていますのですよ」



 自分も手伝った食事なのだと自慢げに、つらつらとイミトから聞いていた知識を披露するデュエラ。



「……すっかりと毒されおってからに」


 傍らでクレアが小さく息を吐く程には、デュエラはイミトに似てきている。

 料理と云う気の抜けるものに対する熱意が感染し始めている事に、若干の憂いを帯びていて。



「それで、どうだ。感覚は掴めて来ておるのか」


 だからという訳では無いだろうが、食事をしない彼女は興味なさげに話を変える。

 それは——彼女たち、というよりはカトレアの今後に大きくかかわってくる議題。



「……正直イマイチですね。コチラ側から魔石の中に魔力ではなく神経を通わせ、意識を沈めるという工程は頭では理解が出来ていても実行するのは難しい」


「何度か気を失った時に迷い込んだ、あの世界……あの光景の場所に自由に行く方法が本当にあるのか実感が湧かないのです。しかしあの場所は夢では無かった、それだけは確かなのですが……」



 カトレアの胸に埋め込まれた魔石に潜むうさぎの魔物、ユカリ・ササナミとの共存。

 イミトやクレアと結んだ協定において、不戦は確約されていてもカトレアとユカリの共闘は確定されてはいない。



 よってカトレアは胸の中に潜むユカリから自力で力を借りる方法を模索していた。


「ふむ……この先、貴様が如何にあの兎の力を引き出すことが出来るかで戦況は大きく変わるだろう。だが、理屈の事など我も知らぬからな」



 ——もうじき戦いが始まるのだ。


 今この時にも城塞都市ミュールズで様々な勢力の陰謀がうごめいている。

 導かれるようにいびつに陰謀の糸が絡み合い、導火線の如く燃え上がり始めている。



「イミト様が居たなら、何かこうシャキーンと解決してくれる言葉を考えてくれるかもしれないのですが……」


 「「……」」


 その事態にそなえ、食事に夢中のデュエラ以外は用意周到に徹している。

 故に彼女は知ろうとした。



「——クレア殿。失礼ながら……貴殿はその……魔物なのですよね」


 それでも申し訳なさそうに探り探りと機嫌を伺うように尋ねるカトレア。


 しかしカトレアは弁当箱を傍らに置き、彼女の魔力そのものでもある白黒髪で創り上げられている彼女の頭部を乗せた台座に向き直り、意を決した様子で真っすぐにクレアを見つめて。



「……うむ。相違は無いが、何度も言うておろう。それがなんぞ」


 カトレアの問いに怪訝けげんな様子ではあった。けれど眉根を寄せて尚、その直向ひたむきさを感じさせる問いに彼女は答えながら、その問いの意味を思考する。



 すると、

「魔物とは、いったい何なのでしょうか……これまでの私は、魔物は民衆を害する危険な敵だと思い、剣を振るってきました。しかし——」



 心つまびらかに問いの真意を語り始めるカトレアはグッと拳を握り、己の胸が内につかえてきている悩みをも、あんにじませ始めて。


「しかし、今日の昼に再びおもむかされたあの暗い闇の世界で、私はユカリの……ハイリ・クプ・ラピニカの記憶の欠片のようなものを見ました」


 「……」


 黙するクレアは、この問いに何を想ったのだろう。あえて無礼を働く緊張に冷や汗を流しながらカトレアは言葉を続ける。



「その記憶には恐ろしい程に栄えた文明の街や、全く見た事も聞いた事も無い景色の記憶も含まれていた」



「他にも様々な記憶——兎を追い掛ける肉食獣や命をもてあそぶ人間達の顔、ユカリが恐怖や憎悪を抱くのもうなずけるほどの凄惨せいさんな記憶もあったのです。まるで何回も違う人生を送った一個の魂がそこにあるように」



 きっと彼女はその答えを知っている。己が死の狭間はざま垣間かいま見た世界の一欠けらが何を意味しているのかを知っていると、思うのだ。



 彼女が魔物であるだけでなく——今はここに居ない彼女の魂の片割れがユカリ・ササナミと同じ言語を用い、何処か周りと違う雰囲気をかもし出していたのだから。

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