第34話 約束。2/4


「悪い所を見つけるのは簡単だが、良い所を素直に褒めるのは難しいもんだ」

「——イミト様?」


 故にマリルティアンジュ姫は首をかしげる。彼が彼女に初めて見せたさびしげな横顔が、何処か意外で普段の悪辣な彼を知っている彼女は違和感を覚えていたのである。


 けれどイミトは、そんなマリルティアンジュに気にも留めず、言葉を続けるのだ。


「俺が居た国はさ、そりゃ素晴らしい向上心に溢れた国だったよ。あっちの国ではあんな素晴らしい物がある。そっちの国にはこんな素晴らしい考え方がある」


 気が向いた気まぐれな思い出話、自分語り。


 これまで彼自身が忌避きひしていた、彼自身の昔話の風体。思わぬ吐露とろかたわらのマリルティアンジュは虚を突かれたのもつかの間、グッと息を飲む。



「この国はこのままじゃダメだ、どうしようもない、自分がなりたいものはアレだ、でもそれじゃダメだ、こうしろ、ああしろ……ああだ、こうだ」


 爽やかな語り口ではあるが、言葉の意味も込められた感情も暗く沈み込んでいるような印象を感じて。腰掛け岩からの景色を見据みすえる遠い目は、先ほどのマリルティアンジュが眺めた未来とは違い、恐らくは過去なのだろう事は直ぐに分かった。



「数の少ない椅子取りゲームを日夜繰り広げて、座られた椅子を引っ張りあって椅子の脚をどんどんと壁や床にぶつけあってボロボロにして生きてるような国だった」


「姫様の国でも、政治の足の引っ張り合いや権力争いってのがあっただろ? それと似たようなことを国民全員がやってるような国さ。人の悪い所のあら探し」


「……」


 追い掛けてくる過去のよどみに絡め取られながらあらがいもせずにたたずんでいる気配をにじませるイミトの問いでは無い問いに、マリルティアンジュは声の一つも返さない。


 人々の負の側面、ごう——イミトが纏っている哀愁あいしゅうに、彼女もまた心当たりがあるのだろう。


「俺は——そういう社会つーか、世の中に疲れちまってさ。何となく固められちまった倫理観で守りたい、守らなきゃと思ってた家族も、自分の都合で俺より先に自殺しちまって、ウンザリしてたんだよ。自分の人生とかそんなもんにも何の愛着も湧かなくなってた」


