第33話 今、ここに至りて。4/4


「顔だけの女って辺りが、皮肉が効いてて素敵だろ?」


 あまつさえ事実をけむに巻くように、うそまことかの派手色な理由付けまでいろどって。


「何その基準……本人が聞いてたら怒るかもピョン」


 そんな彼のいびつな照れ隠しに、おののきつつも呆れた様子のユカリ。

 ユカリは先ほどのアレコレも踏まえて、イミトが陰で他人のコンプレックスを平気で嘲笑あざわらう小悪党だと判断していた。


 だが三度——その男は、

「そこは安心しろよ。たぶん聞いてるから」

「——え?」


 少なくとも相手によっては本人の前でも堂々と悪口をのたまえる——、見聞きする人の見方によっては巨悪と評せる人物なのである。


「よし。混ぜ終わったら、後で作業がラクになるように四角く整形して——低温の環境で一時間くらい寝かせた後で、仕上げに何回か生地を伸ばしたり折りたたんだりすればパイ生地は完成だ」


 ひとしきりの混ぜる作業を終え、黒い半球状の器の淵をカンカンと叩くイミト。そこからサラリと作っていたパイ生地を麺棒を用い、言葉通り思い通りの形に器用に成形させ始めながら一息を突く。


 しかし、イミトが放った説明などは、この時のユカリの耳には通らずイミトが漏らしたユカリがこれまでに知ることが無かった衝撃の事実に思考がき回されていて。



「ちょ、ちょっと待つピョン……聞いてるってどういう事ピョン。地獄耳なのかピョン」


「あ? ああ……感覚共有だよ、俺とアイツは繋がってるからな」


「別にお前はクレアの悪口を言ってないんだから問題ねぇだろ」


 恐る恐ると冷や汗を垂らしつつ確認を取るユカリ。そんな彼女に対し、何を今更と言った風体で手を洗い始めたイミトは改めて状況を説明し、事はすでに解決しているように語る。



 けれど、無論それはユカリにとって未だ安易に飲み込めない進行中の事案である。


「そ、そうだけど……ピョン——ひぃっ⁉ こっち見てるピョン‼」


 何度も表現を重ねるが、彼女はクレア・デュラニウスを心の底から恐れているのだ。

 戸惑いながら遠くのクレアに視線を配った為に目と目が出会うディスティニー。



「かなりクレアがトラウマになっちまってんだな……無理もねぇけど」


 悲鳴に似たユカリから報告に、占いの如く過去と未来を見据えて相性をはかるイミト。


「協力でも何でもするから、もう良いピョン⁉ 早く魔石の中に戻りたいピョン‼」


 嫌悪に勝る恐怖に負けて、そんな愚鈍なイミトに懇願こんがんするようにユカリは言葉を並べ立て、イミトの服のそでにしがみ付く。


 尚も冷や汗が流れるほお、切迫した状況に赤い瞳が震えるようにきらめいて。


 ——これ以上は酷だなと、さしものイミトも悟る。


 舌先三寸したさきさんすん百舌勘定もずかんじょう。そんな四字熟語が良く似合うイミトが、幾ら口先で誤魔化そうとも深々と根付いたクレアに対する恐怖を払拭する事は短時間では難しく、


「分かった、分かった。取り敢えず、魔法でこの中に氷を作ってくれよ、けどもし魔石に戻って氷が解けたらまた呼び出すからな」


 彼はユカリを諦めて、なし崩し的に対価を要求した。

 掌に浮かべた黒い渦、創り出すのは黒い箱。加えてイミトは箱の中に仕切りとおぼしきさくを作り、ユカリに氷を発現する場所を指示したのである。


「全力で溶けないようにするピョン‼ ホント、もうやだピョン」


 そんなイミトに異を唱える事もはばかったユカリ。一瞬にして箱を埋め尽くす白い氷の塊は、彼女の必死な想いに表すが如く見るからに硬そうに押し入った光の行く末を曲げさせていた。


 そして一方、氷を手に入れたイミトは意気揚々——、箱に敷き詰められた氷の上に細かい網目あみめ状の板を数枚ほど創り出し、重ねていって、



「よし、それで生地を置いて——物質創生で密閉っと。こうしてみると完全防熱は素晴らしい性質だな」


 やがて満悦した様子で今しがた作り終えた四角い生地を板の上に寝かせると共に蓋を創り出し、箱の中身を封じてみせる。これでパイ生地作業は一段落。


「ニョッキの味付けの準備に入る前に肉の様子でも確認に行くかな……」


 クレアを怖がっていたユカリに目もくれず、次の作業の工程を考えながら箱を厨房に置き、彼は様々な荷物を補完している馬車を眺めて。


 首から上が存在しない首切れ馬の健在ぶりを早々に見流して、けた物想い。



 その時だった——


「——おい。イミト殿」


 背後からユカリの声でカトレア・バーニディッシュの堅い言葉が響いたのは。



「あ? 今回は目覚めるのが早いな」


 声に振り返ると、そこには頭痛にさいなまれて立ちくらみをもよおしたような格好のカトレアが蒼い瞳でにらんでくるさま——、先程まで頭のいただきにあった兎耳が消え失せている所を見れば、ユカリと体の主導権を入れ替えたのは明白。


「……今回の一件が終わり次第、貴殿とクレア殿には話がある……覚悟しておいてくれ」


「とりあえず私は……姫に帰還の報告をしなくては」


 最大の軽蔑けいべつ憤怒ふんどにじませながら言い放つ言葉、蒼い双眸そうぼうたぎる感情は、赤い瞳の魔物時代よりも憎しみにまみれていたが、他に優先するべきものがあると早々にイミトへ一瞥いちべつをくれ、カトレアはヨロヨロとふらつきながら歩き出す。



 その頼りない背に、音が聞こえない程には小さな吐息。


「……ハーレムなエンドを期待したくもあるんだけどな。男の子としては」

「なぁ——クレアさんよ」


 見上げた空は快晴か。嘆きの峡谷に真上から降り注ぐ陽光を不穏な雲が隠しゆく。

 首を撫でる死刑間近の罪人が、首を斬られる夢を見たが如く大動脈に手を添えて。



『——ふん。この機会にカトレアに貴様のを切りいで貰うのも良いかもしれんな』


 サラリと頭の奧から響いた声は、冗談めいて煙に巻く。



「……まだ俺のを狙ってんのかよ。おぞましい事この上ないったらないな」



 今、この世界、ここに至りて——自らを取り巻く様々な思惑をわずらわしく想いながら息を吐いたイミトは、憂いを哀愁に溢れる背中で背負いつつ自らが望む唯一の娯楽に救いを求め、歩き出していくのだった。

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