第36話 策謀の宴。4/4

 ***


 そして和平調印の前夜祭にて暗躍する二人は、夜会の喧騒から少し離れた夜空の星が見渡せる誰も居ないベランダへと辿り着く。



「それで? どうしてベランダに来た?」


 その頃には、異常なほどに迅速な手際でウェイターがパーティーグラスを二つ、イミトに届けていて。セティスは颯爽さっそうと去っていくウェイターを尻目に、少し不満げに尋ねるのだ。


 歩き慣れないヒールのかかとを二度ほど床に叩きつけ。


「なんだか、中が騒がしくなってきたみたいだけど」


 そして僅かに遠くなったパーティー会場から聞こえてくる人波のサザ音に耳を澄ませ、改めてイミトの意図を問う。


 するとイミトはセティスに新たな飲み物を手渡しながらベランダの手すりにもたれ掛かり、彼女の問いに答える。


「アルバランの王子様の登場だ、マリルティアンジュ姫と婚約なさるらしいな」


 「……そう。それで?」


 けれどその答えはセティスの求めていたものでは無く、姫の婚約と言う初耳の情報に驚きつつも更なる答えを彼女は要求するのである。


 しかし、イミトはベランダからの景色を覗き込み、この巨大な城の階層を確かめる事に夢中になり始めているようだった。



「サムウェルって覚えてるか? ミュールズ護衛騎士の」


「うん。彼が何? 特に変わった人だとは思わなかったけど」


 そして案の定、帰ってきた言葉は質問に対する答えではなく全く関係のない思い出話。セティスは僅かに、ほんの些細に、少しばかりイラリとする。



「まぁ、覚えてるなら問題ない。説明の時間が無いから端的に言うと、俺が居なくなったら少し時間を稼いで追い掛けてきてくれ」


 それでもイミトはそんなセティスをかえりみる事もなく自分の都合を優先し、ベランダから拍手などで慌ただしくなっているパーティー会場へと視線を戻すのである。



 だが——、気付く。セティスも気付く。


「? 難解……——‼」


 イミトの視線を追うように彼女も目を向けたパーティー会場の内部、開かれたベランダに通じる窓枠のかたわらに、その時を待ちびていたように静かに佇む男の気配。



「——……イミト・様ですね」



 その放つ気配に驚きセティスが急ぎ首を振ると、そこに居たのは波立っているような黒髪長髪、黒い肌の顔色に鋭い目つきで深紅の瞳を鈍く光らせる精悍な紳士——風にれる燕尾えんび服が彼のかもし出す怪しげな雰囲気を際立たせ、そこらの輝かしい貴族とは一線をかくす佇まい。



「私はアーティー・ブランド。少しばかり場所を変えて、ゆっくりとお話出来ないかと思い参上させて頂きました」


 「イミト——理解した。気配が複数」


 懇切こんせつ丁寧ていねいに礼儀を尽くしてイミトらにお辞儀をし、頭を垂れる男だが、それは決して服従ではなく——まるで脅迫きょうはくごとき気配。セティスは、そんなと名乗った男に相対し、無意識に全身の毛が逆立つような感覚に襲われて利き手の右手さついを咄嗟に左手で抑えつける。



 思わず手から離したガラスのグラスが放つ小さな断末魔。


 ——彼女にはわかるのだ。魔力感知に優れた彼女の本能がささやいて、その目の前にいる男こそが自分を拾い育てた親とも呼ぶべき恩師——マーゼン・クレックを殺した男なのだと。


 そして——、イミトらの知恵と知識によってすでかれている呪いを掛けた半人半魔の化け物だという事を彼女は知っている。無機質な表情の内に秘めたる激情、殺意さついの右手は尚も彼女の怒りを晴らそうとしていた。



 だが——、


「ああ……その頭の回転と冷静さは、手放しで褒めたい所だ。とても楽しそうなダンスパーティーになると良いな」


 ふと触れてくる理性。セティスより一歩前へ彼女の震える手に触れながらイミトは歩み、不敵に笑って言葉を語る。


 そして——、策謀の宴は輪舞を奏で始め、物語を美麗に回しゆく。


「如何でしょうか、イミト殿?」


「……こちらからも是非、お願いしたい所だ。アーティー・ブランド殿……正直、私のような身分の人間には、こういった会場は些か窮屈きゅうくつなものでして」


 「はは……私も少々と人に酔ってしまいまして……近くに部屋も用意してありますので、ゆっくり紅茶でもすすりながら座って話でもしましょう。案内します」



 外面そとづらを駆使するイミトは、虎穴に入らずんば虎子を得ずと羽ばたくようにアーティーに誘われるままに歩み始め、道すがら——



「先に踊ってくる。姫様とかサムウェルに何か聞かれた時は上手く誤魔化しておいてくれ」


 「頼んだぞ、セティス」


 軽くセティスに振り返り、片手の甲で軽々しくと別れを告げて。



「……アーティー・ブランド」


 彼女は、今はまだ時では無いと言い聞かせるように自らの手首を握り締め、ボソリ——セティスの事など意にも介してない様子であったの名を呼び捨てる。



 床で割れたグラスから飛び散った飲み物の色は赤く、彼女が胸に秘める惨劇の過去を映し出すようであった。


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