 その絶望の果てに至りて生きるイミトの嗤う横顔の理由にもまた、マリルティアンジュは心当たりがあったのだ。


 ——野原を吹き抜ける風が遥か先、遠くに見える巨大な風車をもてあそび。

 太陽が雲に隠れた頃合いに、彼女は聞いた。



「そんな時に、クレア様と出会われたのですか?」


 世界の広さか、或いは狭さか。世俗を知らぬ姫君は、それでも彼らの互いに対する信頼をさとりて尋ねる。彼女がそう思える程に彼らは深く繋がっているように見えていて。


「いんや——シワシワの白髪頭の顔が四角い頑固おやじに会ったんだよ。流行はやり病で死んじまったけどな」


 しかしイミトはそれも踏まえて悪戯いたずらな笑みで否定し、人生の転機を与えた重要な人物について予想をくつがえす程に、敬意を感じない言い回しで楽しげに答える。


 それでも、悪意も混じるその一節には、とても深い感謝と親しみがあるようでもあった。


「そのじいさんはさ。俺に——焼いた魚を食わせてくれたんだ」


 「魚……ですか」


 語り始められるイミトの昔話。肩の力を抜いたイミトの言葉にマリルティアンジュは首をかたむけながら話に乗って。垂れた髪を耳の後ろに回し掛け、興味深げに視線を送る。



「ああ。くそったれなことに、店に出せないような粗末そまつな魚をただ焼いただけの代物でな」


「それが美味いのがまた悔しいんだ」


 すると、まるで悪口を並べ立てるように嬉々として語ったイミト。己の性分がわずらわしそうに困り顔の笑みをマリルティアンジュに申し訳なさそうに向けて、照れた様子で。


 とても——、希少な物を見たような気分だった。


「美味しかったのですか? 言い方がその……なんだか美味しく無さそうに聞こえたのですが……」


 イミトの表情につられるように思わずマリルティアンジュも目の前の彼と似たような表情、戸惑う感情は苦笑いとして昇華する。



 そうしてイミトは再び、遠くの空に想いをせる。


「ああ……あの味はアジなだけに忘れられねぇ……って、くだらねぇ事を言ったな。俺の国の言葉じゃないから意味が伝わらないだろうし」


 視線届かぬ過去の情景、らしくないとは思いつつ留まらずに滲み出る感情に我ながらと呆れ果て、首の後ろに手を当てて彼は彼らしい自嘲の笑みを空へとこぼす。


「しょうもないのに性に合わない事はするもんじゃないな……ただ国の自慢してくる姫様の話を聞いて、少し悔しくなっただけだ。気にしないでくれ」



 やがて、どぶさらいの作業を一段落ほど終えたように彼はわらった。


 郷愁きょうしゅうまなこを閉じてうつむき、クシャクシャに頭を掻いて自らの正気を疑うイミトの言葉を、一国の姫君であらせられるマリルティアンジュは如何いかほどに理解できたのだろう。その唐突な思い出話に何かしらの意味を持たせることは、或いは容易だったのかもしれない。



 はげましであったり、皮肉であったり、悪戯いたずらであったり、ただの気まぐれであったり。


 思い浮かぶふしは幾つもあった。


 けれどマリルティアンジュは選ぶのだ。



「——……素敵な人々と出会ってこられたのですね、イミト様も」


 真っ直ぐに彼の不器用な言葉を受け止めて。陳腐ちんぷな形容を用いれば、とても穏やかな春の陽だまりのような笑み。イミトの言葉の裏にあった感謝と追悼ついとう



 そしてそれらを向き合って、強く生きようとする決意。


「デュエラ様やセティス様にしたわれている訳が、今なら少し——分かる気がします」


 穏やかな時が過ぎていく。


 もっと機会があれば話しておくべきだったという後悔もにじむ。


「……アイツらとはまだ短い付き合いだよ。嫌われてない事を祈るばかりさ」


 それを嘲笑あざわらい吹き飛ばすようにフッと自虐の鼻息を吐き、恋に恋する乙女を嗤うが如く言葉を返して腰掛け岩に背を預け、仰向けに倒れ込む。


 ——勘違い、きっと彼はそう言ったかったのだろう。


「ふふ、それにしても魚ですか……アルバランは砂漠の国ですから海の魚は食べられるかどうか……」


 そんな見え透いた照れ隠しを微笑ましく受け流し、ふと彼女は思い至る。

 自らの行く末に、イミトと出会わなければ考えもしなかっただろう憂い。


「……砂を泳ぐ魚とか居るんじゃねぇの? そういうの居そうだしさ」


 そんな彼女の憂鬱ゆううつを横目にイミトは言った。枕代わりの両手を枕として心地いい場所に探り探りと首の位置など試行錯誤のひと時に。


 お互いに何の気の無い会話を交わし、チクチクとひまを潰す構えである。


「あ、そういえば幼い頃に砂魚さぎょを食べるという話を聞いた事があります」


「確か——就寝前に読んで頂いた、かつての勇者が旅をした伝記の中で、そのような一節があったと」



「そいつぁ、下処理が面倒そうな事この上ないな」


 そうして地べたをいずる悪童と、雲として天井を揺蕩たゆたう姫君の、本来あり得ぬ邂逅かいこうは何のいさかいもなく過ぎてゆき——



「でも実は私は普通の魚も、あまり好きでは無くて……空魚くうぎょの回遊期に入ると少し憂鬱な気持ちになってしまうのですが……」


 「——……空魚?」


「? はい、回遊期だと食卓に並ぶことが多くなりますので」


「しかし知識が豊富なイミト様になら、苦手な空魚も美味しく食べられるようにして頂けるのかもしれませんね……」



「——……空魚を? 俺が?」


「……もしかして、イミト様も空魚がお嫌いなのですか?」


 「あ? ああ、いや……嫌いでも好きでも無いな、特には」



「——そういや、聞いてた話じゃ、そろそろセティスが帰って来る時間じゃないか?」

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